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「じゃあ、今日は刺身、マグロの切り方をやるよ」

「「うん」」

「まず最初はマグロの置き方から。こんな風に、身の筋、この年輪みたいなやつね、これが右上から左下に、斜めになるように置く」

「シンジ、どう?」

「これでいいかな、シンジ?」

「そうそう。そんな感じに置いて、包丁が筋と垂直になるように切ると、食感が良くなるんだ」

「「うん、わかった」」

「レイは、包丁の基本の持ち方、大丈夫?」

「うん、親指と人差し指で刃元を握って、残りの指は柄を握る」

「そうだね。アスカはだいじょう−」

「ぶ」

「だね」

三人で暮らすマンション。

三人がいる、充分な広さのあるキッチン。

今日で何度目かの、料理の勉強会。

テーブルの片側にシンジが立ち、反対側にはレイとアスカが並んで立つ。

レイがシンジを下の名で呼び、シンジがレイを下の名で呼ぶ。

シンジがアスカを指導し、アスカがシンジの言葉に耳を傾ける。

「で、刺身を切る場合は、この持ち方から、人差し指は包丁の背に乗せて、中指は刃と柄の真ん中あたりに添えるように。こうすると、刃先がぶれなくて済むから、柔らかいものを切る時なんかにいいんだ」

実際にシンジがやってみせ、それを見ながら二人が真似る。

「・・・こう?」

「でしょ?」

「うん、いいね」

レイとアスカの持ち方をチェックして、シンジはうなずく。

「左手は、猫の手?」

曲げた左手の指をシンジに見せ、確認するレイ。

「うん、包丁で切らないように、指先を丸めてね」

まだ慣れていないレイは、おさらいのため、シンジから教わった事を復唱する。

「左手は猫の手・・・、ニャーン」

「そ、そのニャーンはいいから」

「プッ」

苦笑するシンジに、アスカも吹き出す。

「ニャーン」は、最初に包丁の使い方を教えた際、シンジが言った「ジョーク」らしきもの。

レイは、持ち方を復唱するたびに、「ニャーン」まで続けて言う。

真面目半分、おどけ半分。

一方のシンジは、照れ臭さ半分、ホンワカ半分。

もちろん、本気で嫌がっているわけではない。

レイにしても、それがわかっているからやっている。

「でね、野菜の時とは反対で、魚や肉は包丁を引いて切るんだ」

「引いて切る」

「じゃあ、実際に切ってみようか」

そう言うと、シンジは、まだ指導が必要なレイのそばに立ちながら、説明を続ける。

「まずは、マグロの身を左手で押さえる。力は入れ過ぎないでね、身が崩れちゃうから」

「力は入れない・・・」

「そう、左手の指先は立てて、中指の第一関節に包丁が当たるようにする。それと、刃は少し外側に傾けるように。指を切らないようにね」

「指先は立てて・・・。中指の第一関節・・・、刃は少し外側・・・」

「うん、いいよ。アスカは、もうちょっと左手の力を抜いた方がいいかな」

「あ、うん」

「で、マグロに手元の方の刃を当てて」

「刃を当てて・・・」

「そこから、刃先までスーッと引いて。上から押す感じにならないように気をつけてね」

「刃先までスーッと引く・・・」

「そうそう、その調子で、1cmずつぐらいの厚さで切っていって。指に注意しながら」

「手元から刃先へスーッ・・・、スーッ・・・、スーッ・・・」

わずかにぎこちないものの、レイはマグロの身を等間隔に切っていく。

その手に、包丁を持って。

霊体の時は、なににも触れられなかった手。

しかし、今は触れて、持つ事が出来る。

持てるから使える、使えるから生み出せる。

生み出すための確かな手、肉体がある。

そして、レイの体を包んでいる衣服は、これまでのものとは異なっていた。

戦闘の際のプラグスーツ、普段着としての学校の制服。

どちらも、遊び心などなく、窮屈な印象がぬぐえない。

そんな以前とはすっかり変えようと、アスカとシンジが提案。

そして、最終的には、レイが自分で考え、自分で決めた。

今日の衣服は、

上が、全体にカラフルな模様が描かれた、半袖のブラウス。

下が、ミントグリーンのミニフレアスカート。

上下共に、柔らかくふんわりとしたシルエット。

制服のスカートよりも短い、膝上15センチのミニ。

レイとしては「動きやすそうだから」というのが大きな理由であり、今はまだ、これでシンジを魅了してウフフ、などといった意図の色は、それほど濃厚ではない(全然ないというわけではない)。

そして、大きな違いは、自分という存在に対しての向き合い方にあった。

かつては、エヴァで戦う事しかなかった。

自分にも、世界にも、関心を持たなかった彼女。

しかし、今は違う。

自分という人があるのを知り、自分を愛してくれる人がいると知った。

その体現というべきか、レイが着ているブラウスには、全体に、複数の色で、斜めの線が交わって出来た模様が描かれていた。

これは、「綾模様」と呼ばれる種類のもの。

レイは、名前の一文字を冠する模様がある事を知り、自分の身を包み、自分を見せる服として選んだ。

「うん、いいね」

シンジは、レイが問題なく作業を進めているのを見届けてると、今度はアスカの方を向いた。

「アスカは、もう慣れてきたみたいだよね」

「まかせて」

自慢げに言いながら、アスカは、シンジが見ている中、スムーズにマグロを切っていく。

「スーッ・・・、スーッ・・・」

「うん、やっぱり上手だ」

「へへ、でしょ?」

「でも、気を抜いたら駄目だからね?」

「わかってるわかってる」

エヴァ弐号機パイロットに選ばれ、ネルフのドイツ第三支部に所属していた頃、「たまに」程度ではあるが、アスカも自炊はしていた。

とはいえ、「たまに」程度であったので、料理の腕は「天才」からは遠い。

そもそも、食事に関して、実はレイと五十歩百歩だったのである。

ただし、これはアスカが、というより、ドイツという国が、そうだった。

ドイツ人の多くが食事に求めているのは、単に「空腹が満たされる事」であり、料理に手間をかける機会はほとんどない。

そして、来日する以前は、日本も同様なのだろうとアスカは思っていた。

なぜなら、ドイツで交流のあった日本人というのが、あの、葛城ミサトと加持リョウジだったからである。

なにより、アスカにとって、料理にはあまり良い思い出がない。

母キョウコを失って、間もなく父は再婚した。

継母は、アスカに対して優しく接しようとし、二人で料理を作る事もたびたびであった。

しかし、それは、良き母、良き家族を演じるための手続きに過ぎず、つまりは形式だけのもの。

そして、それはアスカも同じだった。

継母にしても、アスカにしても、相手の顔色をうかがうばかりで、本気で通じ合おうとの気持ちはなかった。

料理の仕方も、ひたすらに表面をなぞるばかり。

そんな歪な環境に疲れ、アスカがドイツ支部の寮で独り暮らしをするようになって以降、自炊は「たまに」程度しか行なわれず、当然、腕前が素人の域を出る事はなかった。

このような経緯から、包丁の使い方も自己流、「ま、こんなもんでしょ。切れてんだから問題なし!」のまま、時は過ぎていった。

しかし、日本へ来て、シンジの作るものを食べてから、変化が起こる。

料理とは、こんなにも美味しく味わえるものなのだと、アスカは知った。

「知っているつもり」と「知っている」には雲泥の差があるのだと、アスカは改めて気づかされた。

そして、今となっては、やはり要領の良さというべきか、それなりの包丁さばきが身についてきている。

でもって、早速、「シンジがビックリするくらい美味しい料理を作って、惚れ直させてやろう」などという野心がムクムクと湧いてきており、頭の中で「グフフ・・・」などとほくそ笑んでいた。

つまりである。

慣れ始めが一番危ないという事だ。

「痛っ!」

「あ、アスカ、大丈夫!?」

慌ててそばへ寄るシンジに、アスカはなんでもないように笑みを返す。

「大丈夫、ちょっとビックリしただけだから」

とは言うものの、左の人差し指には、細いながらも赤い血の線がにじんでいる。

「もう、気をつけなよ?」

「わかってる、はい」

答えながら、アスカは傷ついた人差し指をシンジの方へ向けた。

「自分でやればいいのに」

「いいからいいから」

アスカに促され、シンジは左の人差し指にそっと右手を当てた。

すると、傷は瞬く間に消えていく。

赤はなくなり、元の白い指に。

「はい、これでいい?」

「うん、ありがと、シンジ」

満足そうに、ニッコニコのアスカ。

その様子を見ながら、レイも楽しそうに微笑みを浮かべる。

これまで、このマンションで過ごした日々。

まだひと月にも満たないほどではあるが、それでも、大切な一日一日。

たとえ、「生命の実」によって永遠の命を得ようとも、ただ怠惰に流れるに任せる事などない。

それどころか、かつてよりも充実した時間を感じている。

可能としたのは、「知恵の実」と「精神の実」の力。

ただし、

人類は「実」の力に従属したわけではない。

あくまでも、主たるは人。

人こそが、力を統べる存在としてある。

どれ程の力を得ようとも、自ら経験によって知り、一つ一つ身につけていく喜びまでも放棄する必要はない。

「実」の力を使いこなすという事。

それは、つまりは「使わない」という選択肢も含まれるのだ。

使うべき力は、使うべき時に使えればいい。

だから、料理の勉強会において、シンジは料理を教え、レイとアスカは学んでいる。

また、別の事柄においては、レイやアスカが教え、他の二人が学ぶ。

伝える事、受け取る事。

そこには、楽しさや喜びがあるのだから。

それが、シンジとアスカとレイの幸福。

他の人々にも、それぞれの幸福が。

新たなものを得る幸福。

そして、失ったものを取り戻す幸福。

どちらもが、今、人の手の中に。

 

 

2018年にほえろ!記念SS

「The Hermit」 第9話

 

 

「生命の実」。

それは、肉体や魂を構成する量子の結びつきを強固とするものである。

生物が死に、体が朽ちても、それを作っていた量子自体が消滅するわけではない。

ただ、それぞれの結びつきが壊れ、分散し、体という「かたち」ではなくなるだけ。

これは、魂においても同様だ。

死んだ者の魂は、肉体を離れ、還るべき場所へと還る。

「黒き月」。

リリスが生み出した生命、その魂が生まれ、還る場所、ガフの部屋。

サードインパクトが起きた際に、「黒き月」は破壊され、ガフの部屋もまた、機能を停止する。

そして、生ある者と、死の寸前に綾波レイによって救われた者の魂はL.C.L.と化し、赤い海として眠りの中を漂っていた。

そこには、葛城ミサトや赤木リツコ、そして、戦略自衛隊との戦いで犠牲となった、ネルフ職員達の魂もあった。

しかし、それ以外の魂は、ガフの部屋に残され、時と共に細かく分かれていった。

そして、「黒き月」が破壊された事で、広く空へと散らばっていった。

ただ、再生が不可能というのではない。

散り散りになった魂の欠片を全て集め、統合する事で、復元は可能となる。

そして、「精神の実」と「生命の実」が呼応し、共に力を発揮する事で、死者は魂と肉体を併せ持った存在として、再び地上へと戻る事が出来る。

死んでから時間が経過している者ほど、魂が細かく分散しているため、集めるのは困難となる。

故に、呼び戻したいと望む者の、強い思いが必要となる。

最初に行なわれた復活は、綾波レイの、肉体の再生であった。

リリスの魂から人間の魂へと変質した彼女に対し、肉体の一部としてシンジとアスカのものが分け与えられた。

二人の一部と、強き思いをもって、レイの肉体は再生した。

これを皮切りとして、様々な者達が復活を遂げる。

ユイが、夫であるゲンドウの肉体を再生した。

ゲンドウが、妻であるユイの肉体を再生した。

そして、

アスカは、長く求め続けていた、母との再会を果たす。

アスカの母、惣流・キョウコ・ツェッペリンは、エヴァ弐号機の接触実験において、コアへと取り込まれてしまった。

その後、肉体の回収には成功したものの、魂の大部分はコアに残されたままだった。

そして、わずかな魂だけが宿った状態で、精神を保てずにいたキョウコは、病室で自ら命を絶った。

肉体から離れた魂の欠片は、ガフの部屋へと戻っていたのだが、10年という時の間に、細かく分かれ、サードインパクトの際に空へと散らばってしまった。

賢者の石生成時に零号機のコアへ移した魂と合わせるべく、散らばった全ての欠片を集める。

成功させるには、膨大な労力が、強い思いが必要だった。

それでも、アスカは一人でやり遂げた。

これは、自分がやらなければならない事だから、と。

今度こそは、私がママを救ってみせる、と。

そして、行動の時。

砂浜で片膝を突く零号機を前に、空を見上げ、胸の内に幼き日々を思い浮かべる。

あの頃の、母の姿、声、温かな手を。

ひたすらに、空へと手を伸ばし、引き寄せる。

母の魂を、心を。

目覚めを望む、強き思いをもって。

「・・・ママ・・・」

アスカの胸にある「精神の実」が、赤く、激しく、輝く。

やがて、空から、ひとつ、ひとつ・・・。

集まれ・・・、集まれ・・・、集まれ・・・。

会いたい・・・、会いたい・・・、会いたい・・・。

集まっていく、魂の欠片。

やがて、その全てが、アスカの元へと。

アスカは、零号機のコアにあるキョウコの魂を、欠片と合わせ、ひとつにする。

元のかたちへと、魂が戻る。

「精神の実」の呼びかけに、「生命の実」が応える。

アスカが、自身の、命のエネルギーを注ぐ。

「あ・・・あぁ・・・」

次第に、アスカの前に光が集まる。

徐々にかたちを成していく、光。

それは、想い焦がれていた、懐かしい姿へと。

「マ・・・マ・・・」

「・・・アスカ・・・」

呼びかける声に、声が返る。

涙でにじんでいても、はっきりとわかる。

あの頃のままの、姿。

あの頃のままの、優しい笑顔。

あの頃のままの、ぬくもりを持つ手。

「ママ! ママっ!」

「アスカっ!」

胸に飛び込んできた娘を、キョウコはしっかりと抱きしめた。

懐かしい腕に抱かれて、アスカも強く母を抱きしめた。

そして、繰り返し、母を呼んだ。

これまでずっと、胸の中だけで呼び続けていた。

長く求めていたものに、今、ようやく、確かに触れて。

「アスカ・・・」

キョウコもまた、愛しい温もりに喜びの涙を流した。

目に映るのは、娘の大きく成長した姿。

それでも、あの頃と変わらぬ、自分を慕って呼ぶ声。

もう二度と、得られぬのものと思っていたのに・・・。

しばしの抱擁ののち、ふと、キョウコは遠くを見やった。

感じたのは、アスカを包む、優しいまなざし。

離れた場所から見守っている、二人の男女。

「ね、アスカ・・・」

キョウコは二人に向けていた視線を戻すと、アスカに言った。

「ママに紹介してくれるかしら?」

「え、あ、うんっ!」

アスカは力強くうなずくと、母の手を引いて歩いた。

思わず走り出しそうになるのを、こらえながら。

早く二人を紹介したい。

自分の、とても大切な、二人。

それでも、肉体を取り戻して間もない母を気遣い、アスカはなるべくそっと歩いた。

対して、シンジとレイは、二人に向かって走った。

アスカとキョウコの思いに、応えようと。

間もなく、四人が向かい合って立つ。

「ママ、紹介するわ。碇シンジ、私の恋人よ」

「こんにちは、シンジさん」

「こ、こんにちは」

恋人と紹介されて、少し照れながらも挨拶をするシンジ。

その手が、ごく自然にアスカの手へと繋がれるのを見て、キョウコは微笑みを浮かべた。

「それから、彼女は綾波レイ。私の親友で、彼女もシンジの恋人」

「え? あら、そうなの」

一瞬驚いたものの、アスカの表情を目にすると、キョウコはまたすぐ笑顔になった。

「こんにちは、レイさん」

「こんにちは」

シンジの恋人と紹介されて、レイも少しほほを赤くしながら、挨拶を返す。

その手は、やはり、シンジへと繋がっている。

「二人とも、ユイの面影があるわ。やっぱり親子ね」

「母さんを知ってるんですね?」

「ええ、よく知ってるわ、とても」

「でも、私は違うんです。私は、ユイさんの遺伝子から−」

「ううん」

レイの言葉を、キョウコは優しく止めた。

「レイさんも、シンジさんと同じ。二人とも、ユイから受け継いだものがあるんだもの」

「・・・」

「彼女も、あなたのような娘がいて、嬉しいと思ってるはずよ」

「はい・・・」

笑顔を浮かべ、レイはうなずいた。

そばに立つシンジとアスカからも、賛同の笑みがこぼれる。

「シンジさん、レイさん、アスカをよろしくお願いね」

「はい」

「はい」

 

 

そして、再会を望む者達は、その多くが願いを叶えていった。

 

 

シンジとアスカが巣立った、コンフォート17マンション、11階のA−2号室。

二人の門出を見送った者は、今も、この部屋で暮らしている。

自身の思いによって呼び戻した、彼と共に。

「ただいま、葛城」

「加持君・・・」

彼女の口からあふれた言葉は、彼女を呼び戻した時に、シンジとアスカが送った言葉でもあった。

「おかえりなさい・・・」

 

 

L.C.L.から人のかたちへと戻った人々。

身の内に、大いなる力を宿して。

ただ、自らの力で再会を果たせた者がいる一方で、まだそれが叶わぬ者もいた。

現在からさかのぼり、セカンドインパクト、さらに、それ以前。

遠い過去に失った者との再会を望むものの、充分に力を使えるに至っていない者は、まだ多かった。

そのため、サポートたる、魂の導き手を必要とした。

現世と冥界を繋ぐ道、それを開く者。

役目を自ら申し出たのは、碇ゲンドウであった。

ユイによって復活したのち、ゲンドウはシンジと対面する。

その場にユイはいなかった。

向かい合うは、父と息子の二人。

十数年ぶりの、親子として向き合う時間を、彼らだけで。

ユイは、互いが相手を見る、その目を信じた。

「済まなかったな、シンジ」

サードインパクトの際に発した言葉を、伝えるべき当人へと向けたゲンドウは、しかし、それ以上言葉を続けなかった。

なにも言う事などない。

言えはしない。

目的のため、息子を、息子の人生を、生け贄とした自分なのだから。

もしも、シンジが望むのであれば、今、この瞬間、その手によって切り刻まれようとも、そのまま、死の闇を永遠にさまよおうとも。

それなら、それで構わない。

もう、充分だ。

自分は、自分に出来る事を、ただひたすらに行なった。

そして、

望みは、かなえられた。

「・・・」

シンジも、なにも言わなかった。

黙ったまま、目の前に立つ長身の男を見上げていた。

見上げる。

あの時も、そうだった。

初めて第三新東京市に来た時、初めてエヴァで戦うよう言われた時。

父は、威圧をもって、自分を見下ろしていた。

いくつもの記憶が、連なるように呼び起こされる。

自分を遠ざけ、裏切り、トウジを見殺しにしようとした。

胸が痛くなる。

恐れや、怒りや、悲しみが、膨れ上がる。

痛い、痛い、痛い、痛い・・・。

だが、それでも、

シンジは目を逸らそうとはしなかった。

これまでは、ずっとそうだった。

苦しい感情に流され、見たくないものから目をそらしていた。

それでは、なにも変わらない。

自分はもう、知っている。

母から教えられた、真実を知るための術。

目をそらさず、奥深くへと。

そこに隠れているものを、探して。

「・・・」

苦しみが、徐々に薄れていく。

今すべきなのは、本当に大事な事は、目の前に。

だから、記憶も感情も、しまっておく。

幾重ものベールで包み込んで、存在を意識から遠ざける。

「・・・」

それは、初めての経験だった。

これほど長く、これほど深く、この顔を見つめた事があっただろうか。

なにも語る事なく、ただ時が流れる。

瞳の奥深くを、まっすぐな目で、正面から見据えて。

「・・・父さん」

不意に、言葉がシンジの口をついて出た。

「あの、アダムとの戦いで・・・」

月における激戦。

対したのは、アダムの本能と、ゲンドウの残留思念。

リリスの体を支配したアダムは、相手の隙を突き、エヴァ弐号機からS2機関、そして、レイと、アスカの母キョウコがいる、コアを奪い取った。

それらはアダムの半身に埋め込まれ、ロンギヌスの槍による、卵への還元が始まる。

還元とは、始原への回帰。

アダムが卵へ還ると共に、その身にある、L.C.L.となった人々、レイ、キョウコの魂も、白紙の状態にリセットされるはずだった。

幸い、そのような事態は回避出来た、しかし・・・。

「もし、あの時、戦ったのが本当の父さんだったら、アダムと同じ事をしたと思う?」

シンジは、本人の口から聞きたかった。

自分が感じ取ったものを、確信とするために。

そして、なによりも、彼女達のために。

「たくさんの人達の心が、レイの心が、アスカのお母さんの心が、消えてしまうかもしれなかった・・・。それでも・・・」

「・・・」

シンジが口にした名前に、ゲンドウの瞳が揺れる。

レイ。

ユイから生まれるのが女の子なら、つけようと思っていた名。

「そうだな」

ゲンドウは、素直な思いを口にした。

「多分、それでも俺は、迷いなく同じ事をしただろう」

「・・・そう・・・」

「だが」

「え・・・?」

「そうならなくて良かったと、思っている」

「そう、そうか・・・、うん・・・」

ゲンドウの言葉に、シンジの目からは涙がこぼれた。

自分でも気づかぬうちに、自分では止めようもなく、涙が次々とあふれ出てきた。

「なぜ泣く」

ゲンドウが静かに語りかける。

感情を表わさない声。

しかし、そこに隠れているものを、シンジは感じ取っていた。

言葉の中に揺れていたもの。

瞳の奥で揺れていたもの。

ゲンドウの問いに、シンジは言葉を返す。

「わからない・・・、だけど・・・」

明確な答えはない。

しかし、気づくものはあった。

自分は、きっと、代わりに泣いているのだと。

自分では泣けない、父の代わりに。

「・・・」

わずかな躊躇の後、ゲンドウの手は、シンジの肩へと置かれていた。

初号機の事故で母を失い、悲観に暮れていた幼子。

そんな我が子へ伸ばせずにいた手が、やっと。

「・・・」

シンジは、熱くなる胸に驚きを感じていた。

自分は、こんなにも望んでいたのか。

こんなにも、このぬくもりを求めていたのか。

そして、父もまた、同じ想いで・・・。

「・・・」

シンジの嗚咽に、ゲンドウは沈黙を通した。

ただ、肩へと置いた手に、力を込めて。

「・・・」

互いに触れ合い、しばらくののち、二人は離れた。

ゲンドウは、短く言う。

「もう行く」

「・・・うん」

ゲンドウは、自身の役目を果たすべく、旅立とうとしていた。

人々の魂が散らばる空へ、再会を望む者が欠片を集めるための、導き手となるために。

役目を申し出たのは、ただ、自身の心に従ったからだ。

贖罪などと言うつもりはない。

俺に資格があるとも思えない。

それでも、これは自分がすべき事だ、そう思えた。

俺はもう、救ってもらった。

妻に、そして、息子に。

ならば、

今度は、俺の番だ。

 

 

「ゲンドウ、本当に、一人で行くの?」

「ああ、お前は、シンジやレイのそばにいてやってくれ」

「でも・・・、ううん、そうね・・・」

「シンジの許しを得て、全ての魂を救い終えたら、必ず帰る」

「必ず?」

「待っててくれるか、ユイ?」

「もちろん・・・、これまで、ずっと待たせてきたんだもの、今度は私の番」

「必ず帰る。そして、今度こそ・・・」

「ええ、今度こそ・・・」

 

 

「大変だよね、全ての人の魂を救うなんて・・・」

「ああ」

「でも、終わったら帰ってくるよね? 母さんも、待ってるから」

「ああ」

「うん」

短く答えるだけのゲンドウ。

それでも、シンジは晴れやかな笑顔でうなずく。

その胸には、熱い想いと確信があった。

帰ってきたら、今度こそ、本当の家族に・・・。

「あ、それと、リツコさんの事は大丈夫?」

「・・・」

「・・・」

「・・・逃げちゃ駄目だ・・・」

「え、なにか言った?」

「いや、問題ない」

 

 


 

 

「で〜きたっと! うんっ、実に見事な出来栄え!」

テーブルに並べた料理を見て、アスカは満足そうに腕組みをしながら言った。

「でも、ちょっと作り過ぎたかも」

と言うレイに、シンジは笑って答える。

「二人とも、かなり上達してきたしね。色々作りたいって思うのは、いい事だよ」

シンジの言葉に、アスカとレイも同調する。

「そうなのよねぇ〜、なんか、作ってるうちに「あれもこれも」ってなっちゃって」

「私も、色々食べられるようになったし、どれも、とっても美味しいし」

「それに、いくらだって食べられるし、なんたって、いくら食べても太らないってのがいいじゃない♪」

 

=今夜のメニュー=

鶏肉と半熟玉子の親子丼

チーズ風味のクリームシチュー

ロールキャベツ

海老の天ぷら

ぶり大根

牛筋の煮込み

マグロとホタテの刺身

茶碗蒸し

ほうれん草のごま和え

トマトとレタスのサラダ+イタリアンドレッシング

わかめと豆腐の味噌汁

 

まさに「あれもこれも」な品揃えだが、どれもなかなかの出来栄えだ。

「じゃあ、食べようか」

シンジが言い、三人でテーブルに座る。

器の中身は、どれもが「出来立て」にキープされており、最初に作られた温かい料理も、冷める事なく、白い湯気を上げ続けている。

「「「いただきます」」」

挨拶を済ませ、早速食べ始める三人。

アスカも、シンジも、そして、レイも、自分達の手で作った料理を、舌で味わい、心から楽しんだ。

「うん、やっぱり、どれも美味しい。二人とも、ずいぶんと腕を上げたね」

「本当? 嬉しい」

海老の天ぷらを食べながら、レイが笑顔で言う。

「レイは包丁さばきもなめらかになってきたし、アスカも味付けが細やかだしね」

「まあね、なんか、作るたびに美味しくなってんじゃない?」

言いながら、アスカは2つめのロールキャベツに手を伸ばす。

「調理ももちろんだけど、材料がかなりのポイントだよ」

「そうね、もうほとんど本物だもの」

「その辺も含めて、かなり上達してるわよね」

「ねえ、初めて一緒に作った牛肉さ、あれ、覚えてる?」

「もちろん、あれは笑ったわ」

「初めてだから仕方ないんだけど、それにしても、あのステーキは驚いたなぁ」

「ふふっ、食べる部分で味が違ったりして」

「僕が食べたところは、なんか草みたいな味がした。多分、牧場からの連想なんだろうけど」

「私のところは牛乳だった。で、レイのが、確か」

「チョコレート」

「そのチョコレートってのが謎よね。なんでチョコレート? だれが考えてああなったんだろう?」

「まあ、あれはあれで面白かったけどね、スリルがあってさ」

 

 

「SFの父」と呼ばれるフランスの作家、ジュール・ヴェルヌは言った。

“ 人間が想像出来る事は、必ず人間が実現出来る ”

この言葉が予言であったのか否か、本人へと尋ねるより他はないが、少なくとも、事実を言い表わしていたのは間違いない。

「知恵の実」。

それは、具現へと向かうためのものである。

「知恵の実」が「精神の実」と呼応する事によって、イメージは強化され、実体として構成される。

かつては、身の回りに存在している物質を素に、手ずから作り出すしかなかった

しかし、今や、想像を実体とする事が可能となった。

シンジ達が作った料理。

それらに、実際の動植物は用いられていない。

すべての食材は、三人によって「作られた」ものだ。

人は、「生きるために食べる」という束縛から解き放たれた。

ただ純粋に、作る喜び、味わう喜びのために、「食べる」という行為は行なわれるようになった。

他の生命を奪う必要はない。

動物も、そして、植物も。

変化をもたらしたのは、必要か否か、それだけが理由ではなかった。

「精神の実」によって心の力が増幅される事で、世界が違って見えるようになった。

これまで存在するのに見えていなかったものが、見えるようになった。

確かに、動物と人間では違う。

植物のそれは、人間や動物とは大きく異なっている。

しかし、それでも、

動物も植物も、意識を持ち、思考や感情を持っている。

たとえどんなに小さくとも、確かに、心がある。

そこに優劣などない。

どちらが上でもなく、下でもない。

人は、感じ取ったものに対し、考え、行動した。

地球は、今後、生態系を大きく変える事になるだろう。

生命維持のシステムそのものが、動植物も含め、根底から変わるだろう。

人の社会も、大きく変わっていく。

それは、遠い先の話ではない。

 

 

「ね、もう少し上達したら、ヒカリ達も呼んでパーティーでもしない?」

「うん、いいね」

「みんな、喜んでくれるかな」

「もちろんよ!」

 

 


 

 

人類補完計画。

進化的に行き詰り、いずれは滅びを迎えるであろう人類を救済するためのもの。

ゼーレのそれも、ゲンドウのそれも、核となる意図は同じであった。

共に成就しなかったのは、時の采配に過ぎない。

そして、全てが無駄だったわけでは、決してない。

ゼーレという存在がなければ、ゲンドウもユイも、行動を起こす事などなかった。

そして、ゲンドウの行動がなければ、賢者の石は生まれなかったかもしれない。

すなわち、再生したアダムとの戦いである。

レイの離反により、レイと、胎児のアダムを宿したゲンドウの右手だけが、リリスに取り込まれた。

それがために、サードインパクトののち、リリスの体を乗っ取ったアダムが復活した。

あの月での戦いが、アスカ、レイ、シンジ、ユイ、それぞれの繋がりを強固とする大きな一打となった事は間違いない。

また、シンジが戦いの中で聞いた、アスカの言葉。

 

 

--- シンジ、お願い・・・、助けて・・・ ---

 

 

あの言葉に気づかなければ、シンジはレイの魂を変える術に辿り着かなかったかもしれない。

過ちや苦しみからも、得られるものがある。

必要なのは、痛みに惑わされず、求め続ける事。

手がかりとなるものは、確かにある。

この世界の、至る所に。

三つの「実」の力。

前へと進む者の支えとなる杖を、人類は手にした、

争いは、まだ残ってはいるものの、わずかな残り火に過ぎなかった。

もはや、暴力や破壊による「解決」など、一時のごまかしにもならず、是非を問う価値すらない。

そして、

死からも、人類は解放された。

冥界への道は開かれ、一方通行ではなくなった。

これまで死んだ者達の多くも、徐々にこの世界へと戻ってきている。

生ある者を導いたのは、碇ユイ。

彼女は、しかし、多くを伝える事はしなかった。

自分達が存在する世界について、第一始祖民族や三つの「実」についての基本的な情報と、現在に至る経緯のみを伝えるにとどめた。

無論、より多くを知る事は、その者が望みさえすれば可能だ。

知識への道は、常に、誰にでも、開かれている。

これらの事を伝えた上で、最後にユイは、ただひとつを問うた。

 

 

あなたは、なにを望むの?

 

 

なにを望むのか?

人々は、繰り返し、繰り返し、自らに問う事となる。

心の表層を突き抜け、奥深くへと踏み入って。

「実」の力は、答えを与えてはくれない。

答えは、自ら求め続ける者の前にのみ、姿を現す。

残り火は、いずれ消える。

あるいは、永遠に消える事はないのかもしれない。

残り火がくすぶっているのは、人が怒りや憎しみ、悲しみを、失ってはいないからだ。

これらの感情もまた、切り捨てる事の出来ない、人の心の一部としてある。

ただ、飲み込まれるのではなく、乗り越えるからこそ、さらに前へと進む事が出来る。

恐れる事はない。

心が真に望むものを、見失わなければ。

たどり着くには、いまだ、いくらかの時間を必要としていた。

それでも、すでに人類には見えている。

目的の地が、鮮明な形で。

これまでの、余りにも長きに渡る停滞が嘘であったかのように、人類はやり遂げるだろう。

そして、改めて気づく。

あまりにも当たり前な、はるかな昔から存在していた、事実に。

誰もが笑っていたいのだ、という事に。

残り火は、もう、業火となる事はないだろう。

 

 


 

 

「こんちは〜っ!」

「こんにちは〜」

「いらっしゃい。あれ、ケンスケは一緒じゃないの?」

「あいつは、あとからワシの妹と来るわ」

「そう、じゃあ、上がって」

「おじゃまします。あ、綾波さん、こんにちは」

「こんにちは、洞木さん、鈴原君」

「おおっ、綾波のエプロン姿っ! えらい似おうとるやないか!」

「うん、かわいい!」

「ありがとう、これ、アスカとおそろいなの」

「いらっしゃい、ヒカリ!」

「こんにちは、アスカ。今日はお招きありがとう」

「おう、惣流もエプロン姿か! なんや違和感あるけど、それなりに似おうとらん事もないな」

「うっさいわね」

「なにか手伝える事ある?」

「ありがとう。じゃあ、サラダ作ってくれる?」

「レタスはアスカが切ってあるから、洞木さんはアボカドとアスパラガスを。あと、ドレッシングもお願い」

「あっ、そうだ! ドレッシングは、前にヒカリのお姉さんが作ってくれたのって出来る?」

「ええ、出来るわよ」

「あれ、すっごくおいしかったから、あれがいいな」

「まかせて」

「鈴原君は、出来てる料理や食器をテーブルに運んでくれる?」

「おう、やったるで!」

 

 

ある日の昼前、三人が住むマンションでは、ホームパーティーの準備が進められていた。

到着したヒカリとトウジも、手伝いに参加した。

ヒカリは、慣れた手つきで野菜を切る。

トウジは、テーブルへせっせと料理や食器を運ぶ。

彼の左脚は、失われる以前の状態を取り戻している。

 

 

キッチンでは、すでに来ていたユイとキョウコが、包丁を手に作業していた。

「もうずいぶんと久しぶりだから、すっかり腕が鈍っちゃってるわ。キョウコはどう?」

「私も。もともと料理は得意じゃなかったし、細かな事があれこれ頭から抜けちゃってて」

「それね」

そんな二人に、サポートが二人。

「「私達が、教えます」」

アスカとキョウコは、牛肉を切っていく。

「ママ、肉は繊維と垂直に切ると、食感が柔らかくなるの。繊維に沿って切ると、噛む力が4倍もいるんだって」

「へえ、そうなの、知らなかったわ」

「まあ、私も最近知ったばかりだけどね」

ユイとレイは、ニンジンを切っていく。

「ニンジンは、回しながら斜めに切るようにしてください」

「角切りじゃなくて?」

「ええ、乱切りの方が表面積が大きくなるから、早く煮えるし、味も染み込みやすくなるんです」

「切り方一つでも、違うのね」

キョウコもユイも、嬉しそうに、娘からの手ほどきを受けている。

 

 

「へ〜っ、これが三人の愛の巣か〜♪」

「三人での暮らしはもう慣れたかい、シンジ君?」

「ええ、なんとか。加持さんとミサトさんは?」

「ふふふっ、そりゃあもうラブラブよんっ♪ で、寝室はあっち?」

「待て待て待て待て!」

「ほんっっと、相変わらずですよね、ミサトさん」

「一番成長してないよな、全人類の中で」

 

 

「悪い、遅れた」

「こんにちは、おじゃまします」

「やあ、ケンスケ。こんにちは、ミカちゃん」

「こんにちは、碇さん」

トウジの妹、ミカと挨拶を交わすシンジ。

直接会うのは、まだこれで2回目。

そのせいか、自分に向けて、元気な姿で屈託のない笑顔を見せるミカに、シンジは胸が熱くなる。

転校初日、トウジに殴られた。

エヴァと使徒の戦いで、妹が怪我をしたと。

なのに、彼女は恨むどころか、「私達を救ってくれたのは、あのロボットなのよ」とトウジに説教をしたのだと、ケンスケから聞かされていた。

まだ小学校低学年だというのに、ずいぶんとしっかりしている。

「こんにちは、相田君、ミカちゃん」

「綾波さん、こんにちは」

「おおっ、綾波のエプロン姿っ!」

「それ、鈴原君も言ってた」

「それにしても、どうして遅くなったのさ?」

「いやあ、トウジ達と一緒に出ようとしてたんだけど、うっかりビデオカメラのディスクを切らしちゃってて。俺も、早く自分で「作れる」ようになりたいよ」

「ビデオ?」

「せっかくのパーティーだしさ。それになんたって、そのあとの一大イベントがあるじゃないか」

「ああ、それでか」

「それで、ミカちゃんも一緒にディスクを買いに?」

「はい」

「いや、俺はトウジ達と一緒に行けばって言ったんだけど、どうしてもって言うもんだからさ」

「仲がいいのね、二人とも」

「はい♪」

ミカは、ケンスケに相当なついている。

小学校低学年に説教される兄とは異なり、時折、14歳らしからぬ大人びた物言いや、鋭い人間観察の才を見せるケンスケに、惹かれるものがあるらしい。

一方のケンスケも、ミカに対しては好感をもって接している。

とはいえ、あくまでも「可愛い妹」として。

今のところは。

いずれは、二人の関係にも変化が現れるかもしれないが。

 

 

皆が揃い、食事の準備も完了した。

テーブルには、たくさんの料理や飲み物が所狭しと並んでいる。

参加者のリクエストを闇雲に採用しているので、実に「あれもこれも」となっている。

だが、どんなに多くても、残さず食べるからOKだ。

 

=パーティーのメニュー=

牛ステーキ

ニンジンと大根の煮物

レタスとアスパラガスとアボカドのサラダ+洞木コダマ特製ドレッシング(洞木ヒカリ作)

若鶏とキノコのクリーム煮

たこ焼き

お好み焼き

生春巻き

握り寿司

ペンネ・アラビアータ

サラミとトマトソースのフラムクーヘン(ドイツのピザ)

フィンケンヴェルダー・ショレ(カレイのソテー+ベーコンソース)

チーズフォンデュ

海老グラタン

五目焼きそば

ジャーマンポテト

マドレーヌ

アップルパイ

かに玉スープ

レモンティー

オレンジジュース

コーヒー

ビール

 

「まずは乾杯でもしようか」

パーティーの始まりに、シンジが提案する。

「せやな」

と、すでに料理の皿を手にしながら、トウジ。

「じゃあ、こうしてみんなが集まった記念と、このあとの作業の成功を祈って」

と、ビデオカメラを回しながら、ケンスケ。

そして、

「「「「「「「「「「「乾杯!」」」」」」」」」」」

声を合わせてから、皆は思い思いに料理を食べ始めた。

 

 

ケンスケが、料理を食べながら、ビデオカメラを回す。

そのうしろをついて回りながら、ミカがテーブルからケンスケの料理を確保する。

 

 

「ほら、シンジ、これも食べてみて」

「うん、これも美味しい。母さんの料理、何年ぶりだろう」

「そうね・・・」

「でも、今こうしてまた食べられたから、嬉しいよ、とっても」

「ええ、そうね・・・。ね、シンジ?」

「なに?」

「私も、これからいろんな料理にチャレンジしてみようかしら、あなた達に負けないくらいに」

「うん、楽しみにしてる、母さん」

 

 

「うまいうまい! うまいうまいうまい!」

「もっと落ち着いて食べなよ、トウジ」

「いやあ、口がもう2、3個欲しいわ!」

「鈴原ったらもう、口の周り汚れてるよ、ほら」

「むぐむぐ」

「ヒカリってば、相変わらず世話女房してるわね」

「な、なに言ってんのよ、アスカ。そんな事ないってば」

「そんな事あるって思う人〜」

「「「「「「「「「「は〜い」」」」」」」」」」

「ま、満場一致、って、なに鈴原まで上げてんのよ!」

 

 

「どっぷぁあああ!」

「あ、やっぱりやるんですね、それ」

「家でもやってるんだよ、これ。カップラーメンとレトルトカレーの不気味なコラボ」

「もちろん、せっかく用意してくれたんだもん」

「してくれた、って、ミサトさんが強力にリクエストしたんじゃないですか」

「味の好みってのは変わらんのかな、悲しいかな」

「いいじゃない、好きなんだから」

「まあ、ミサトさんが好きっていうんなら、いいですけど」

「ね〜っ♪ シンジ君も食べる?」

「あ、僕は大丈夫です」

「あらそう? 加持君は?」

「聞くなよ」

「ミサトさん、なに食べてはるんです?」

「あ、鈴原君も食べる?」

「えっ、いいんでっか!? いただきますっ!」

「いや、トウジ、やめといた方が・・・」

「・・・お、いける! これはなかなか乙な味してますね!」

「でしょ〜っ!?」

「え、トウジ、本気?」

「当たり前や。なんちゅうか、クセになる味っちゅうか」

「そうそう、鈴原君、わかってるわね!」

「あの、葛城さん・・・」

「ん、洞木さん、なに?」

「それの作り方、教えてくれませんか? 知りたいです」

「え、委員長、正気?」

「ただのカップラーメンに、レトルトのカレーかけただけだろ?」

「なに言ってんのよ、加持君! それはそうなんだけど!」

「そうなんじゃないか」

「そうなんだけど、それだけじゃないの! どのラーメンとカレーがいいか、スープとお湯はどれだけの量がいいかとか、絶妙な味の組み合わせを求めて、吟味に吟味を重ねた結果なのよ、これは! どうって事ないように見えて、実はすっごく奥が深いんだから!」

「単純でいて複雑か。世界の深遠を覗いた気分だ」

「まあ、味の好みは人それぞれだから、トウジが食べたいんなら、それで」

「そうよね〜っ、シンジ君! ね、食べる?」

「あ、僕は大丈夫です」

 

 

パーティーは踊る。

皆が味わい、語り合い、喜びの時間を回す。

この世界を喜びで満たすために、人は、世界を回す、世界で踊る。

 

 


 

 

ホームパーティーは盛況の内に幕を閉じ、そののち、ケンスケ言うところの「一大イベント」へと移行した。

パーティーの参加者達は、二人を除き、マンションに今も留まっている。

ケンスケとミカは、ビデオカメラを上空に向けて設置するため、外へ出ている。

同じ場所に集まる必要はない。

誰もが皆、思い思いの場所にいる。

しかし、すでに、

作業に携わる者全てが、

地球の全ての人々が、

1ヶ所に集まっていた。

人類全てが共通とする、集合的無意識の中に。

この領域には、これまでも何度か集まる機会があった。

そのたびにシンジ達は、このミクロコスモスにある無数の光が、より強く、より確かな輝きを放っているのを感じていた。

一人一人の、光。

それそれが異なる色を持ちながら、共通する部分を持つ。

輝きの中心、核となるところ。

シンジ、アスカ、レイは、それらの核を束ねる、更なる核としての役割を担う。

これから行なう作業は、何度目かの、未来へ向けての訓練。

地球を、地球で生きる命を、守るためのもの。

そして、前へと進んでいくためのもの。

三人の胸の中にある「精神の実」が、赤く輝きだす。

シンジがアスカと、

シンジがレイと、

アスカがシンジと、

アスカがレイと、

レイがアスカと、

レイがシンジと、

繋がる。

点から線へ。

そして、広がる。

人が人と、人が人と、人が人と。

人から人へ、人から人へ、人から人へ。

人と人とが繋がっていく。

点から線へ。

線から面へ。

繋がり、広がり、繋がる。

やがて、全ての人々が、ひとつになる。

 

 

「精神の実」。

それは、心が持つ力を増幅するもの。

心が心を、より深く感じ取る。

自分以外の無数の心に、違う部分、そして、同じ部分があるのを認識する。

より深く他を知り、より深く己を知る。

自分とは違う存在。

他人とは違う存在。

けれど、誰にも、共通する「思い」がある。

感じ取ったものを潜在意識から顕在意識へと浮かび上がらせ、自身の「決意」へと結びつける。

守りたい。

自分だけじゃなく、皆の中にもある、同じ「思い」を。

 

 

集合が、2つに分かれていく。

1つは、ATフィールドを展開。

巨大な防護壁。

数十億もの力を集め、地球全体を覆うほどの。

もう1つは、意識をはるか宇宙へ飛ばす。

距離にして、およそ1億5000万km。

アポロが乗る金の馬車、太陽を捕らえる。

灼熱を突き抜け、数十億もの力が目指すは、黒点。

現在は、大きな動きは見られない。

しかし、備えておかなければならない。

いつの日にか発生する、「スーパーフレア」に。

太陽面で発生する爆発現象「フレア」。

黒点付近に蓄積された磁気エネルギーが解放され、プラズマや高エネルギー粒子、放射線などを放出する。

小規模のものは毎日のように発生しており、特に問題はないのだが、規模が大きくなれば、当然、影響も大きくなる。

太陽風に運ばれたプラズマなどが地球に到達した場合、磁気嵐によって電力や通信システムに障害が発生する。

それでも、磁気圏やオゾン層というバリアに守られているため、生物への影響はほとんどない。

しかし、およそ千年に一度の割合で発生する「スーパーフレア」ともなれば、話は違う。

「スーパーフレア」は、通常の「フレア」の100〜1000倍もの規模になり、太陽風は、より強大なエネルギーを持つ「太陽嵐」として猛威を振るう。

もしも、最大級の「スーパーフレア」が発生したなら。

もしも、それが地球を直撃したなら。

これまで地球を守ってきたバリアはあっけなく破壊され、地上は様々な脅威に、文字通り、さらされる事となる。

それを、防ぐ。

かつての人類であれば、まるで想像の外。

しかし、今は違う。

そのために必要な力が、確かにある。

あとは、成すべきと、望むのみ。

心から、強く望む。

そのための「精神の実」が、人の胸にはある。

 

 

守る力が、地球を包む。

動かす力が、太陽へと向かう。

距離も、真空も、高熱も、妨げとはならない。

手を伸ばし、黒点へと意識を向ける。

なにを成すべきか。

自分は、なにを望むのか。

我々は、なにを望むのか。

心を強め、イメージを強める。

守るためだけではない、前へと進むために。

「スーパーフレア」から逃れるだけなら、ATフィールドで地球を覆いさえすれば良い。

あるいは、地球を離れるという選択肢もある。

しかし、それはその場しのぎに過ぎない。

いつの日か、地球を離れる時が来るのかもしれない。

だとしても、宇宙に出たならば、無数の危険が姿を現す事になるだろう。

だから、

逃げるのではない、立ち向かうために、力を使う。

これは、そのための訓練なのだ。

やがて、

黒点に変化が現われる。

ほんのわずか、縮小を始める。

「スーパーフレア」の発生していない、今はまだ、実践の時ではない。

だから、わずかにとどめる。

精密に、繊細に、力を制御する。

力を統べる、正当なる主たらん。

その決意が、常に、己の中心にあるという証に。

 

 

成果を確認し、黒点を元に戻す。

地球への影響がない事を確認し、ATフィールドを解除する。

訓練は終わった。

人々の胸に、赤く、熱い、火がともる。

自分の成し遂げた事。

全ての人々と共に成し遂げた事。

その達成、その高揚は、未来の期待へと繋がっていく。

「ありがとう、みんな・・・」

そして、

人は、それぞれの生活へと戻っていった。

ひとつから分かれ、一人一人が、個々の喜びへと。

必要があれば、また集まろう。

その時が来たら、またいつでも。

 

 

 

 

 

「!?」「!?」「!?」

 

 

 

 

 

突然、シンジ、アスカ、レイは、雷に打たれたような衝撃を感じた。

意識へと、強く届いたものがある。

呼んでいる。

誰かが。

三人は、届いた「声」の源をたどり、ある場所を心に思い描いて、飛ぶ。

次の瞬間、着いた場所。

そこは海だった。

今はかつての青さを取り戻した、海。

その膨大な水の広がりが、シンジの記憶を呼び覚ます。

あの時、目の前にあったのは、湖だった。

第16使徒アルミサエルとの戦いにおいて、自爆したエヴァ零号機。

その爆発によって生じたくぼ地に、芦ノ湖の水が流れ込んで出来た、湖。

あの湖は、都市の再生と共に、姿を消している。

場所が違う。

けれど、あの時と同じだ。

シンジが初めて出会った時の学生服姿で、彼はいた。

「カヲル君・・・」

渚カヲル。

最後の使者。

「また会えて嬉しいよ、シンジ君」

「うん、僕もだよ・・・」

シンジは感慨を声ににじませる。

「いいね・・・」

「え?」

「今の君の顔。とてもいい笑顔だ」

「え、そ、そう?」

「楽しいかい?」

「うん、楽しいよ、毎日」

「そうか、本当に良かった。見たかったんだよ、僕は、君のその笑顔が」

そう言って、柔らかな微笑みを見せるカヲル。

「うん・・・」

シンジは嬉しそうに答える。

思い返せば、あの湖での出会いから、ネルフ最深部、ターミナルドグマでの別れまで、自分はずっと、彼に返せていなかった。

彼は、いつも笑いかけてくれていたのに。

今、心からの笑顔を彼に見せる事が出来て、とても嬉しい。

と、

ひたっているシンジの脇腹を、アスカがツンとつついた。

「あ」

我に返ったシンジが、問いかける。

「でも、いったいどうしたの、カヲル君?」

「もちろん、君に会いに来たんだよ。そして、君達にもね」

カヲルは、アスカとレイにも笑顔を向けた。

「惣流・アスカ・ラングレー君、僕の事、覚えてるかな?」

「え、ええ・・・、えっと・・・」

「あまり覚えていなくても仕方がないよ。君はあの時、とても疲れていたからね。精神エネルギーが不足した状態だったから、必要最低限の事しか伝えられなかった」

「・・・」

「それに、僕が話すより、キョウコさん、お母さんと話す方が、君にとっては良いだろうと思ったしね」

ぼんやりと、だが、確かに覚えている。

サードインパクトが発動した際、意識の中に彼が現われ、なにかを自分に話していった。

その内容は、不思議と覚えていない。

けれど、あの時会ったのは、間違いなく彼だ。

「でも、本当は謝りたかったんだ。君の弐号機を勝手に動かして、ゴメンって」

「ええ・・・」

なんと答えて良いやら、アスカが迷っているうち、カヲルは次に、レイへと目線を移した。

「綾波レイ」

「・・・」

「君は僕と同じだった」

「・・・」

「でも、今はずいぶんと変わったようだね」

感慨深げに言い、続けて、カヲルは尋ねた。

「痛かったかい?」

「え?」

「変化とは、痛みを伴うものだからね」

「・・・ええ」

レイの胸に甦る痛み。

自分には賢者の石が生まれない、その事が明らかになった時の、絶望。

シンジやアスカを悲しませた事への、悔恨。

そして、それでも、と、激流に抗った、切望。

「うん、でも、だからこそだ」

カヲルはレイから目を離すと、顔をわずかに上げる。

そして、眼前を広く眺めながら、語りかけた。

三人に対してだけではなく、この地球にいる全ての人々の上に、大気を振動させ、声を降らせた。

「おめでとう」

「これまでヒトは、痛がりな心を抱えて生きてきた。常に痛みを感じながら、それでも生きてきた。辛くても、耐えながら」

「それがヒトの強さであり、同時に、弱さでもある」

「でも、ヒトは痛みからは決して逃げ切る事が出来ない。痛みは、人の心の一部だから」

「だから、乗り越えるしかない。そのための助けとなる力、『精神』の力を、ついに・・・」

カヲルは胸に手を当てる。

「君達は、手に入れたんだ。第一始祖民族が得られなかったものを」

心の強さとは、痛みを忘れる事ではない。

痛みを恐れず、されど、忘れず。

弱さに屈せず、痛みを知り、痛みから学び、そして、乗り越える、これこそが。

しかし、

第一始祖民族は、そうではなかった。

彼らは互いに争い合い、長引く争いは、心の痛みを増大させていった。

戦いを続けるために、なにより、痛みを恐れるがゆえに、彼らは心から痛みを消し去った。

そして、忘れた。

自身の痛みも、他者の痛みも。

それにより続けられた争いは、限度を失い、その果てに、逃れ得ぬ滅びへと突き進んだ。

ゼーレとゲンドウの進めた、2つの補完計画。

どちらもが潰えた事に理由があるとしたら、その点なのかもしれない。

ゼーレは、全てを白紙に戻すべく、心そのものを消そうとした。

ゲンドウは、心を守るという目的を持ちながら、達成へと邁進するあまり、人を駒として扱うべく、心の存在を無視した。

もしも理由があるとしたら、それなのかもしれない。

心の弱さにばかり目を向け、もうひとつの側面に思いが至らなかった。

しかし、

人類は可能性を捨てずにいられた。

心に痛みを残したまま、弱さと強さの間で激しく揺れ動きながら、それでも、進んできた。

そして、

ようやく、ここまでたどり着いた。

「これからも、人類は変化のための痛みを負う事になるだろう。でも、もう大丈夫」

カヲルはシンジ達に、そして、言葉を受け取る人々に告げる。

「君達は、ヒトを超えた存在になった」

カヲルの言葉を受け継ぐように、空全体を振るわせるほどの音が聞こえ始めた。

日の出を思わせる、輝かしく、高らかな響き。

 

 

 

リヒャルト・ストラウス作曲、「ツァラトゥストラはかく語りき」

序奏

 

 

 

トランペットの音、ファンファーレ。

続いて、弾けるような合奏と、ティンパニの連打。

ここまでが、力強さを増しながら、3度繰り返される。

「安心して、僕はガブリエルじゃないから」

ニッコリと微笑みながら、カヲルが言う。

「うわ・・・」

「・・・」

引き気味のアスカと、少々引き気味のレイ。

「ガブリエル、って?」

きょとんとするシンジだが、繋がったレイとアスカからの情報に、納得しつつ苦笑した。

新約聖書、ヨハネの黙示録に書かれた、「最後の審判」。

その始まりを告げるラッパを吹くのは、大天使ガブリエルだといわれている。

「さて、閑話休題」

そう言うと、カヲルは話を始める。

「君達、人類の眼前には、広大な世界が広がっている。そして今や、そこへと踏み出すための強靭な『生命』も、膨大な知識も」

「知識って、あの集合的無意識にある「断片」の事?」

尋ねるシンジに微笑みを向けながら、カヲルは首を横に振る。

「いや・・・、あれは、目的のために抽出された、限られたものに過ぎないよ」

第一始祖民族が送っていた「断片」は、自分達と賢者の石についての情報であり、彼らが持つ知識のほんの一部でしかない。

これまでに人類が生み出してきたもの。

その多くは、「断片」の不確かな輪郭を、かすかに灯る「知恵の実」という明かりで照らしたもの。

求める思いにより湧き出した、わずかな欠片を、地道に拾い集めたもの。

だが、

深遠なる宇宙のどこか、あるポイント。

「断片」が送られた道筋をさかのぼり、源へと至れば、そこには、比べようもなく膨大な。

「この世界は広大だ」

「人類は、世界を渡るための翼を得た。どこへでも自由に行き来出来る、あらゆるものを自由に生み出せる」

「でも、もうわかっているはずだ」

「3つの「実」の力は、君達を助けはするけれど、君達を動かすわけじゃない」

「力があるというだけでは、ただ「可能性」にとどまっているに過ぎない」

「動くのは、動かすのは、あくまでも君達自身だ」

「目指す先へと、果てなく歩んでいくための、『生命』の力」

「膨大な知識を集め、大輪の花へと開かせるための、『知恵』の力」

「これらの発現に必要なのは、手を伸ばす事、より深く「知ろう」とする事だ。自分がなにを望むのか、自分になにが出来るのか、「知りたい」と、問いを、答えを、自身の内に強く求め続ける事だ」

「その思いを後押しする『精神』の力が、今、君達の中にはある」

「力は、君達が動き出すのを待っている」

「ただひたすらに、心を奥深く見つめて、心が発する声に耳を澄まして」

「そうすれば、答えがわかる。なすべき事のために、力は応えてくれる」

 

 

これまで響いていた曲が消え、別の曲が流れ始めた。

それは、複数の人が合わせる声。

 

 

 

歓喜よ!

 

 

歓喜よ!

 

 

 

「もう、まがいものの自由など不要だ」

「生の苦しみを忘れるための自由。死の恐怖から目を逸らすための自由。他の犠牲なしには得られぬ自由・・・」

「そんな偽りに妥協する必要はなくなった」

「そう・・・、君達は、真に自由の行使者となったんだ」

 

 

 

ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲、「交響曲第九番」

第四楽章、「歓喜の歌」

 

 

 

大勢の声が、ひとつに重なる。

 

 

歓喜よ、美しき神々の火花よ

楽園エリュシオンの娘よ

我らは火に酔いしれ

汝の神殿へと歩を進める

 

 

 

「これまでもずっと、広い世界も、幾多の情報も、君達の前にあった」

「けれど、それらは隔てられていた。不自由な心が自ら発した、霧によって」

「触れる事が出来たのは、限られた、自ら手を伸ばし続けた者だけ」

「それでも、長き時に渡り、人は様々に生み出してきた」

「その中には、人にしか生み出せないものも、数多くあった」

 

 

「歌は心を潤してくれる。リリンの生み出した文化の極みだよ」

 

 

「交響曲第九番」と「ツァラトゥストラはかく語りき」。

2つの曲が、同時に響く。

人々の胸に、それぞれが響く。

「人は外から自身へと流れ込んできたものを、ある時は大いなる啓示として、ある時は内なるものを発するための手がかりとして、受け取り、形にしてきた」

「生み出された全ては、人という存在があればこそだ。生み出されたものは、生み出す者がいたからこそ、この世界に現れる事が出来た」

少しの間、カヲルは言葉を止め、耳を澄ます。

「どちらもいい曲だ、そう思わないか?」

 

 

「そして、もはや阻むものなどない」

「君達は、霧をなぎ払う力を得た」

「望む心が伸ばした手、それを遮るものは、もうない」

「そして、目は、耳は、鼻は、口は、開かれる」

「人は、受け継いだものを手に取り、そこから新たに創造出来る」

「そう、人類こそが、これからの世界の創造者となる」

「もちろん、なにものも強制などはしない。あくまでも君達が望むのであれば、だ」

「君達の、心が望むままに」

「誰もが、強く望みさえすれば」

 

 

 

おお、友らよ、これらの曲ではなく

もっと心地よい曲を歌い始めようではないか

もっと歓喜に満ちあふれた音楽を

 

 

 

次の瞬間、

全ての曲が消え、あとには静寂だけが残された。

静寂の中に残される人類。

湧き上がるのは、怖れにも似た、しかし、怖れとは異なる感情。

それは、新たな予感。

まだ白いままの、書き込まれるのを待っている、五線譜。

いずれ、それぞれの手により音符が書き込まれていくだろう。

シンジの、アスカの、レイの、そして、全ての人々の中に、それぞれの曲が。

一人一人が生み出す、自分だけの曲。

自分の中にあるものの、結晶として。

そして、ある時は、それらが重なり合い、ひとつとなる。

人と人が合わせる、集い(つどい)の曲。

人類が奏でる、新しい曲として。

 

 

「さて・・・」

「これから僕が言う事は、あくまでもただの「言葉」に過ぎない」

「これを聞いて、君達がどう判断し、どう行動するか、それは・・・」

「「言葉」って、なんなの、カヲル君?」

「遺言だよ」

 

 

「The Hermit」 第9話 終わり

 


 

後書き

 

さて、今年2018年は年です。
」には「滅ぶ」の意味があるのですが、「これでおしまい」というより、新たな始まりに向けての準備というニュアンスでしょう。

で、
エジプト神話において冥界の神といわれているのが「アヌビス」です。
アヌビスは古くから崇拝されていた神で、魂を冥界へと導いたり、罪の有無を審判したり、甦りのために肉体をミイラとして保存したりと、死者の守護者として重要な役割を担っていました。
その頭部は黒い山
(ジャッカル)で、黒いからゲンドウって事で。

 

シンジ達三人の食事の場面で名前が出てきた、ジュール・ヴェルヌ。
彼の作品といえば、ご存知、「ふしぎの海のナディア」の原案にもなった、「海底二万里」がありますね。
その他に、1889年に出版された「地軸変更計画(原題「上もなく、下もなく」)」という作品があります。これは、地軸を動かす事で「北極大陸」の氷を溶かし、地下に眠る石油資源を取り出そうという、インパクトなお話です(もしかして、庵野監督、この作品からヒントを得たのかも)。

 

ホームパーティーの場面で登場した、トウジの妹が「ミカ」という名前なのは、ずっと昔に書いたSS「ぎりちょこ」から。
名前の由来は、「冬ニ」のあとで「三夏」というのと、ケンスケのモデルといわれている、村上龍の「愛と幻想のファシズム」に登場する「相田健介」の恋人の名前が「フルーツ(果実)」というところから。
「Q」では「サクラ」でしたけど、こっちじゃあもうずっと前から「ミカ」なんだから、「ミカ」なのだっ。

で、昔書いたSS繋がりでもう一個。
心より出で、心に」でも三人が一緒に料理を作っていて(こっちも「第九」が出てくる)、こっちではレイが指に怪我をしています。
だから、今度はアスカの番って事で。

 

さて、
渚カヲルが再生?させた、2つの曲についてゴチャゴチャと。
これまたユングなのですが、彼の著書「創造する無意識」に、芸術作品は大きく2つのタイプがあると書かれています。

ひとつは「内向型」。これは、作者自身の意図が主となって生み出された作品の事で、代表的なものとして、ユングはドイツの詩人ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー(長っ!)の詩を挙げています。
シラーの詩といえば、「交響曲第九番」の第四楽章「歓喜の歌」の元となった、「歓喜に寄せて」ですね(「第九」が「内向型」に該当するのかは知らんけど)。
ちなみに、シラーは、詩人であると同時に、「自由」について追求を続けた思想家でもありました(カヲル(タブリス)が「第九」を歌ってたのって、そういう事?)。

そして、もうひとつは「外向型」。これは、作者以外の「なにか」の意図が、集合的無意識から作者へと働きかけた結果生み出された作品の事で、代表的なものでは、ドイツの哲学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェの作品「ツァラトゥストラはかく語りき」が挙げられます。
はい、シュトラウスの曲は、この作品、というより、これを書いたニーチェの思想からインスピレーションを得て書かれたものです(この曲が「外向型」に該当するのかは知らんけど)。
ちなみに、ニーチェは、人を超えた、神に代わる存在を説く、「超人」思想で知られています。

さて、この「内向型」と「外向型」という2つのタイプ。
ユングによると、これらは明確に分けられるものではなく、要は、作者と「なにか」、どちらの割合が多いかという事であって、一方だけに偏るものではないようです(詳しくはわからんけど)。
そりゃまあ、「外向型」といっても、作者の「個性」が一切含まれない作品なんて生まれようがないですし(じゃなきゃ、誰が作っても同じってなっちゃう)、「内向型」といっても、作者が集合的無意識を完全には切り離せない以上、大なり小なり、「なにか」の影響からは逃れられないでしょうし。
そもそも、人間自体が、知識や経験など、外部から得たものを元に「個性」を構築していくのですから、そんな存在の作り出したものが、どちらか一方だけという事はないのでしょうね。

で、
ものすごく強引にたとえてみると、これって料理みたいなもんですよね。
肉や野菜などの素材、そして、知識や経験など、外から得た様々なものを用いて、人が自身の「個性」で作り出す。
素材に多くの手を加えるものもあれば、ほとんど手を加えないものもある。
そして、どちらだろうと美味しければそれでいいのであって、どちらが上か下かなんて、ありませんよね。

ちなみに、「第九」に使用されているシラーの詩も全文が使われているわけではなく、ベートーヴェンが「ベートーヴェンの作品」として、必要な部分を抜き出し、前後を入れ替え、少しではありますが改変もしています。
また、本編ではおしまいに書いた「
おお、友らよ」の部分(第四楽章の冒頭)は、彼が自ら作詞したものです。

最後に余談ですが、
「ツァラトゥストラ」が流れる映画といえば、スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」が最も有名ですが、今年、2018年は、映画製作50周年に当たります(だから出したかった)。
それと、キューブリックって、「時計じかけのオレンジ」では「第九」も使ってますよね(だから出したかった)。
ついでに、今年は、「第九」が日本で初めて全曲演奏されてから100年目に当たります。

どちらの曲も、あまりに有名過ぎてベタかな、とは思ったけど、誰の頭にも浮かぶ曲の方が、かえっていいかと思って(という言い訳)。

 


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