「The Hermit」 第1話に戻る
「事が始まったようだ・・・。さあ、レイ、私をユイの所へ導いてくれ・・・」
「・・・」
「っ!? まさか!?」
「私は、あなたの人形じゃない」
「ぐっ、なぜだ!?」
「私は、あなたじゃないもの」
「レイ!?」
「・・・」
「頼む、待ってくれ、レイっ!」
「駄目、碇君が呼んでる」
“ そろそろ出て来なさい、レイ ”
ユイの言葉に後ろを振り返ったシンジとアスカ。
二人の目に映ったのは、十数メートルの向こうに立つ、綾波レイの姿だった。
「綾波・・・」
最初にシンジが走り出し、続くように、アスカもレイへと駆け寄る。
だがしかし、不思議と距離の縮まる感じがしない。
レイが立つ場所まで、あと数メートルの所に来て、
「あや−」
呼びかける言葉と共に、シンジの足も動きを止めた。
アスカの足も力をなくし、シンジのすぐ隣で立ちつくす。
「え、あの・・・」
思わず戸惑いの声を漏らすシンジ。
目の前には、馴染みのある学生服姿。
そして、顔には、かすかながらも、やわらかな笑みが浮かんでいた。
第5使徒ラミエルとの戦いのあと、エントリープラグ内で見た笑顔。
初めて自分に向けられた笑顔。
あの時、シンジはレイを初めて近くに感じる事が出来たのだ。
なのに、今、同じ笑顔を浮かべるレイは・・・。
「・・・」
おそるおそる近寄ると、シンジは右手をレイへと伸ばし、その左腕に触れようとした。
しかし、うかつに触れれば消えてしまうのではないかと、手は寸前で躊躇する。
「あ、あんた・・・」
シンジの隣に立っていたアスカも、消え入りそうな声で呼びかける。
発する声でさえ揺らいでしまいそうな、そんな気がして。
前に立つ姿は、間違いなく、綾波レイだ。
違和感を覚えるのは、ただ1つ。
「あんた、なんで、透けてんの・・・?」
ほうけたような声で尋ねるアスカ。
隣で、シンジも驚きを隠せない。
“ 碇君・・・、アスカ・・・ ”
名を呼ぶ声が、二人の頭に響いてきた。
向こうの景色が、体を通してうっすらと見える。
まるでかげろうのように、レイは、あやふやな存在として、二人の前にいる。
しかし、その声を聞いて、シンジとアスカは、ようやく確信する事が出来た。
幻なんかじゃない。
彼女は、確かに、ここにいる。
初号機に宿るユイが、レイに代わって理由を告げた。
“ 今のレイは霊体だけの存在なの。肉体はリリスと融合してしまったから ”
そう言って、海の方へと顔を向けるユイ。
シンジとアスカも、あとを追って彼方を見やる。
そこにあるのは、巨大な、半分だけの顔。
「・・・リリス・・・」
シンジは、サードインパクトの際、初号機のエントリープラグから見た、リリスの姿を思い出していた。
初号機をもはるかに上回る白い巨体。
そして、レイを写した姿。
今や、計画の途絶と共に、その五体は朽ち果て、海や大地に散らばっている。
リリスの肉体と融合したレイの体も、今はもうない。
“ それに、レイには弐号機のコアとなってもらう必要があるの。だから、霊体のままなのよ ”
「でも、体は元に戻せるんでしょ?」
強く尋ねるシンジに、ユイはすぐさま答えを返す。
“ ええ、もちろん大丈夫、ちゃんと戻るわ ”
「そう・・・」
シンジは安堵の息を吐いてから、後ろを振り返った。
「綾波・・・」
レイへと顔を向け、哀切の瞳で見つめる。
レイも、静かな表情のままで、瞳を返す。
「・・・」
シンジは言葉をかけようとしたが、口に出せなかった。
人類補完計画。
そのために生み出された存在。
実行したのは、自分の父、碇ゲンドウなのだ。
なにを言ったとしても、これまで行なわれてきた事、費やされた年月を前にして、それはあまりにも浮薄(ふはく)であった。
自分の言葉など、どれほどの償いになるというのか。
それに、
父の行動を否定しきれない自分がいる。
父の思いを、まだ全ては理解する事が出来ない。
支払われた対価は、あまりに大き過ぎた。
しかし、人類を救うための計画であった事は否定出来ないはず。
なにより、その行動には、母ユイに対する愛があった。
それこそは、間違いない。
その事が、シンジにとっては救いの欠片となる。
だから、ただひとこと。
「ありがとう、助けてくれて・・・、綾波・・・」
シンジは、それだけを言った。
今、迷いなく言えるのは、これだけだ。
“ うん・・・、碇君・・・ ”
レイも短く答え、そのまま、笑顔でやわらかくシンジを包んだ。
「あ・・・、うん・・・」
シンジは思わず魅了されてしまう。
以前から、その儚げな美しさには目を惹かれるものがあった。
しかし、今のレイは、まさに透き通るような美しさ。
そして、笑顔の中の、複雑に揺れる瞳。
“ ・・・・・・ ”
「・・・・・・」
ズイッ!
「うわっ!?」
“ ? ”
見つめ合うシンジとレイの間を、アスカが強引に割って入った。
「オホン、オホン! ねえ、あんたが私のサポートなんだって?」
“ え、ええ・・・ ”
目をパチクリさせつつも、うなずくレイ。
「そう、じゃあ、よろしく頼むわね」
“ うん、任せて ”
アスカに対しても、微笑みを向けるレイ。
「う・・・、ま、まあ、頼りにしてるわよ」
気おされるように、わずかに身を引きつつも、アスカはなんとか笑みを返した。
互いに笑顔を交わすレイとアスカ。
なのだが、
「あ、あの、アスカ?」
アスカの目がにらんでいるように見えるのは、シンジの気のせいというわけでもないだろう。
「さ、モタモタしてないで、さっさと行くわよ! 私は月で、あんたは水星!」
やや甲高い声で言うと、シンジの手を取り、初号機の前まで引っ張って行くアスカ。
「うわっ、ちょ、ちょっと!?」
ズルズルと引きずられ気味に歩くシンジ。
しかし、表情に浮かんだ困惑はすぐに消える。
(よっぽど早くお母さんに会いたいんだな・・・)
アスカの気持ちに思いをめぐらせると、切ない痛みが胸を襲った。
「まったく、デレデレしてるヒマなんてないんだから!」
「し、してないだろ、デレデレなんか!」
ただ、もう1つの気持ちの方には気づいていないシンジ。
そして、当のアスカはというと、
(ああ、もう、なんかもう、素直じゃない、素直じゃない〜っ!)
“ ・・・ ”
そんな二人をそっと見つめながら、レイも、あとについて、ユイのもとへと移動した。
螺旋で 2013年!記念SS
「The Hermit」 第2話
“ それでは、これから材料の入手について説明します ”
「うん」
「はい」
ユイの言葉に、シンジとアスカが返事をする。
声には少なからずの緊張が混じる。
これから、宇宙へと旅立つ。
初めての事、未知の事が、いくつもあるのだろう。
“ エヴァで宇宙へ出るためには、乗り越えなければならない課題がいくつかあります ”
授業でもするように、ユイは朗々と話を始めた。
“ まずは移動について。今の初号機には、始動から数秒の内に、光速の30%まで加速出来る力があります ”
「光速の30%!? え、それって・・・」
とんでもなく速い事はわかるのだが、そこからイメージを進ませるには情報が乏しいシンジ。
「光は秒速約30万キロで進むから、えっと・・・」
計算を始めたアスカに、ユイが手助けをする。
“ 今頃なら、水星までの距離は約1億キロといったところね。なかなかナイスなタイミングだわ ”
惑星はそれぞれの周期で公転しているので、地球−水星間だと、最長の場合、2億2千万キロもの距離が空いてしまう。しかし、現在、西暦2016年の1月初旬であれば、かなり接近している時期なのだった。
「て事は、水星までの到達時間が、20分くらい・・・、って、ウソっ!?」
「ホントに!?」
驚きの中、アスカもシンジも興奮の声を上げる。
“ もちろん、ホントよ。弐号機にも復元の際に、必要なエネルギーを得るためのS2機関、つまり「生命の実」ね、それと、「知恵の実」も組み込んでおいたから、初号機ほどではないけど、そうね、光速の10%くらいは出せるはずよ ”
アダムのコピーである弐号機には、それまで「生命の実」も「知恵の実」も存在していなかった。
今はどちらの実も持っており、神に等しい力を得ている。
ユイとシンジに比べ、レイとアスカは親和性が充分ではないため、持っている力を初号機ほどには使えないのだが、これから行なう作業に対してなら、それでも充分に対応可能だ。
「つまり、月までは38万キロだから、たった10数秒で・・・、すごい・・・」
ため息混じりにつぶやくアスカだが、肝心な事を思い出し、右手を上げて質問する。
「でも、実際にそんな速さで飛べるんですか? だって−」
“ 大丈夫、もちろんわかってるわ ”
やわらかくアスカを制すると、ユイは説明を続けた。
“ ここで問題となるのは、あなた達の体について。移動に際する急激な加速や減速に、今の肉体では耐えられない ”
静止している物体や運動している物体は、外部から力が加わらない限り、慣性によってそのままの状態を保ち続ける。つまり、光速の10%であれ30%であれ、等速直線移動においては、人体にも特に影響は生じない。
問題なのは、加速や減速のために加えられるエネルギーなのである。
“ そこで、強力なA.T.フィールドを展開して、慣性緩和のための力場として使用するのだけれど、それでエヴァ本体を守る事は出来ても、人の体を守るまでに充分とは言えなくて。だから、ぺしゃんこになってしまうのよね ”
恐ろしい事をサラっと言うユイであるが、実際、そうなのである。
かといって、人体に重大な影響が及ばないよう、少しずつ加速・減速を行なっていては、特に水星までともなると、膨大な時間がかかってしまう。
「でも、対策があるんですね?」
アスカの言葉に、ユイはうなずく。
“ ええ、あるわよ。肉体が邪魔だったら、なくせばいいの ”
「えっ、体をなくす、って?」
「どういう事ですか?」
“ つまり、あなた達の体を量子状態にするの。これなら移動にも耐えられるわ ”
「量子状態・・・? あっ、もしかして、あの時みたいに!?」
シンジが思い出して、声を上げた。
対して、ユイは静かに言葉を返す。
“ そう、第14使徒ゼルエルとの戦いで、あなたの願う声に、私は目覚めた ”
シンジもアスカも、ミサトから状況を聞かされていた。
戦いのさなかに電源切れで停止したはずの初号機が、自律的に再起動し、ゼルエルを殲滅した事。
その時のシンクロ率が400%を超えていた事。
「・・・」
記憶が呼び起こされるに連れて、アスカは胸の奥に苦いものがにじんでくるのを感じていた。
当時のアスカは、弐号機をうまく動かせずに負けた苛立ちや焦りで、心が侵蝕されていた。
自分が必要とされなくなる恐れのため、本当に大切な事が見えなくなって。
結局は、母も、自分自身も、誰も守れなかった。
今となっては、あの頃の自分が悔いとして刺さる。
“ ただ、シンジ、あの時は、私があなたから初号機とのシンクロを引き継いだの ”
「え、じゃあ・・・」
“ シンクロ率は400%を超える値にまで上昇。そして、エネルギーの余波を受けて量子状態化したあなたは、意識が分散してしまったために、そのままL.C.L.にまで還元されて、初号機へと取り込まれてしまった ”
「・・・」
シンジも、大きな失望感に襲われていた。
自らの意志によって踏み出した、初めての戦い。
それなのに、結局、自分が戦ったわけではなかった。
自分は、なにもしていなかったのだ。
くやしい、と思う。
無力な自分に対する怒りが、改めて胸を占める。
「・・・」
「・・・」
思わず黙り込む二人。
その胸の内を察したのか、ユイは静かに語りかける。
“ シンジ、アスカさん・・・、これからの事、お願いね ”
かけられた言葉に、二人は顔を上げる。
“ 賢者の石を作る条件として、あなた達は材料の入手から石の生成まで、作業の全てに携わらなければならない。力を受け取る者の手によって、石は生み出されるのよ ”
「うん・・・、大丈夫だよ」
ユイを見つめ、シンジは答えた。
今はなにをすべきなのかを思い出せ。
そう心に言葉を投げながら。
「僕だって、成功させたい。僕にだって、会いたい人がいるんだ、たくさんの人が・・・」
苦悩を理解してくれた友人、保護者代わりに守ろうとしてくれた人、進むべき道を示してくれた人。
今更ながらに気づく。
自分は、孤独ではない。
これからを共に生きていきたいと思える人達が、共に笑っていけたらと思える人達が、自分にも、確かにいるのだ。
全ての人と再会出来るかどうかはわからない。
失われた命までも取り返せるのか、シンジはこの場で尋ねる事をしなかった。
ユイからの答えによっては、自分はもちろん、アスカの心も乱れてしまうだろうから。
けれど、賢者の石に、託せる可能性があるのなら。
たとえかすかでも、希望が。
そして、
自分には会わなければならない人がいる。
(父さん・・・)
会えるだろうか。
自分は、会いたいと思っているのだろうか。
今はまだ、明確な答えは出ない。
それでも、会わなければ、と思う。
会って、正面から向き合わなければ。
「それに・・・、アスカのお母さんも、必ず元の姿に戻すんだから、ね」
そう言って、アスカへと遠慮がちに笑みを向けるシンジ。
「そっ、そんなの・・・、当たり前じゃない・・・」
ボソボソと言いながら、真っ赤になった顔を隠すように、うつむくアスカ。
次に、シンジはレイの方を向く。
「もちろん、綾波も。必ず元に戻すから」
“ うん・・・ ”
切なげに微笑むレイ。
「・・・」
で、ちょっとムスっとしているアスカ。
「正直言うと、賢者の石で人類を救うだなんて、まだピンとこないんだ」
シンジは再びユイを見上げた。
「頭に浮かぶのは、結局、自分や自分の周りの事ばかりだし、なにより、僕なんかに出来るんだろうかって・・・。でも・・・」
両手を、強く握りしめる。
「逃げたくないんだ、もう」
「逃げちゃ駄目だ」
あの頃とは、ほんのわずかな違いに過ぎないのかもしれない。
けれど、強制からではない、自身の意志から、始めようとしている。
「だから、やるよ」
はっきりと声にするシンジ。
「やります、もちろん」
シンジをそっと見つめていたアスカも、あとに続く。
“ 全てを新たに始めるのよ。今度こそ、私達の手で ”
「うん」
「はい」
ユイの言葉に、二人は力強く答えた。
“ ありがとう・・・。では、先を続けるわね ”
改めての決意を受け止め、ユイは説明を再開する。
“ 加速・減速には量子状態化で対応します。けれど、もう1つ、解決すべき問題があるの ”
「衝突、ですよね?」
“ そう、衝突 ”
「え、衝突?」
“ 宇宙空間に存在する塵や分子がとても危険なの。たとえ水素分子1つにしても、光速の数十%なんて速さでぶつかろうものなら、核爆発以上の衝撃力があるわ ”
つまり、移動中、とんでもない衝撃が次々と襲ってくるため、たまったものではないのである。
“ そこで必要となるのが、もう1つのA.T.フィールド ”
「もう1つ?」
「つまり、慣性緩和と衝撃回避、同時に2つを展開するってわけですね」
“ そう、こちらの方は、接近する障害物を別空間に「逃がす」ためのもの ”
「え・・・、別空間って・・・」
アスカが再び右手を上げる。
「それって、あの、使徒の力ですよね?」
「使徒の力?」
「ほら、あれよ。あんたが影の中に落ちちゃって。覚えてるでしょ?」
「あっ、そうか、あれか」
シンジの脳裏に、あの時の記憶がよみがえる。
それは、第12使徒レリエルが示した力。
宙に浮かぶ球形は「影」で地面に広がる影の方が「本体」という、使徒の中でもひときわ異質であるこの存在は、虚数空間を内向きのA.T.フィールドによって支える事で自身の体としていた。
戦いにおいて、レリエルはシンジの乗る初号機のみならず、兵装ビルや道路など、第3新東京市の広域に渡って、別空間へと飲み込んでいった。
その力を使うと、ユイは言う。
「つまり、今のエヴァは使徒の力も使えるって事なんだね」
“ 使徒の力は、使徒を生み出したアダムの中にも存在しているの。そして、アダムのコピーである、弐号機の中にも ”
「弐号機の、力・・・」
アスカは弐号機を見上げた。
“ そう、初号機の中にも、弐号機からもらった力があるのよ ”
「・・・」
その、母宿る機体を見つめる瞳には、誇らしげな表情が浮かんでいた。
“ そして、2体が力のやり取りを行なえたのは、レイのおかげ ”
「綾波の?」
“ レイの魂は、元々はリリスの魂なの。だから、弐号機のコアとして、リリスのコピーである初号機とアダムのコピーである弐号機、この2体を繋ぐパイプ役を果たしてもらったのよ ”
シンジとアスカは、後ろに立つレイを見た。
“ 私も、やるわ ”
二人の視線を受け、レイが答えるようにうなずく。
“ 宇宙へ出るには、2体のエヴァが持つ力を最大限に活用する必要がある ”
シンジとアスカに、ユイが告げる。
“ そのためになにより重要なのは、連携する事よ。エヴァも、そして、私達も ”
「連携・・・」
「みんなで・・・」
“ 力をこれまで以上に引き出すために、シンクロ率をゼルエル戦時以上の値にまで高めなければならない。そこで、パイロットとエヴァのコア、つまり、シンジは私と、アスカさんはレイと意識を繋いで、増幅させる ”
「「あっ、それ」」
今度は、二人が同時に思い出す。
国連空母「オーバー・ザ・レインボー」で来日したアスカと共に、シンジは弐号機に乗り、海中にて第6使徒ガギエルと戦った。
無人戦艦2隻による口内へのゼロ距離射撃を敢行すべく、ガギエルの口を開こうと、二人が一心に念じた結果、弐号機は堅固な門をこじ開け、2隻の刺客に道をあけた。
かくして、使徒は内部より破壊される。
のちにリツコから聞かされたところによると、この時のシンクロ率はそれまでの最高値を記録したという。
“ 大切なのは、量子状態にありながらも、強い意志で自我を繋ぎとめて、連携を保ち続けなければならないという事。意識が分散してしまえば、連携は解け、力が半減してしまう。さらに、もし、自我境界線を完全に失い、L.C.L.にまで還元してしまったら、エヴァに取り込まれて、人のかたちに戻るのも困難になる ”
「じゃあ、もし、移動の最中に連携が解けたりしたら・・・」
「A.T.フィールドが弱まって、外からの力や衝突で・・・」
一気に緊張が高まるシンジとアスカ。
対して、ユイは穏やかさを保った口調で言う。
“ もちろん、万が一の場合でも、あなた達の生命に危険が及ばないよう、2つのA.T.フィールドは私とレイとで維持するから大丈夫。あなた達は移動に専念してくれればいいわ ”
「とにかく、ひたすら「飛べ!」って念じてればいいのかな」
“ そうね、とにかく重要なのは、心乱さず、失敗を恐れず、強い願いをもって、という事ね ”
「あの時は「開け!」で、今度は「飛べ!」か」
気持ちを紛らすように、軽めの口調で言うシンジ。
「やれるわよ、なんたって、1回ちゃんと成功してるんだから」
シンジだけでなく自身をも励ますように、アスカが言う。
「うん、そうだね」
A.T.フィールドは心の壁。
しかし、それは弱い心の産物として、である。
弱さゆえの、守る力。
これからは、切り開くための、攻める力へ。
そして、賢者の石によって心が進化すれば、一人でも成せる力となる。
さらに、人と人とが力を繋げれば、より強大な力となり、この地球はもちろん、宇宙でも自由に生きていける。
“ じゃあ、出発は5時間後に ”
ユイは、前に立つシンジ、アスカ、レイに言った。
“ それまで、心の準備をしておきましょう ”
(心の準備か・・・、それが問題なのよね・・・)
弐号機のエントリープラグ内で、アスカはずっとタイミングを探っていた。
「・・・・・・」
“ ・・・・・・ ”
コアの中にはレイがいる。
ユイに言われ、出発に備えて連携を試みようとしているのだが、さて、いざパイロットシートに座ってみると、なかなか一歩が踏み出せないアスカだった。
「・・・・・・」
“ ・・・・・・ ”
気まずい沈黙が、しばらく続いている。
まるで時が止まったような重苦しさ。
(なんか、前にもこんな事あったわよね・・・)
アスカの脳裏に、以前、エレベーターでレイが言った言葉が響く。
「心を開かなければ、エヴァは動かないわ」
(ええ、ええ、そうでしょうとも・・・)
くやしいが、認めざるを得ない。
今となっては、嫌というほど身にしみている。
だからこそ、出発の前にしなければならない事がある。
とはいうものの、
(どう切り出したらいいんだろう・・・)
アスカはまた考える。
考えるが、考えるほど、ちっぽけな自分を痛感してしまう。
この期に及んで、ウジウジと迷っているだなんて、なんというつまらないプライドだろう。
“ ・・・ ”
レイにしても、自分からは話を始めようとしない。
まるで、なにかを待っているかのように。
(・・・シンジの方は、ちゃんとやれてんのかな・・・)
自分達と同様に、ユイとの連携を試みているであろう彼に、つい意識が向かってしまう。
(って、違う違う、そっちじゃない)
関係のない事ではないのだけれど。
つまりは、これこそが沈黙の続く原因なのだけれど。
「ふぅ・・・」
L.C.L.が満たされていないプラグ内では、いつもと違って、ため息が大きく耳に届く。
その事が、弐号機の中にいる自分を、これからすべき事を、よけいに意識させた。
ここで母と交わした約束を、改めて心でなぞる。
“ なにも確かめずに、自分から手放すような真似はしないで・・・ ”
「・・・」
このままでは、なにも始められない。
自分にも、会いたい人がいる。
そして、再び始めたい日々がある。
だから、迷いを捨てて、意を決する。
「もう知ってると思うけど・・・」
“ なに? ”
「私・・・、あんたの事、嫌いだった」
結局、一番ストレートな言葉を発するアスカ。
“ うん、知ってる・・・ ”
続いて、レイも言葉を返した。
これまでのように静かな、けれど、やわらかく受けとめるような声。
「あんたの事、自分を持たない、碇指令の言われるままに動く「人形」だって思ってた。そんなあんたが、ずっと嫌だった」
“ ええ、そうね・・・ ”
「でも・・・、本当は、私だって「人形」だった・・・」
それは、傷ついた心が生んだ強迫だった。
弐号機との接触実験の結果、コアに魂のほとんどを取り込まれてしまった、母キョウコ。
欠片だけとなった魂は、人形を娘として語りかけ、遂には、アスカを再び見る事のないまま、自らその命を絶った。
これらの喪失が、アスカに完璧である事を迫った。
もう、見てもらえない自分ではいたくない。
母にとって、誇れる娘でいなければ。
しかし、日本に来て、日々の生活を送る中で、心の中に矛盾が生まれる。
一番であるために、引き離さなければならない。
なのに、そばにいて欲しい人がいる。
「結局、「人形」だったのも、「馬鹿」だったのも、私の方・・・」
そして、求める者の視線が向いているのは、自分とは別の存在。
また、ひとりになってしまうのか。
また、大切な人を、「人形」に取られてしまうのか。
焦燥は苛立ちに、苛立ちは憎しみへと。
心はいびつにねじれ、ままならぬ我が身に苦悶する。
アスカ自身、動かされていた存在だった。
自縛の糸に手足をとられ、操られる。
身動きのたびに血が流れてもなお、糸を断ち切る事が出来ずに。
けれど、今は、
“ あなたは、生きなければならない・・・。生きて、幸せになって・・・ ”
「・・・すぅ・・・はぁ・・・」
L.C.L.に邪魔される事なく、アスカは勢いよく深呼吸をした。
「あの、さ・・・」
“ なに? ”
「あんた、その・・・、シンジの事、好きなんでしょ?」
“ ・・・ええ、好きよ ”
「えっ?」
“ 私は、碇君が好き ”
「あ、ああ、そう・・・」
レイの答え自体は、予想していた通りのもの。
しかし、彼女がこれほど迷いなく認めようとは、思っていなかった。
なによりアスカを驚かせたのは、その力強さ。
確かな気持ちであると、声にして。
“ 私はもう、「人形」じゃない・・・ ”
はっきりとアスカに告げる。
ずっと長い間、自分という存在に盲目だったレイ。
けれど、気づかせてくれる人がいた。
温かさを、痛みを、喜びを、さみしさを。
心臓の鼓動が、ただ血液の流れを示すものではないのだと。
自分にも、心というものがあるのだと。
だからこそ、今、レイはゲンドウから離れ、ここにいる。
「そうよね・・・」
だからこそなのだ、とアスカは思った。
さっき目にした、レイの笑顔。
シンジを魅了したに違いない、あの笑顔は。
“ それに、アスカ ”
レイの声が、続けてアスカに響く。
“ あなただって、今はもう、違うでしょう? ”
「え・・・」
アスカは、すぐには言葉を返せなかった。
「うん・・・、でも、どうなのかな・・・」
口ごもってしまう。
母との再会によって、糸は取り払われた。
母との会話に背中を押されて、この場にいる事を自身で選択した。
しかし、まだ痛みは残っている。
「・・・私にも・・・・」
アスカは思う。
振り返ってみれば、自分は一度もシンジに見せていない。
いつも、皮肉や侮蔑まじりのものばかりだった。
もっと、素直になれたなら、
「私にも、あんたみたいな笑顔、出来るのかな・・・」
“ ・・・ ”
ふいに、アスカの眼前の空間が光り出す。
「え?」
光は粒となり、収束すると、やがて、それはレイの姿になった。
そして、アスカへと顔を寄せる。
“ アスカ・・・ ”
「なに?」
“ 嬉しくないの? ”
「え?」
“ 碇君と一緒にいられて、嬉しくない? ”
「え、な、なによ、急に・・・」
“ ・・・ ”
この時、レイの浮かべている表情を見て、アスカは改めて思い知った。
レイの胸の中にも、自分と同じ痛みがある事を。
「嬉しくないわけ、ないじゃない」
切迫した気持ちに押され、アスカは言った。
「私だって、好きなんだから、シンジの事・・・」
“ そう・・・ ”
アスカの言葉を聞いて、レイは微笑んだ。
かすかに、さみしげに。
「こういう時どんな顔すればいいのか、わからないの」
“ 碇君が言ってたわ ”
「シンジが?」
“ うん、嬉しい時は、笑えばいい、って ”
あの時、感じた気持ち。
あの時、届いた言葉。
だから、レイは笑えた。
そして、
“ 今、碇君の隣にいるのは、アスカ、あなたよ ”
「・・・」
“ あなたは碇君の隣にいる。隣にいて、碇君に触れる事が出来る ”
「・・・」
“ それは、嬉しい事でしょ? ”
「・・・」
レイの言葉に、アスカは、そっと目を閉じる。
「ママ・・・、私・・・、私、本当は・・・」
“ ええ・・・、わかってるわ、アスカ・・・ ”
「私・・・、本当は、あいつと、シンジといたい・・・。シンジと、ずっと、生きていきたい・・・」
“ そう、それがあなたの望み・・・ ”
「あいつが私の事好きじゃなくても・・・、嫌いだとしても・・・」
“ ・・・ ”
「それでも・・・、そばにいたい・・・」
“ ・・・ ”
「もしも・・・、もしも、やり直せるなら・・・」
“ 大丈夫よ、アスカ。あなたがそれを望むなら・・・ ”
「うん・・・、嬉しい・・・」
“ ・・・ ”
「私・・・、シンジのそばにいられて、すごく嬉しい・・・」
声が震える。
心があふれる。
“ 忘れないで・・・ ”
「・・・」
“ 今の気持ちを、忘れないで・・・ ”
「・・・うん・・・」
アスカは素直にうなずいた。
そんな自分に驚く一方で、心が鮮やかな空気に触れているように感じる。
しばし流れた沈黙は、以前のものとは大きく違っていた。
「・・・」
アスカは目を開くと、正面にある姿を見据えた。
透き通った体。
シンジに触れる事が出来ずにいる手。
「・・・」
思いが、言葉となって表われる。
「レイ・・・」
わずかにかすれた、それでも、しっかりと伝わる声で。
「「人形」だなんて言って、悪かったわ・・・」
“ ・・・うん、いいの・・・ ”
レイは、これまでのように、短く答えただけだった。
けれど、その声から、アスカはいくつかの表情を読み取る事が出来た。
胸が軽くなる。
勢いをつけて、アスカは体をレイへと寄せた。
「でもね、励ましてくれた礼は言わないでおくわ。まだ、そこまで人が良くなったわけじゃないもの」
そう言うと、アスカは、挑むような目をしながら、軽い笑みを浮かべた。
「敵に塩を送るようなマネして、後悔しないでよ?」
“ 敵? ”
「だって、そうじゃないの。あんたはシンジが好き、私もシンジが好き」
“ うん ”
「だったら、ライバルじゃないの、私達。恋のライバルってやつ」
“ 恋の・・・ ”
「でしょ?」
“ ・・・ ”
「なによ、違うの?」
“ ・・・私は・・・ ”
「まさかと思うけど、私に遠慮なんかしてないわよね?」
“ 遠慮なんてしてない・・・、でも・・・ ”
「じゃあ、なに? ひょっとして、フラれるかもって、それが恐いの?」
“ ・・・ ”
「もし、リリスの魂とか、人間の体じゃないとか、そんなの気にしてるんだったら、なによ今更、ナンセンスもいいとこだわ。だいたい、関係ないじゃない、これからみんなが変わろうってのに」
と、ここまで言って、アスカのトーンが急に下がる。
「って・・・、こんな事言ってるけど、私だって、そんな余裕があるわけじゃないし・・・。シンジにはさんざん意地悪しちゃったし、どっちかっていったら、私の方が分が悪いっていうか・・・」
ガックリとうなだれて、ボソボソつぶやくアスカ。
思い出すと、顔が赤くなる。
波打ち際でレイの名をつぶやくシンジを、切なく見つめて。
つかまっていたシンジの左腕を、レイの名が出るたびに、強くつかんで。
見つめ合うシンジとレイの間に、割って入って。
(いやんなるわ、つまんない嫉妬なんて・・・)
自分の小ささに、ついつい落ち込んでしまう。
「でもね・・・」
再び、アスカはレイを正面から見据えた。
「確かめる前からあきらめちゃダメだって、ママに言われたから」
“ キョウコさん? ”
「うん、それに・・・」
声に力が戻る。
「私自身が、どうしてもあきらめたくないって思ったから」
レイの目をまっすぐに見つめる。
「だから、私はあきらめないわ」
“ ・・・ ”
レイは声に出しかけて、思いとどまる。
(私は人間じゃない・・・。でも・・・)
それでも、結局、ごまかす事も打ち消す事も、出来はしないのだ。
肉体を失っていても、不思議なくらいに、激しくうずく。
彼が気づかせてくれた、この胸の鼓動は。
“ そうね・・・、私達は恋のライバル ”
レイの言葉に、アスカは満足そうにうなずく。
「そうよ、私はシンジが好き」
“ 私は碇君が好き ”
「よし」
アスカは大きく胸を張った。
そして、笑顔で、突きつけるようにレイに言う。
「勝負はこれからよ」
“ うん ”
そう答えて、レイもアスカを見つめ返した。
時間が流れていく。
前を目指して進んでいく。
旅立ちの時を、迎えるために。
「The Hermit」 第2話 終わり
後書き
さて、今年2013年は巳年です。
蛇といえば、「ウロボロス」ってのがありますね。
自分の尻尾を咥えちゃって、円になっちゃったっていうやつ。
あれは、始まりも終わりもない永遠の象徴として用いられます。
で、そこから転じて、過去と未来を繋いで永遠へと向かおう、という話。
水星、月への移動方法は、ネタもとが藤子F不二雄先生作「キテレツ大百科」に登場する「潜地球」とか、鶴田謙二先生作「Spirit
of Wonder」の「満月の夜 月へ行く 〜ファーブル博士と瞬間物質移動機〜」に登場する月旅行機とか。
宇宙移動については色々ツッコミどころがあるでしょうが、つたない頭で考えてますので、まあ、いつもの事です。