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第7話(外伝)に戻る  


 

物語とは、それを生み出した者を、その者が生きた時代を、内包せずにはいられない。

一例としてあげるなら、古代ギリシアの吟遊詩人ヘシオドスだろう。

彼は、自身の作品である「仕事と日」において、パンドラについて語っている。

太古の昔、この地上には男しかおらず、苦しみとは無縁の暮らしが続いていたという。

しかし、最高神ゼウスと、彼に敵対するティターンの一族であったプロメテウス、この二者間に生まれた軋轢が、人間世界にまで響き渡る事となる。

ゼウスは、神と人とを明確に分かつ事を目論んでいた。

様々において、神は人の上にあり、人は神の下にあると。

これに対し、プロメテウスは人を擁護し、ゼウスが人から奪った火を盗みだし、人へと返した。

プロメテウスの行ないに、ゼウスは激怒する。

そして、彼の指示のもと、パンドラが作り出された。

不善なる気質もて、人の世に災厄を撒き散らすために作られた、最初の人間の女。

ヘシオドスは、あらゆる悪しきものを女性の一身に負わせたのである。

彼は、作品にて語る。

「女を信用するような男は、詐欺師をも信用する」

さらには、

「男は、女の使った水で肌を洗ってはならぬ」

とまで。

この事から、ヘシオドスは徹底した女性嫌悪の持ち主であると、広く知られている。

だが、それは彼に限ったものではないのだ。

確かに、ヘシオドスの作品からは、女性に対するあからさまなまでの侮蔑や嫌悪が噴き出してくる。

男は女の上にあり、女は男の下にある。

しかし、古代ギリシアの人間観とは、総じて男尊女卑に大きく傾くものであったのだ。

たとえば、「薬草」という言葉にも、それは顕著である。

古代ギリシアで創作された詩や演劇においては、男性が使用する際には怪我を治すための医薬品として、女性が使用する際には毒や呪いの薬として、「薬草」が登場するのだ。

同じ言葉でありながら、正反対の側面を表わす。

これは、自分達を社会の中心たらしめ、女性に従属を強いるべく、男性側が図った操作といえる。

ホメロスは「イリアス」や「オデュッセイア」の中で、セモニデスは「女について」の中で、ピンダロスは「ピュティア祝勝歌」の中で、エウリピデスは「メディア」の中で、ソフォクレスは「トラキニアイ」の中で。

このような社会にあって、ヘシオドスは大衆的な物語を書き上げた1人に過ぎない。

パンドラに話を戻そう。

彼女もまた、創作者の意図的な改変の結果だ。

パンドラを人間にしたのは、ヘシオドス。

本来、パンドラは、大地に豊穣をもたらす母神、レアーの別名であった。

ヘシオドスの物語において、神々の手になる人間パンドラは、地上へと降ろされ、プロメテウスと弟のエピメテウスが住む家を訪ねる。

先見の明を有するプロメテウスとは対照的に、エピメテウスは、あとにならなければ事に気づけない、愚かしき者であった。

パンドラの美しさに目をくらまされたエピメテウスは、日頃、兄から再三言いつけられていたにもかかわらず、ゼウスから送られたものを家へと入れてしまった。

そして、これより先、人間の男は女と交わらなければ子を得られぬようになり、さらには、日々の労苦によって得た食料や財産を妻に奪われるという定めを負うのだ。

重ねて、ゼウスはプロメテウスに罰を与える。

ある時、パンドラは、自身の性(さが)に抗えず、甕(かめ)のふたを開けた(パンドラが天界で持たされたとも、エピメテウスの家にあったとも言われている。また、一般に知られる「箱」は、元は「甕」であった)。

途端に、甕からはありとあらゆる災厄が飛び出し、やがて、地上の全てを覆った。

かくして、平穏な日々は奪われ、苦しみが世に満ち満ちる。

それでも、甕の中には1つだけ、外へと飛び出さなかった、希望が残されていた。

それは、パンドラの中に、そして、全ての人間達の中に。

たとえ苦しみの中でも、人は希望を持つがゆえに、生きていく事が出来る。

すなわち、希望が人を生かす善き力であるという。

だが、これは解釈の1つである。

甕に残された希望については、いくつもの解釈があり、何世紀にも渡って議論が繰り返されてきた。

果たして、本当に善き力なのであろうか。

悪しき災いと同じ甕に入っていたのだから、やはり悪しきものであるはずだ、と解釈する者もいる。

希望も、ゼウスの罠。

つまりは、こういう事だ。

人の世に降ろされたパンドラは、彼女の行為は、そもそもがプロメテウスに対する罰であるのだ。

プロメテウスを苦悩の中でもがき続けさせるには、彼によって苦しむ羽目へと陥った、人間達の姿を見せ続ける事こそが、なにより効果的ではないか。

ならば、人間達が絶望によって自ら滅んでしまうというのは、プロメテウスの苦しみを短命なものとしてしまう愚策に過ぎない。

人間は、苦しみながらも生き続ける必要があるのだ。

絶望の中にあっても底深くまで沈み込まず、息を継げるよう、いちるの「希望」によって繋ぎとめておかなければならない。

人間の苦しむさまを見せつけられ、己が無力にさいなまれる、精神的な苦痛。

コーカサス山に鎖で縛られ、日々肝臓を鷲(わし)に食われる、肉体的な苦痛。

この2つを、共に。

これこそが、最高神へと歯向かった、プロメテウスにふさわしき罰となるのだ。

無論、これも解釈の1つでしかない。

希望とは、なんなのか。

尋ねるべきは、創作者に対してか。

しかし、そもそも、

必要なのは、正解を与えられる事なのだろうか。

希望とはなにか、それを決めるのは、いったい誰なのか。

 

 


 

 

重大な作業を前に、美味しい食事と弾む会話を味わった、シンジ、アスカ、そして、レイ。

穏やかな時間は過ぎていき、名残惜しさを胸に残しながらも、三人は部屋を出るべく気持ちを切り替えた。

もっと続けていたいとの思いは、まだ強い。

けれど、これからしなければならない事がある。

賢者の石の生成。

人類の最終的進化。

それに、アスカの母キョウコの復活、綾波レイの肉体の再生と、他にいくつも。

シンジとアスカは、使った食器を洗い終え、エアコンを消した。

これまでの日常で、この部屋で、繰り返し行なってきた通りに。

「切るよ」

ひとこと言ってから、シンジは照明のスイッチを切った。

「・・・」

明かりの消えた、誰もいない部屋を前に、シンジは一抹の寂しさを覚えた。

(・・・行ってきます)

胸の中でつぶやく言葉。

帰って来ると、約束を込めて。

玄関のドアが開くと、外気がシンジやアスカの体にまとわりついた。

廊下を進み、ボタンを押してエレベーターを呼ぶ。

「う〜、暑っつ〜」

ついさっきまでいた、エアコンが効いた部屋とのギャップに、アスカは顔のそばで手をパタパタとさせる。

「着替えたから、余計にそう感じるんだろうね」

自分も暑さにため息をつきながら、シンジは言う。

今の二人の服装は、シンジはシンプルな白の半袖ワイシャツに紺のチノパン、アスカはピンクのTシャツとレモンイエローのクロップドパンツ(七分丈)。

着替えるまでアスカが着用していたプラグスーツは、温度調節機能を備えているため、見た目に反し、普通の服よりよほど快適なのだ。

「あっ、そうか」

ふと気がついて、シンジはアスカに言う。

「これからまたL.C.L.につかるかもしれないんだし、スーツに着替えといたら?」

すると、アスカは、

「いいわよ、このままで」

「え、いいの?」

返事の代わりという事か、アスカは到着したエレベータにすたすたと乗り込む。

シンジがあとに続き、最後にレイが乗るのを確認してから、アスカは「開」のボタンから指を離した。

そして、話の続き。

「あんただって、そのカッコじゃない」

「僕のはネルフ本部だもの。あそこも復元してるかもしれないけど、わざわざ取りに行くってのも手間だし」

「なら、同じでしょ」

確かに、今はもう、プラグスーツやインターフェイスヘッドセットのサポートがなくても、エヴァを動かす事に支障はない。

「それに、こっちの方が可愛いじゃない」

「可愛い?」

アスカの口から、アスカから遠いような近いような言葉が出てきて、シンジは一瞬キョトンとする。

すかさず、シンジにずいっと顔を寄せるアスカ。

「可愛いでしょ?」

にらんでいるわけではない。

それどころか、にっこりと笑顔。

なのに、なにやら妙な圧力がある。

「う、うん、そりゃあ、そうだけど」

「だからいいのよ」

満足そうにうなずき、アスカはシンジから離れた。

1歩後ろに下がり、シンジに全身が見えるようにして、シンジを見ている。

「でも、せっかくの服が濡れちゃうし、匂いだって。僕は別に平気だけど」

「大丈夫だって、もしスーツが必要になったら、ユイさんに出してもらえばいいじゃない。弐号機みたいにハイッ!って」

「あのね・・・」

「母さんはマジシャンじゃないよ」と言いかけるシンジだったが、その時、エレベーターのドアが開いた。

再び、アスカが「開」のボタンを押し、今度は、レイが最初に降りる。

続いて、シンジが降り、廊下に出る。

すると、

「いいのよ、今の私には、こっちで」

と、背中からの声。

「え?」

聞き返そうとするシンジを過ぎて、アスカは足早にエントランスへと進んでいく。

視野の端に、シンジは赤らんだ頬をとらえていた。

「・・・」

言いようのない感覚を覚える。

胸の鼓動が、少しだけ速くなった。

そして、今度は、

“ 碇君は、どういう服が好き? ”

「え?」

シンジの前を進んでいたレイが、振り返らぬまま尋ねた。

“ 服、女の子の ”

「え、女の子の服?」

“ うん ”

表情が見えないシンジは、レイの横へ並ぼうとした。

ところが、レイはツツツ・・・と、先に進んでしまう。

気のせいか、彼女も頬が赤いような。

「えっと、あんまりよくわかんないけど、その人に似合ってれば、それでいいと思うよ」

“ 私には、どんな服が似合うと思う? ”

「え? え〜っと、そうだな・・・」

レイの後ろをついて歩きながら、シンジは考え考え答える。

「えっと、今までとは違う服なんかどうかな? 綾波、制服しか着た事ないみたいだし。僕が言うのもなんだけど、もっとカラフルなのとか、スカートじゃないのとか」

“ 碇君は、スカートじゃない方がいいの? ”

「え、そりゃあ、スカートの方が・・・、って、いや、ごにょごにょ・・・」

“ そう、わかった ”

「あ、あの、僕だってファッションには全然詳しくないし、なんとなく言ってみただけだからね?」

“ うん、わかった ”

と、わずかに振り返り、微笑みの欠片をシンジに向けると、それきり前を進んでいくレイ。

そして、再び言いようのない感覚に襲われるシンジ。

また、胸の鼓動が。

「・・・」

シンジの目は、レイの背中を追う。

霊体であるため、地面から少し浮いており、足を動かす事なく移動している。

わずかに光っているように見えるのは、気のせいだろうか。

「・・・」

続いて、シンジは、レイが進む先、弐号機の右腕を見上げた。

そこには、腕を伝ってエントリープラグへと登るアスカが、「光の衣」に照らされている。

「・・・」

なんとなく、感じてはいる。

二人の様子が、自分に向けられるものが、以前とは変わっている事に。

いや、今まで見えていなかっただけなのか。

好意、であるのは間違いない、と思う。

けれど、それがどのような言葉で表現すべきものなのか、そこまではわからない。

二人とも、なんらかの気持ちを胸に秘めている。

シンジは、それを知りたいと思う。

僕は、知りたい。

そのために必要なのは、なんだろう。

きっと、それは、僕自身の・・・。

「さて、と」

弐号機の背中に到着したアスカが、エントリープラグのハッチを開けた。

中へ入ると、無意識に息を深く吸う。

空調を作動させたままだったので、L.C.L.の匂いはすっかり消えていた。

もちろん、温度も快適な状態に調整されている。

レイとシンジが入ったのを確認し、パイロットシートからの操作でハッチを閉めたアスカは、

「ふう、涼しぃ〜♪」

と、満足そうに言ったたあと、ふと思いついた考えを口にする。

「ねえ、レイ?」

“ なに? ”

プラグからコアへと移動しようとしていたレイは、アスカの方へと振り返った。

「賢者の石で進化したら、暑さとか寒さを感じなくなるのかな? そしたら、エアコンいらずで便利だけど、それはそれでちょっと寂しい気がするわね」

“ どうかしら・・・。私も、石について詳しくは知らされてないの。第一始祖民族からは、なにも。ユイさんからも、石は心の力を増幅するためのもの、としか ”

「ふ〜ん」

“ でも ”

「ん?」

“ 感じなくなる、っていうのが進化じゃないと思う。暑さや寒さを感じながら、乗り越えられる、そういう強さこそが、進化じゃないかって ”

「ふ〜ん」

“ 本当のところは、これからユイさんが教えてくれると思うわ ”

「じゃあ、それはこのあとのオタノシミってわけね」

“ そういう事ね ”

答えてから、レイは光の粒に変わり、コアへと移動していった。

そして、若干の間のあと、

“ いいわ ”

「OK」

レイの合図を受け、アスカがコントロールレバーを握る。

二人がシンクロし、弐号機が起動する。

体を覆っている「光の衣」も、輝きを増していく。

「それじゃあ、出発!」

アスカの声と共に、弐号機は空へと浮上した。

ミサトのマンションをあとにし、街から遠ざかるシンジ達。

周辺を砂に囲まれた、シンジとアスカの記憶が生み出した街。

まだ、ごく一部しか復元されておらず、ポツリ、ポツリと点在していた明かりは、あっけなくかすんでいく。

増していく寂しさから、求めるように、三人は目指す先へと視線を向けた。

やがて、目に届く、かすかな光。

彼らを待つ、ユイがいるエヴァ初号機、その「光の衣」が発する輝きが。

まだ遠く、とても小さい。

けれど、海が反射する光に紛れる事なく、輝きは、シンジ達の前に存在していた。

その確かさが、彼らの心に安堵を灯す。

光が初号機の形を明確にしたところで、シンジはユイへと言葉を送った。

「ただいま、母さん」

“ おかえりなさい、シンジ ”

「うん・・・」

返ってきた言葉に、シンジは様々な感慨を抱いていた。

母からの「おかえりなさい」の言葉。

マンションで聞いた、ミサトからの「おかえりなさい」の言葉。

待っていてくれる人がいる。

そして、自分にも、会いたいと望む人達がいる。

「アスカ・・・、綾波・・・」

弐号機を操縦しているアスカへ、コアの中にいるレイへ、シンジは言った。

「賢者の石・・・、必ず成功させよう」

シンジの言葉に、アスカが答える。

「もちろん、私達で成功させるわよ」

シンジの言葉に、レイが答える。

“ 大丈夫、私達が力を合わせれば ”

二人の言葉に、シンジが答える。

「うん、僕達三人でやれば、必ず・・・」

空を駆けるエヴァ弐号機。

その身を包む、「光の衣」。

それは、内なる者の心を反映する、輝き。

“ ・・・ ”

海岸から弐号機を見つめるユイは、確かなものを感じ取っていた。

輝きが、ここを発つ前とは幾分異なっていた。

単に光の強さが、というのではない。

深まりとでも呼ぶべきものが。

三人の心が繋がり、紡ぎだしている光。

そして、ユイは期待をより確かなものとする。

(大丈夫、きっとうまくいくわ・・・)

胸の中でつぶやいた言葉は、自分自身と、シンジ達に向けて。

“ さあ・・・、いよいよね・・・ ”

 

 

目覚めよう 2017年!記念SS

「The Hermit」 第8話

 

 

静かな風を受け、さざ波を立てる、夜の海。

アダムや量産機と戦った時とは打って変わり、今は穏やかな波音が繰り返されている。

岸には、膝をついたエヴァ初号機の隣に、弐号機が立っていた。

これから行なうのは、第三の材料、「塩」の採取。

弐号機の、シンジとアスカは肉体の状態でエントリープラグに、レイは霊体の状態でコアに。

三人は繋がり、連携する。

そして、第7使徒イスラフェルの力によって、分離。

2つに分かれた瞬間、三人は不思議な感覚を味わっていた。

特にシンジとアスカは、肉体のままであったせいか、それがより顕著であった。

2体の弐号機に存在している感覚。

別々の「自分」ではない。

違う場所に、「自分」が同時に存在している。

2人であり、1人。

1人であり、2人。

弐号機の、分離した内の1体は、その身に「水銀」を蓄え、砂浜に膝をつく。

同時に、三人は残る1体の中へと集まる。

そして、「塩」を受け取るべく、海へと入った。

人々の魂であるL.C.L.は、今は2体のアダムの中。

色を戻した海に立つ弐号機、その背中からは、月での作業同様、4枚の巨大な羽根が広がった。

「光の衣」が、そして、呼応するように海が、白い光を放つ。

海の中にある、「塩」。

物質的な純化が成され、力が抽出される。

「塩」は、霊的純化を必要としない。

「塩」に求められる生命の力とは、命あるものへと共振し、働きかける力。

それは、これまで長い時間をかけて積み上げてきた、進化という記憶。

純化された「硫黄」と「水銀」の単純さ、そして、生命宿りし「塩」の複雑さ、これらが共にあればこそ、両極を束ねる力となる。

もちろん、精密なバランスとタイミングが必要だ。

うまく統合させないと、どっちつかずになる。

そうならないためにも、作業は慎重に行なわなければならない。

やがて、「塩」から抽出された力は弐号機の中へ。

そして、その一部がレイの中へ。

かくして、

材料の全てがそろった。

シンジの「硫黄」、アスカの「水銀」、レイの「塩」。

作業をひと段落させ、弐号機から降りた三人は、初号機と向かい合うように並んだ。

「いよいよね」

「うん」

“ ・・・ ”

そう、いよいよ始まる。

賢者の石を生み出す作業。

人類の進化に関わる、大いなる作業。

人類が滅びから逃れるための、最終計画。

期待と不安が激しく拮抗する中、シンジ達は緊張の面持ちでユイからの言葉を待った。

しかし、

告げられた言葉は、シンジとアスカを大いに困惑させた。

“ では、これからいよいよ、賢者の石生成の作業に入ります ”

神妙な表情の三人を前に、ユイは話を始める。

“ まずは、石の生成方法だけど、私から言う事は、なにもないわ ”

「・・・え?」

「・・・え?」

“ ・・・ ”

ある程度予期していたのだろう、レイは驚きを見せなかったが、一方のシンジとアスカは「・・・え?」と言ったきり、口を開けたまま固まってしまった。

「・・・」

「・・・」

“ ・・・ ”

このままでは進まないので、ユイが話を続ける。

“ 私がお手伝い出来るのは、ここまで。実際に石を生成する作業は、あなた達だけで行わなければならない ”

確かに、これまでにも聞いていた事だ。

材料の採取においても、そうだった。

生成に関わるは、選ばれし者のみ。

しかし、方法がまったく知らされないというのは、どうなのだろうか。

いくらなんでも、情報がないにもほどがある。

知らされているのは、

物質的・霊的に純化された「硫黄」と「水銀」を材料とし、物質的に純化された「塩」によって2つを結合させる。

2つの力を統合したのち、「塩」が宿す生命の力を吹き込む。

石生成においては、エヴァを「器」とする。

そのため、作業に携わる者以外の、人の魂をエヴァに入れてはおけない。

と、ここまで。

で、そこからは?

肝心の、具体的な方法が、まるでわからない。

“ つまりね、生成方法を知るのも作業の1つってわけなの。それは、作業に携わるあなた達の心が、成否を決める重要なファクターだから ”

「心・・・?」

シンジは振り返る。

エヴァの力、「硫黄」や「水銀」の力。

しかし、力があるという事と、それを使えるという事は、決してイコールではない。

シンジ達も、量産機やアダムとの戦いで、力を使いこなすには至らなかった。

それは、まだ、心の力が弱かったから。

“ 心の、賢者の石を求める気持ちを強めるために、ただ情報を与えるという事は出来なかった。「知りたい」という気持ちは、とても大きな力ですものね ”

「うん」

ユイの言葉に、シンジは強くうなずく。

「知りたい」という気持ち。

今のシンジには、よくわかる。

アスカの事、レイの事。

自分の中で刻々と強くなっていく、気持ち。

「でも、作り方の情報って、どうやったらわかるのさ?」

「まさか、過去の錬金術師みたいに研究して、なんて言うのでは・・・」

いまだ困惑から抜け出せないシンジとアスカ。

対して、

“ 大丈夫、今のあなた達なら、そう難しい事ではないわ。 ”

ユイは落ち着いた声で説明を続ける。

“ 生成のために必要な情報は、すぐ近くにある。あなた達は、それを拾い集めていけばいい ”

「すぐ近く?」

シンジが言い、

「拾い集める?」

アスカが言う。

そして、

“ それって、集合的無意識ですか? ”

レイが言った。

「集合的無意識、って?」

知らないシンジに、レイは説明する。

“ 人の心の最も深層にある、全ての人類が共通とする意識の事よ。無意識のさらに奥。全ての人達が繋がってる、心の領域 ”

20世紀初頭に活躍したスイスの分析心理学者、カール・グスタフ・ユングが提唱した概念である。

精神科医でもあったユングは、ある精神分裂病(現在で言う統合失調症)患者の語った妄想をきっかけに、患者達の中に、本人が知り得ようもない、太古の神話的イメージが存在する事、さらには、幾多の国々において、過去に交流がなかったにもかかわらず、類似した内容の神話が存在する事を突き止め、この概念へと至った。

「つまり、石の作り方に関する情報は、私達みんなの心に眠っていると?」

アスカの問いに対して、ユイが答える。

“ そうね、ただしそれは、無数の「断片」として、まとまりなくバラバラに散らばってる状態なの ”

「「断片」、ですか?」

“ ええ、第一始祖民族、そして、賢者の石に関する様々な情報は、これまで「断片」として送られてきていた。直接受け取った人もいれば、遺伝という形で受け継いだ人もいる。アスカさんとシンジは、後者のケースね ”

「え、私も、ですか?」

“ そうよ、あなたのお母さん、キョウコさんも、選ばれし者だった ”

「ママも・・・」

“ 人類誕生以来、選ばれし者は、他にも大勢いたの。けれど、ほとんどの人達が、「断片」の存在に気づく事すらなく、一生を終えていった。日々の生活に押し流され、受け取ったものを意識の奥底へとしまい込んでしまった ”

「それが、集合的無意識、なんだね?」

“ ええ、確かに、ユングの言う集合的無意識は存在してる。でも、それはまだ、確固たるものではない。意識同士の繋がりは酷くあいまいで、まるで雲のよう。遠くからはかたまりに見えても、実際にはすき間だらけで、わずかな風が吹いても散らばってしまう程度のものでしかない ”

「心の力が、まだ弱いから?」

シンジの言葉に、ユイ宿る初号機がうなずく。

“ そんな状態にあっても、ふとした瞬間に意識の表層へと浮かんでくる「断片」に気づき、拾い集め、明確な形には程遠いながらも、自分なりに組み立てていった人達がいた。中でも神話的なイメージが共通して強く残っているのは、きっと、それだけ「救い」を求める気持ちが、たくさんの人達の中で、強く沸き起こっていたからでしょうね。心の弱さゆえに、強く求めた、願いの結晶・・・ ”

守るためのものであった、願い。

それでも、強く求ればこそ、形にする事が出来た。

“ 同様に、錬金術師達の中に飛来した数々の天啓も、その多くは、第一始祖民族から送られた「断片」を受け取った結果得られたもの。それは、情報のごく一部、ある側面でしかなかったのだけれど、彼らはそこから想像と創造を広げていった ”

「そうか、だからなのね・・・」

腑に落ちた様子で、アスカがつぶやいた。

石生成の作業が、大昔の錬金術師達の見出した情報をベースとしている事。

普通に考えれば、あまりにオカルト的な妄信といえる。

「つまり、「断片」という情報を、錬金術師達はそれぞれに拾い集めてた。そして、今度は私達がそれを、って事なんですね?」

“ ええ、そうよ。あなた達が、より多くの「断片」を集めて、より確かな形にしていくの ”

人類の最終進化。

その術を伝える、ヒントとなる「断片」は、はるかな昔から人類へと送られていた。

そもそもの始まりは、太古の昔、何者かが残した詩篇。

目にする者に様々な解釈をもたらした、隠喩や象徴で彩られた言葉。

それらは、「断片」を元にして解釈されたものであった。

以来、錬金術師達は、「断片」を元に、各々の解釈で形を組み立ててきた。

ある者は真理に近く、ある者は遠く。

そして、ゼーレの行動理念も、彼らの前身たる宗教団体が生まれたきっかけもまた、「断片」を元に組み立てられたものの1つだった。

死海文書と裏死海文書が伝えていたのは、あくまで「生命の種」やロンギヌスの槍についての情報と、それに関連して起こった、地球での出来事の記録のみ。

第一始祖民族は、あくまで、きっかけを与えているに過ぎない。

そして、生み出されてきた、様々な解釈。

生み出したのは、人間の想像と創造の力。

「知りたい」という、願いの中で。

「でも、この第一・・・」

「“ 始祖民族 ”」

アスカとレイに助けてもらい、シンジは先を続ける。

「その第一始祖民族って、僕らになにをさせようとしてるんだろう?」

「あ、それは私も思った! なんなんですか、第一始祖民族って?」

“ それはね・・・ ”

 

第一始祖民族は、かつて、この宇宙で唯一の生命体だった。

高度な技術力を持ちながら、力を過信するがあまり、おごり高ぶった。

そして、戦いに明け暮れ、やがて、滅びを間近にしていると知る。

戦争も、彼らが自身の意志で終えたのではない、続けられなくなったがために終わったのだ。

ここに至り、ようやく彼らは考え始める。

全てが、遅きに失した。

それでも、まだ出来る事があるのではないか。

彼らは宇宙の生命を絶やさぬため、行動を起こした。

様々な可能性を試すため、あらゆる手段を講じた。

「白き月」と「黒き月」。

「生命の実」と「知恵の実」。

2つをぶつけ合わせ、変異を、いや、奇跡と呼べるものを、誘発させる。

干渉レベルを増加した星もあれば、最小限に抑えた星もある。

文明を築くに至らず、滅んだ星もあった。

文明を築きながらも、第一始祖民族より早く、滅びの道を進んだ星もあった。

滅びは免れながらも、文明は停滞し、ただ漫然と時を過ごすだけの星もあった。

そんな中、ひとつの可能性が発生する。

天の川銀河、太陽系第三惑星、地球。

この星は、干渉を抑制したケースであった。

「月」を送って以降は、「断片」を送るのみで、ひたすら見守るにとどめてきた。

そして、

人類は進んできた。

円滑などと、間違っても言えない。

憎しみと、悲しみと、争いを重ね、重ねて。

けれど、それでも、ここまで来た。

まるで、風雨にさらされ続けながらも、懸命にこらえ、少しずつ伸びていく、木の芽のように。

危なげながらも、まさに、奇跡的なバランスで。

このバランスを崩すような真似は、断固として許されない。

ゆえに、彼らは人類の行動をひたすらに見守り続けた。

これまで通り、干渉を抑制し、「断片」のみを送り続けてきた。

全てをただ受け取り、従うのではなく、自身で想像し、そして、創造する。

これこそ、第一始祖民族が地球人類に託した事。

もちろん、生み出されたものの全てが正しかったわけではない。

むしろ、失敗こそを積み重ねてきた。

けれど、可能性は残されていた。

人の心にある、小さな光。

傷つき、苦しみ、汚れながらも、持ち続けた光。

その、わずかな可能性に、第一始祖民族は賭けたのだ。

 

ユイは、三人に告げる。

“ あなた達は、選ばれし者として、今ここにいる。けれど、全てが与えられたわけでも、成功が約束されたわけでもない ”

選ばれながらも自ら離れた、数限りない者達。

残ったのは、手を伸ばし続けた者だけ。

“ あなた達がここにいるのは、あなた達が心の中にあるものに従った結果 ”

この世界で、生きる。

この世界で、共に。

そして、克服する。

弱さを、喪失を。

“ その思いを忘れなければ、大丈夫よ ”

「うん」 「はい」 “ はい ”

三人が、そろって力強く返事をする。

“ ・・・ ”

ユイは信じていた。

彼らが断片から真実を読み取るであろうと。

問題は、そこから先。

それでも、これから知る事も、彼らなら乗り越えられるだろう。

そうだ・・・、そう願ってる・・・。

 

 


 

 

三人は、それぞれがエヴァのエントリープラグにいた。

シンジは、「硫黄」の力を内包する、初号機の中に。

アスカは、「水銀」の力を内包する、弐号機αの中に。

レイは、「塩」の力を内包する、弐号機βの中に。

ユイは、ゲンドウとキョウコの魂と共に、復元して「生命の実」を搭載した、零号機のコアへと移動していた。

「断片」から情報を得たのち、可能であれば、そのまま石生成の作業に入る。

そのため、初号機と弐号機の中には、選ばれし者のみがいる。

そして、エヴァの力ではなく、材料の力を使う。

「・・・」

「・・・」

“ ・・・ ”

3体のエヴァの中、三人は連携し、材料の力を発現させた。

宇宙へ飛んだ時の、再現。

肉体のままのシンジとアスカは、エントリープラグのパイロットシートに横たわっていた。

L.C.L.やA.T.フィールドによらず、材料の力に包まれる事で、外界から感覚を遮断する。

音もなく、光もなく。

触れるものがない中、やがて、変性意識状態へと移行する。

拡散し、安定した意識は、次第に奥底へと沈んでいく。

顕在意識から潜在意識へ。

さらに深く、意識の最下層へ。

(・・・)

(・・・)

(・・・)

そこは、まるで宇宙のようだった。

暗い闇の至るところに、数え切れないほどの光が広がっている。

(これって・・・、このたくさんの光が「断片」なのかな?)

(いえ・・・、これはきっと、人の「自己」みたいなものだと思うわ)

(「自己」?)

尋ねるシンジに、今度は私に説明させて、とアスカ。

(「自己」ってのは、意識と無意識をひっくるめた、心全体の中心の事よ。「自我」って知ってるでしょ? あれは意識だけの中心で、私達が普段認識してるのは「自我」の方ってわけ)

続けて、レイが伝える。

(きっと、L.C.L.となって、心の壁が取り払われたから、これだけたくさんの人達がここまで降りてきてるのね。みんな深く眠った状態なんでしょうけど)

(そうか、でも・・・)

眠りについている、たくさんの光、たくさんの人々。

(この中に、ミサトさんや、トウジやケンスケがいるのかな・・・)

(ええ、みんないるわ、このどこかに・・・)

(ヒカリ・・・)

感慨の中、シンジ達は、少しの間、漂う光を見つめていた。

個々の、人としての姿 かたちまではとらえられない。

しかし、それでも、

見つめ続ける内に、少しずつ変化が現われた。

始めは、どれもが同じにしか感じられなかった。

だが、それぞれに光が違っているとわかるようになった。

その、輝き、色、深み、全てが、ひとつとして同じものはない。

似ていても、どこかが違う。

それでいて、同じところもある。

中心のあたり、核とでもいうべきところ。

違うところがあり、同じところがある。

複雑でもあり、単純でもある。

見つめ続けていれば、もっとはっきりわかるのではないか。

いや、そのためにも、まずはすべき事がある。

(始めようか)

(うん、そうね)

(じゃあ、繋がりましょう)

気持ちを切り替え、意識を集中させる。

心の光ではなく、必要な「断片」に焦点を絞らなければ。

けれど、今見た事は、忘れはしない。

自分とは違う他人、他人とは違う他人。

でも、同じ「人」

自分の中に、他人と同じ部分がある。

他人の中に、自分と同じ部分がある。

そして、皆の心の中心にあるものは・・・。

「待ってて・・・、もうすぐだから・・・」

初号機のエントリープラグ内。

横たわるシンジの肉体、その口がつぶやく。

シンジの心と繋がる肉体が、シンジの思いを形にする。

そして、作業が開始される。

集合的無意識、この広大なミクロコスモスに散らばる、「断片」を拾い集める。

必要なのは、賢者の石生成に関する情報。

他の情報に気を取られている余裕はない。

「断片」はあまりに多く、あまりに乱雑で、気を抜くと、必要でないものまで飛び込んでくる。

三人は連携を深め、強く、求めるものをイメージする。

困難を極める作業なのは間違いない。

しかし、それはこれまでも同じだった。

不可能ではない。

今の三人には、そう思える。

思えるだけの、これまでの積み重ねがある。

(賢者の石を作る・・・)

この一点に絞り、探し続ける。

ひとつひとつの「断片」は、大きなものもあれば、小さなものもあった。

丹念に拾い集め、組み立てていく。

少しずつ、少しずつ、形にしていく。

やがて、伝えようとしているものが、伝わってくる。

わかる。

これなら、出来る。

賢者の石が、作れる。

集合的無意識から離れ、シンジ達は変性意識状態から覚醒した。

そして、

そのまま、生成の作業へと移る。

繋がった状態で、「硫黄」、「水銀」、「塩」の力にアクセス、石生成の方法をイメージで伝えた。

遂に、扉が開かれる。

3つの材料が反応を示し、「器」となる、エヴァが動き始めた。

 

 


 

 

夜の海岸に、3つの「光の衣」が輝く。

その内の2つの光、アスカが乗る「水銀」の弐号機α、レイが乗る「塩」の弐号機βが空へと向かう。

弐号機βは途中で止まり、弐号機αはさらに上空へ。

そして、シンジが乗る「硫黄」の初号機は、地上にて待機する。

上空に「水銀」、中空に「塩」、地上に「硫黄」。

初号機は浮き上がり、海岸から数十メートル離れた状態で止まる。

そして、初号機と弐号機αが、同時に動きを開始する。

ゆっくりと、地面と平行に大きく円を描いていく。

弐号機αは上空から見て左回り、初号機は地上から見て右回り。

どちらも、同じ向きの回転。

右回りであり左回り。

左回りであり右回り。

水星で「硫黄」を純化していた太陽の力は、天より地へと降りた。

月で「水銀」を純化していた月の力は、地中より地上へと昇った。

今度は、逆。

上から下へが、下から上へ。

下から上へが、上から下へ。

「光の衣」が、螺旋の軌跡を描いていく。

初号機は地上から上昇し、右回りの螺旋を。

弐号機αは上空から下降し、左回りの螺旋を。

右の螺旋と左の螺旋。

 

 

錬金術において---

材料を結合させるための容器は、「哲学の卵」と呼ばれる、水晶で出来た球形のフラスコである。

 

水晶は、螺旋の結晶構造をしている。

右回りのものと、左回りのものと。

 

 

地と空より接近する、初号機と弐号機α。

その中間では、弐号機βが「塩」の力の解放を始める。

初号機と弐号機αは、弐号機βが待つポイントへと接近しながら、回転の径を縮めていく。

そして、3体のエヴァが空の一点に集まった瞬間、筒状に軌跡を描いていた光は、螺旋のまま収束し、球形となる。

光に包まれる中、3体は形を変えていき、やがて、ひとつとなる。

それは光と同様に球形となり、3つの力を合わせるための「器」、「哲学の卵」となる。

その色は、透明。

中には、

「硫黄」の力と、その主たるシンジ、

「水銀」の力と、その主たるアスカ、

「塩」の力と、その主たるレイが。

 

 

錬金術において---

「塩」を媒介として、「硫黄」と「水銀」が結合する。

これは、「哲学的結婚」と呼ばれ、「ヘルマプロディトス(両性具有神)」の姿で表わされる。

 

 

やがて、「哲学の卵」を包んでいた光の螺旋が、回転の向きを変える。

地面に対し横向きだった回転が、縦向きに。

上から下へ。

下から上へ。

 

 

「一なるものの奇跡を成就すべく、下のものは上のものの如く、上のものは下のものの如し」

ヘルメス・トリスメギストス「エメラルド・タブレット」

 

 

「塩」の呼びかけに、「硫黄」と「水銀」が呼応する。

それぞれが、主たる者へと働きかける。

心の深層、集合的無意識へのアクセス。

男性の中にある女性的性質、アニマ。

女性の中にある男性的性質、アニムス。

シンジの中のアニマ、アスカとレイの中にあるアニムス、それぞれが意識の深層から表層へと浮かび上がる。

1人の体に男性性と女性性が共に顕在化する事で、

肉体的性別の垣根を越え、

「硫黄」と「水銀」と「塩」が、

シンジとアスカとレイが、

身も心も、これまで以上に、ひとつとなる。

男であり女である。

女であり男である。

これは、ひとつではあるが、しかし、ひとつではない。

ひとつとなっても、別の存在となるのではない。

シンジはシンジを、アスカはアスカを、レイはレイを保っている。

一であり、三。

三であり、一。

絡み合い、もつれ合い、結び合う。

「硫黄」と「水銀」の結合を受け、「塩」が力を吹き込んでいく。

霊的に純化された「硫黄」と「水銀」に対し、「塩」が宿す、生命の力を。

単純さと複雑さ。

「哲学の卵」は、その両極を抱いて。

「卵」を包む光が、熱く、激しく、輝きを増す。

そして、フレアの如く、4の3倍となる、12枚の羽が広がる。

 

 

錬金術において---

「哲学的結婚」ののち、結合した材料は黒化(ニグレド)→白化(アルベド)→赤化(ルベド)という過程を経る。

黒化とは、すなわち「死」。

白化とは、すなわち「復活」。

赤化とは、すなわち「完成」である。

 

 

結合し、統合した力。

これより、新たなる段階へと進む。

それは、これまでを無にし、新たにゼロから始めるという事ではない。

これまで積み上げてきたもの、生み出してきたものを、捨てる必要などない。

強さも弱さも、

美しさも醜さも、

清浄も不浄も、併せ飲む。

「哲学の卵」の中で、力は2つの色に分かれる。

黒と白。

どちらも等しく、共に存在する。

絡み合い、もつれ合い、結び合いながら、個々に存在する。

やがて、力は結晶となり、増殖していく。

「哲学者の卵」が赤くなる。

その色は、使徒やエヴァの、コアの色に同じ。

「卵」は割れ、無数の赤い結晶が、完成した賢者の石が、集合的無意識を通り、約束されし者達の中へと入っていく。

割れた「卵」の欠片は、3体のエヴァへと戻っていく。

「卵」のあった場所に、シンジ、アスカ、レイが浮かんでいる。

三人は、形を取り戻したエヴァの中へと入り、地上へと降りる。

そして、

賢者の石生成の作業は、その全てが完了した。

 

 


 

 

作業が終わり、シンジはエヴァ初号機のエントリープラグ内にいた。

シートに横たわる肉体を、確かめる。

顔に触れ、手を、胴体を、足を見る。

以前とは変わりがないように思える。

しかし、シンジは確かな変化を予感していた。

「ふう・・・」

静かに息を吐き、体の内部へと意識をめぐらせる。

すると、

「あ・・・」

思わず、胸に手を当てる。

触れた胸の奥に、いや、胸を中心とした体全体に、賢者の石の存在を感じる。

加えて、これは、生まれてからずっと身の内にあったもの。

これまで気づかなかった、「知恵の実」の存在も感じられる。

「・・・」

意識を拡大してみると、今度は、初号機の中にある「知恵の実」と「生命の実」が感じられた。

「っと!」

シートから勢いよく起き上がると、シンジは両手を握りしめた。

「う〜〜〜っ・・・」

そして、

「よしっっ!!」

プラグ内に響き渡る声。

生まれて初めて、これまでにないほど大きな、歓喜の叫び。

遂にやった。

やり遂げた。

賢者の石を生み出した。

あふれ出す、達成感。

この喜びを与えてくれたのは。

「アスカ、綾波・・・、やったよ、僕達・・・、やったんだ・・・」

次の瞬間、シンジはいてもたってもいられなくなった。

読み取った「断片」によれば、「生命の実」と「知恵の実」と「賢者の石」、この3つが体内にそろう事で、真価を発揮するらしい。

けれど、「生命の実」を体に入れるのは、あとだ。

アスカも、綾波も、きっと喜んでいるに違いない。

なら、今すぐ、彼女達と成功を分かち合いたい。

一刻も早く、二人の、輝くような笑顔が見たい。

シンジは急いで初号機から出た。

すると、同じように、アスカが急いで弐号機αから降りてくるのが見える。

「アスカ!」

「シンジ!」

思わずアスカへ駆け寄るシンジと、シンジに駆け寄るアスカ。

勢い余って、二人は、危うくぶつかりそうになる。

「あっ、と!」

「えっ、ちょっ!」

かろうじて衝突は避けられたものの、胸と胸とが合わさりそうな距離。

目の前に、アスカの顔。

目の前に、シンジの顔。

二人は慌てながらも、その場から動こうとはしない。

「レイ? レイ! なにしてんのよ、早く来なさいよ!」

「綾波ぃーっ!」

照れ隠しからか、弐号機βの方を向き、大声で呼びかけるアスカとシンジ。

すると、

“ うん、すぐ行くから待ってて ”

レイの返事が、二人に伝わる。

そして、はやる気持ちを抑え、シンジとアスカはレイを待った。

「・・・」

「・・・」

どちらからともなく、向かい合う二人。

「やったね、僕達・・・」

「うん、本当に・・・」

そう答えてから、アスカは、はにかみながらもシンジに尋ねた。

「ね・・・、私の中にあるの、わかる・・・?」

「え?」

アスカに言われて、シンジは彼女へと意識を向けてみる。

そして、アスカの中にある、賢者の石と「知恵の実」を感じ取った。

「うん、わかるよ」

それだけではない、アスカからあふれ出る、喜びも。

「僕はどう?」

「うん、わかる・・・。シンジの中にも、ちゃんとあるのがわかる・・・」

嬉しそうにうなずくアスカ。

「そうか、良かった」

「うん」

シンジが返す笑顔に、アスカの喜びはさらに深くなる。

「なんだか、あんまり変ったように見えないけどさ」

「でも、ちゃんと変わってるんだよね、私達も、みんなも・・・」

二人は、砂浜から海を見つめた。

ついさっきまでと変らぬ風景。

星々に照らされる波。

寄せては返す音。

ただ見て、聞いている分には、なんの変わりもない。

しかし、意識を向けている内に、なにかが違っているとわかってきた。

変ったのは海ではない。

海は、これまで通り、ただそこにあった。

けれど、これまでとは違うと感じる。

まだ、はっきりとはわからない。

まだ、「生命の実」が入っていないからか。

それでも、広さを、深さを、息吹きを感じる。

見上げれば、空もまた。

伝わってくるものが、色々とある。

どこまでも広がる世界、数限りない未来。

めまいがしそうだ。

様々な輝きが、すぐそこに。

「これから、どうなるんだろう、僕達・・・」

「わかんない、けど・・・」

「けど?」

「なんだか、ワクワクしてしょうがないわ」

その無邪気な答えに、シンジは胸の高鳴りを覚えつつ、思わず声に出して笑った。

「うん、僕もだよ」

賢者の石によって活性化した、「知恵の実」の力を感じる。

広い世界を、平面的にではなく、実体として認識出来る。

地球を、太陽系を、銀河系を、そして・・・。

形を成していく、予感と期待。

広がる世界と、続く未来。

ここから始まり、はるかな先へ。

その時、弐号機βの胸部が光りだした。

「あっ!」

「来た来たっ、なにやってたのよ、もうっ」

胸から光が離れ、それはレイへと形を変える。

そして、シンジとアスカ、二人の前に降り立った。

「綾波!」

「レイ!」

シンジとアスカは、レイへと駆け寄った。

今はまだ、霊体のままの、制服姿。

けれど、もうすぐ、元の体に、いや、これまでより進化した体に。

「え・・・」

「レ、レイ・・・」

シンジとアスカは、その場に立ち尽くした。

“ ・・・ ”

まるで、この海岸で再会した時のように、レイは静かに微笑んでいる。

しかし、シンジもアスカも気づいていた。

霊体の状態だからわからないのだろうか、いや、そうではない。

レイの中に、賢者の石の存在を感じない。

「あんた・・・、どうしたの・・・?」

「綾波・・・?」

“ ・・・ ”

なにも言わないレイ。

いや、言えないでいる。

言わなければならない事があるのに、切り出す言葉がどうしても浮かばなかった。

それでも、シンジとアスカには、レイの奥にある感情が読み取れていた。

彼女が表情から隠そうとしていた、悲しみが。

「待って・・・、待ってよ・・・」

アスカは自分の胸に手を当て、中にある賢者の石を増殖させた。

手のひらに乗る、赤く光った結晶。

それを、アスカはレイの胸に入れようと試みる。

しかし、その手はレイの体をすり抜け、石もまた、あまりにもあっけなく、砂の上へと落ちた。

「き、きっと、霊体だからだよ。僕達が体を作るからさ、そうすれば−」

“ シンジ、アスカさん・・・ ”

レイの口から言わせるのは酷と、ユイが零号機のコアから二人に語りかける。

“ レイには、賢者の石が生まれないの。それは、彼女の魂が、リリスの魂だから・・・ ”

「リリスの・・・? あっ!?」

その言葉が伝わった途端、閃光のように、アスカの記憶が甦った。

アダムが差し向けた刺客、量産機との戦いのあと。

あの時・・・、

 

 

--- でも、初号機は実際に水星まで行けてるんだから問題ないんでしょうけど、弐号機とか、あんたは大丈夫なの? ---

---  そうね、弐号機の肉体はアダムのコピー、私の魂はリリスの魂で、プロテクトは同じようにかけられてた。でも、今は大丈夫、初号機のコアであるユイさんが、解除してくれたから ---

 

 

あの時、プロテクトは解除されたって・・・、でも・・・。

 

 

--- 使徒を全て倒し、人間が正当な主になった今、槍は人の管理下に置かれている。だから、その存在を探知し、呼び寄せる事が出来るのも、人の魂を持つものだけ。私には無理なの ---

 

 

そうだ! そうだ!

なぜ気づかなかったのだろう!

プロテクトが解除されたというのに、レイは槍を見つけられなかった!

魂が、リリスのものだから・・・。

それに・・・、

「水銀」を得るために、月へと向かう前夜・・・、

 

 

 

「だったら、ライバルじゃないの、私達。恋のライバルってやつ」

“ 恋の・・・ ”

「でしょ?」

“ ・・・ ”

「なによ、違うの?」

“ ・・・私は・・・ ”

「まさかと思うけど、私に遠慮なんかしてないわよね?」

“ 遠慮なんてしてない・・・、でも・・・ ”

 

 

「アスカ、なにか知ってるの!?」

愕然とするアスカの様子に、シンジは強い口調で尋ねる。

「シンジ・・・」

アスカは、シンジに話した。

途端に、驚愕はシンジにも伝染する。

「なんだよ・・・、どういう事だよ・・・、母さん!?」

二人の困惑に、ユイが答える。

“ ええ・・・、確かに、ここへ戻って来た時、私はレイの、リリスの魂に課せられてたプロテクトを解除した。だから、レイは、移動の自由を獲得し、「塩」の力を受け取れるようにもなった。でも、それは、ロンギヌスの槍と同じ、使徒を全て倒した人類に許された行為だったからに過ぎない ”

「賢者の石は、許されなかった・・・。それって、第一始祖民族が?」

アスカの問いに、ユイは重い口調で答えた。

“ いいえ、彼らは、意図してそうしたのではないの。ただ、彼らには、生みだせなかっただけ・・・ ”

 

第一始祖民族は、滅びの道を進んでいた。

高度な技術力を持ちながら、その知恵を浅はかな争いに浪費した。

出来損ないの神。

彼らは、決して完全な存在などではなく、不完全のまま完成してしまった種(しゅ)であった。

そして、彼らによって生み出されしものも、また。

彼らは、自分達の種を存続させようと、試行錯誤を重ね、人工的な進化を促すための力として、「生命の実」と「知恵の実」を生み出した。

しかし、それらは完全でなく、充分には機能しなかった。

次に、彼らは2つの力を最大限に発動させるための、第3の力を生み出そうとした。

それが、賢者の石。

賢者の石とは、「断片」によってイメージした人間が名づけたもの。

第一始祖民族は、これを、「精神の実」と呼んでいた。

彼らは、「精神の実」を生み出そうと、あらゆる手を尽くした。

しかし、結局は失敗した。

シンジ達が成功した理由。

それは、人間が未完成な存在だからだ。

未完成だからこそ、更なる進化の余地を、可能性を持っていた。

「精神の実」を生み出せず、「生命の実」と「知恵の実」を活かせぬままの彼らに、滅びは決定的なものとなった。

行く末を悟った彼らは、自分達に代わる「後継者」を生み出す事を考えた。

そして、新たな可能性を探るべく、「生命の種」である、アダムやリリスを生み出した。

「後継者」を生み出す、代行者としての役割のみを持つ。

それらは、進化を必要としない存在であり、生まれながらに完成していた。

ゆえに、変化しない。

アダムもリリスも、それ自体の、本質が変化する事はない。

変わるための新たな力、「精神の実」もまた、身の内には生じない。

 

“ プロテクトとは、あくまでリリスやアダムの暴走を防ぐために縛っていた鎖に過ぎない。たとえ、鎖を取り除いたとしても、「生命の種」としての本質までは変える事が出来ないの。それは、生み出した第一始祖民族であっても ”

「そんな・・・」

アスカは、苦痛に顔を歪ませながら、レイを見た。

“ ・・・ ”

アスカとは対照的に、レイの表情は、あくまでも穏やかだった。

達観、いや、あきらめか。

「っ・・・」

アスカは両手を握りしめる。

そうだ・・・。

なぜ、疑問に思わなかったのだろう。

プロテクトを解除したのに、なぜ、槍が。

あの時は、アダムとの戦いに気持ちがいっていた、だから。

いや、違う。

それはごまかしだ。

懸念がなかったわけではなかった。

しかし、無意識の内に、考える事を避けていた。

恐ろしい答えに、直面したくなかったのだ。

「プロテクトは解除された」という言葉を拠り所として、これまでずっと、心の隅へと追いやっていたのだ。

「きっと、大丈夫だ」と・・・。

「綾波・・・」

あまりの現実に、シンジは思わずつぶやいた。

目に映るのは、再会の時と同じ、儚げな微笑み。

それが、出来る精一杯であるかのように。

「・・・」

シンジの中に、怒りがこみ上げた。

また、彼女が犠牲になるのか。

計画のために、これまでずっと、犠牲になってきたというのに。

これ以上、まだ・・・。

「母さん!」

シンジは、思わず、やり場のない怒りを母へとぶつけた。

「母さんは、綾波の事知ってたんだろ!? だったら、なぜ教えてくれなかったの!?」

言ってすぐに後悔する。

こんなのは、ただの八つ当たりだ。

あるいは、自分自身への怒りの裏返しであったのかもしれない。

集合的無意識で「断片」を拾い集めていた時、「生命の種」についての情報もあったのではないか。

あの時、「石の生成方法」を得る事に専念していて、他の情報まで気にかける余裕などなかった。

やむを得なかったのだと、考えるしかないのか。

わかったところで、なにが変わったのかと。

しかし、シンジは思わずにいられない。

それでも、「断片」はあったはずなのだと。

 

 

「もちろん、綾波も。必ず元に戻すから」

“ うん・・・ ”

 

 

あの時の、切なげな微笑み。

そして、

ミサトのマンションで食事をした時の笑顔にも・・・。

なのに、自分はなにを見ていたのだろう。

“ 碇君、ユイさんを責めないで・・・ ”

レイは、静かに言葉を発した。

“ 私がお願いしたの。ユイさんに、黙っていてって・・・ ”

「綾波・・・、どうし・・・」

シンジは、言葉を途中で止めた。

尋ねる必要なんてない。

決まりきってるじゃないか。

僕達に心配をかけないために。

心の動揺で、賢者の石作りが失敗しないように。

ユイが、レイに続いて話す。

“ 本当はね、私が「塩」の力を受け取るはずだったの、第一始祖民族との契約では。でも、レイが、自分にやらせて欲しいって・・・ ”

「レイ・・・」

ユイの言葉に、アスカは唇をかみしめた。

アスカには、痛いほどよくわかっていた。

本当に、痛いほど。

“ レイの申し出を、私は受け入れた。第一始祖民族も、これまで通り、成り行きを見守るにとどめると ”

ユイは、慎重に話を進めていた。

自分から、シンジに伝えて良い事ではないのだから。

サードインパクトののち、宇宙へと旅立ったユイは、第一始祖民族と出会い、賢者の石について知らされた。

そして、地球へと帰還し、この地に残っていたレイへ、作業のため、弐号機のコアとして協力して欲しいと頼んだ。

この時、レイは心を決めた。

ここに残って、ずっと見守っていたい。

今までは、それで充分だと思っていた。

けれど、もし、許されるのなら・・・。

“ レイは自らの意志で「選ばれし者」となった。そして、賢者の石生成に携わる者の条件として、石の詳細については隠された・・・、自身で道を切り開くために ”

ユイは、続けて告げる。

“ レイはリリスの魂について知っていた。それがもたらすであろう結果も、レイは気づいていた。気づいていながら、あなた達と同じ道を歩んでいこうと決めたの。たとえ・・・、限りある命であったとしても・・・ ”

「・・・限りある・・・命・・・?」

「そんな、どうして・・・、「生命の実」は!?」

重ねられた衝撃。

動揺を抑えられず、シンジとアスカは叫んだ。

「だ、だって、初号機や弐号機は「生命の実」を持てたじゃないか!」

「それに、ロンギヌスの槍は、アダムやリリスが2つの力を得ないようするセキュリティだって!」

確かに、「生命の実」と「知恵の実」を合わせる事により、「生命の種」も神に等しい力を得る。

資格を持たない存在にとっての、禁忌。

禁忌とは、それが可能であるからこそ「許されない」のであり、ゆえに、ロンギヌスの槍がセキュリティとして存在する。

“ 彼らが生み出した「生命の種」、それは、素となる体は同じものだった。ただ、中に入るのが「知恵の実」ならリリスとして、「生命の実」ならアダムとして生まれる。だから、リリスの中に「生命の実」を、アダムの中に「知恵の実を」入れる事は可能なの。けれど、それも・・・ ”

「生命の種」は、「後継者」を生み出し、進化を促すためのもの。

しかし、結局は、不完全な神により生まれた、不完全な存在でしかない。

アダムや使徒は、肉体は完全な不死であっても、魂は完全には及ばなかった。

ゆえに、あらゆる物理攻撃を跳ね返す肉体を持ちながら、魂が宿るコアが破壊されると死ぬ。

まさに、アキレスのかかと。

また、アダムに「知恵の実」が入っても、その働きはリリス内でのそれに及ばず、活きた知恵となる事もない。

同様にして、リリス。

リリスの生み出した人類は、「知恵の実」を持ちながらも、結局は、第一始祖民族の歩んだ道をなぞる危険をはらんだいた。

そして、リリスに「生命の実」が入っても、やはり、肉体は不死を得ようとも、魂は有限を逃れ得ず、いずれは死を迎える。

「知恵の実」も「生命の実」も、「精神の実」がなければ、真価を発揮しない。

体内に3つの実がそろって初めて、強大な力となる。

そして、

「精神の実」が、リリスの魂を持つ、綾波レイの中には存在しない。

“ 碇君、アスカ・・・、私なら大丈夫よ ”

「綾波・・・」

「レイ、あんた、なにを・・・」

“ こうなるって、わかってたもの。それでもいいって、決めたから・・・、だから、私はここにいるの ”

そう言ったきり、無言で立つレイ。

その、かげろうのような姿が、シンジとアスカの目を鋭く突いた。

激しい痛みに、目を逸らしてしまいそうになる。

けれど、そんな事は、絶対に出来ない。

「・・・そうだ、賢者の石!」

シンジの言葉に、アスカも大きな声を上げる。

「あっ、そうか! 石の力を使えば!」

しかし、ユイの声は変わらなかった。

“ それは私も考えたわ。けれど、うまくいくかどうか、まったくの未知数なの。どうなるかは誰にもわからない。それは、賢者の石を生み出せなかった、第一始祖民族も同じ ”

ユイ自身、彼らに事実を知らされてから、救うための手段がないかを考えてきた。

しかし、そのどれもが、良案には程遠かった。

最初に思いついたのは、レイの記憶を、新たに生み出した人の魂に移し替える事。

しかし、これはすぐに否定した。

確かに、かつてのネルフにおいて、レイの記憶は定期的に保存され、有事の際には新しい肉体へと引き継がれていたのを、ユイは知っている。

しかし、記憶とはあくまで情報に過ぎず、彼女自身の心とは異なる。

心そのものを移し替える事が出来ない以上、それは、本当の綾波レイではない。

今のレイが2人目のレイから、保存されていた記憶と共に、心も引き継いでいるのは、魂が同一であったからだ。

心とは、魂という大地に植えられた、種。

情報や経験という雫を養分にして育っていく、唯一無二のもの。

決して、代わるものなどない。

ならば、選択肢として考えられるのは、あと4つ。

 

リリスの魂からレイの心を分離し、人の魂へと移し替える。

リリスの魂そのものを、人の魂へと変性させる。

リリスの魂にも作用するよう、「精神の実」を変性させる。

「生命の実」を、単体でも有効に機能するよう変性させる。

 

「精神の実」の力が未知数である以上、どれもが机上で描いた夢想であり、分厚い不安に覆われていた。

それでも、

「それでも、試してみる価値はあります!」

「そうだよ、石で全ての人と繋がって、みんなの力を合わせれば、きっと!」

アスカとシンジは強く言ってから、レイと向かい合った。

「やってみよう、綾波!」

「レイ、やるわよ!」

“ ええ ”

短く答え、微笑みを浮かべるレイ。

その表情は、まだ薄く、シンジとアスカの胸を締めつける。

「必ず成功する」と、言えずにいるのが、こんなにも苦しい。

けれど、そうだ。

だからこそ、やらなければ。

なにもせず、苦しませるのも、苦しむのも、もう嫌だ。

“ あなた達がそれを望むのなら、これ以上、私に言う事はないわ。・・・ううん、1つだけ、言わせてちょうだい ”

ユイは静かな、けれど、強い励ましを含んだ声で伝えた。

“ 賢者の石の力は、心の力。そして、最も重要な核となるのは、選ばれし者である、あなた達の心。それを忘れないで ”

 

 


 

 

繰り返される波音に包まれながら、三人は砂浜に立っていた。

中央に、レイ。

そして、彼女を円形に囲んで、シンジとアスカが両手を繋ぐ。

シンジの右手には、自身の体内から増殖させた、「精神の実」が握られていた。

そして、シンジとアスカの体内には、すでに「生命の実」が。

3つの力はそろっている。

これから、4つの案の内、まずは一番危険のない方法を試す。

万が一、石が異常を来たすような事があっても、いくらでも代わりが作れる。

目を閉じているレイを、そっと両腕で包むようにしながら、シンジとアスカの意識は集合的無意識へと潜っていった。

「精神の実」の力で、以前よりも簡単にたどり着く。

再び広がる、心の宇宙。

その、あまたの光達は、まだ眠りについている。

シンジとアスカは、「精神の実」の力をもって、強い願いを光達に届けた。

(目覚めて!)

(目覚めて!)

(力を貸してくれ!)

(みんなの力を!)

(みんなで力を合わせて!)

(お願い、レイを助けて!!)

二人の願いに呼応するように、輝きを強める光が、1つ、2つ。

それはまたたく間に、千、万、億と増え、遂には、全体が巨大な光のかたまりとなる。

シンジとアスカは、懸命にイメージした。

シンジの右手にある、「精神の実」。

これを、レイの中へ。

人々から届けられた力が、右手へと流れていく。

たくさんの力が、流れて。

シンジとアスカは、さらにイメージを強める。

(もっと力を!!)

(力を!!)

光のかたまりが、より強く輝く。

握りしめた「精神の実」へと、力が流れ続ける。

流れる。

流れる。

 

 

 

 

 

しかし・・・、

 

 

 

 

 

「くっ!!」

シンジは、思わず苦渋の声をもらした。

「・・・」

アスカは、悲観に肩を落としていた。

始めてから、もう何度目かの挑戦。

「精神の実」の変性から始まり、コピーした「生命の実」の変性。

さらには、慎重の上に慎重を重ねながら、リリスの魂からの心の分離、リリスの魂自体の変性。

全ての選択肢を、これまで何度も試してみた。

しかし、いずれも反応を示さず、シンジ達は落胆のみを重ねていった。

もう、丸1日が経過している。

上空の星空は、始めた頃とは違っている。

「生命の実」によって、肉体的な疲労は皆無だ。

レイも、霊体であるため、疲れたりはしない。

けれど、

“ 碇君・・・、今日はもう、やめましょう ”

「え、でも・・・」

「まだまだいけるわ、今度こそ」

“ うん、でも、少しは休まないと、ね・・・ ”

「・・・レイ・・・」

「綾波・・・、ごめん・・・」

シンジは自分の行動を悔いた。

今度こそと思いながら、失敗するたびに、希望が裏切りに変わる。

大勢の人達から力を借りていながら、と、自分の不甲斐なさを痛感する。

けれど、と、シンジは思う。

僕だけが苦しいんじゃない。

アスカも、

そして、

誰よりも苦しいのは、綾波だ。

そんな苦痛を、繰り返させてしまった。

その上、僕の苛立ちや苦しみを、二人に見せてしまった。

“ ありがとう・・・。私のために、ここまでしてくれて・・・ ”

レイは柔らかな笑みを浮かべていた。

“ 二人が、みんなが、私のために力を尽くしてくれて・・・。本当に、嬉しいの ”

(違う・・・)

シンジは、激しい胸の痛みを覚えていた。

(僕が見たいのは、そんな笑顔じゃないんだ、綾波・・・)

シンジの中に食事の光景が蘇る。

情けないと感じつつ、温かな記憶にすがる。

ミサトのマンションで、三人が囲んだ食卓。

あの時の綾波の笑顔にも、悲しみは潜んでいたんだろう。

でも、それでも、喜びだって、間違いなくあったはずだ。

あの笑顔に、きっと。

そう、楽しかった。

アスカも、笑っていた。

二人に、食事を味わってもらえた。

三人が、楽しい時間を過ごせた。

美味しい食事。

綾波と力を合わせて、アスカの傷を治せた事。

嬉しかった・・・。

嬉しかったんだ・・・。

「・・・」

「どうしたの、シンジ?」

“ 碇君? ”

突然黙り込んだシンジに、アスカとレイが呼びかける。

しかし、シンジは答えようとせず、自身の記憶を確かめていた。

そして、

「綾波、アスカ・・・」

シンジは、二人に言った。

「もう一回だけ試させてくれないか?」

“ え? ”

「シンジ・・・、もしかして、なにか思いついたの?」

「うまくいくかわからないけど、やってみたいんだ」

そう言ってから、シンジは

「綾波、アスカ、僕と繋がって」

と、二人を自身の内へ招いた。

繋がって、レイとアスカに届いたもの。

それは、シンジの記憶

シンジの心に降りた、雫。

月での、アダムとの戦い。

 

 

--- 槍は、月にあったの。私、見つけた ---

 

 

S2機関、そして、レイとキョウコが宿るコアを奪われた、エヴァ弐号機。

精神攻撃を受け、霊的エネルギーを激しく消耗していたアスカ。

それでも、苦しみの中、ロンギヌスの槍を見つけ出したアスカは、シンジに伝えた。

そして、

 

 

--- シンジ、お願い・・・、助けて・・・ ---

 

 

“ あの時、僕は、自分でも不思議なくらい、力が湧いてくるのを感じたんだ ”

 

アスカから願いが伝わって、僕は、嬉しかったんだ

自分がアスカを助けられるんだって、思ったら

そして、助けたいって、心から強く思った

助けたい

アスカを、そして、綾波を、母さんと父さんを、たくさんの人達を、助けたい

その気持ちが、どんどん湧いてきたんだ

なのに、忘れてた

集合的無意識の中で、僕は、助けてもらう事ばかり考えてた

みんなから力を借りて、それで綾波を助けようって

・・・そうか、アスカも、そうだったんだね

僕は、これまでずっとそうだった

エヴァで使徒と戦ってた時も、それ以外の時も、いつも誰かに助けてもらう事ばかり考えてた

でも、それじゃ駄目だったんだ

母さんが言ってたよね

選ばれし者の、僕達の心の力が核なんだって

なのに、核となる僕達が、助けてもらう事ばかりを考えて、自分自身の気持ちを忘れてた

僕の、アスカの中にある、綾波を助けたいっていう、一番強い気持ちを

それこそが、心の力の核なんだから

助けたい

助ける

絶対に、助ける

そのためには、僕達自身が、自分の力を信じなくちゃ

だから・・・

 

 


 

 

再び、集合的無意識の中。

しかし、今度は、呼びかける事をしない。

ただ、示すだけを行なう。

力の核としての、決意を。

中心となるのは、シンジ。

ひたすらに、レイへと力を送る。

アスカは、シンジをサポートしつつ、シンジとレイのパイプ役を務める。

レイに寄り添いながら、自身も力を送る。

そして、もしも異常が起こった際には、すぐさまシンジへと伝える。

送るべき力とは、自身の願い。

ミサトのマンションで、アスカの傷を治した時と同じ。

レイを助けたいという、強い願いを、ただひたすらに。

海岸に立つ、シンジとアスカの胸が、赤く輝きだす。

これまで以上に、激しく。

 

 

 

 

 

綾波

僕は君を助ける

必ず助ける

アスカだって、僕と同じ気持ちだよ

アスカも、君を助けたいって思ってる

綾波

綾波は、もう、独りじゃないんだ

アスカがいる

それに

僕だって

 

綾波が笑ってくれて

アスカが笑ってくれて

三人で笑い合う事が出来て

僕は、本当に嬉しかった

なのに

今まで気づけなくて、ごめん

君の笑顔に、悲しみが隠れてた事

賢者の石が出来た時、弐号機からすぐに出てこれなかったのも、きっと

そうなんだろ?

でも、もう隠すのはよそう

いや、そうじゃない

僕が、もう、見落としたりなんかしないから

 

だから、今度こそは

今度こそ、綾波も、アスカも、僕も

三人一緒に、心から笑えるように

心からの、本当の笑顔で

 

 

 

 

 

 

 

 

レイ、聞こえてる?

私、あんたに借りを返してない

あんたのおかげで、私、自分の気持ちに素直になれたのよ

あんたとシンジのおかげで、心から笑えるようになったの

なのに、あんたがそんなじゃ、また笑えなくなっちゃうじゃない、どうしてくれんのよ

あんたが私に言った言葉、そっくり返すわ

あんた、シンジと一緒にいられて嬉しくないの?

これから先も、ずっと一緒にいたいと思わないの?

 

ねえ、白状してもいい?

正直言って、今だって、シンジを独占したい気持ちはある

シンジを、私だけのものに出来たらって

でも、もしそんな事が出来たとしても、きっと嬉しくない

もう、あんたに悲しい思いをさせて、平気でいられるわけがないのよ

こんな風になるだなんて、思ってもみなかった

こんな嬉しい驚きってないわ

 

だから、私は戦ってみせる

何年だろうと、何億年だろうと、この気持ちと戦い続けてみせる

だから、あんたも戦いなさい

自分と戦うのよ、レイ

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、それだけでいいって、思ってた

見守っていられるだけで、充分だって

でも・・・

碇君と、また会う事が出来るって思ったら、どうしようもなくなった

会って、話して

私を、見てもらえるのなら・・・

 

私は、わがままだ

事実を知れば、碇君は苦しむかもしれない

わかってたのに、それでも、どうしようもなかった

碇君に、会いたかった・・・

 

そして、私は、もっとわがままになってしまった

このままでいいなんて、嘘

嘘だ

碇君・・・

もっと、話したい

もっと、私を見て、微笑みかけてほしい

碇君に、触れたい

ずっと、ずっと一緒にいたい・・・

それから

アスカ・・・

あなたと友達になれて、嬉しかった

アスカと、もっと、語り会って、笑い合えたら

碇君と一緒にいたい

アスカと一緒にいたい

この気持ちは、本物

私は、人形じゃない

私は、独りじゃない

私が変わる事で、碇君やアスカが喜んでくれるなら

なによりも、私が喜べるのなら

戦わなくちゃ

リリスと

もう一人の自分と

そして

私は、私を助けたい

 

 

 

 

 


 

 

砂浜に、激しい光が輝いていた。

温かく、力強い、赤い光が。

零号機のコアの中、ユイは届いてくる波動を感じ取っていた。

“ やったわね、あなた達・・・ ”

ユイは、深い安堵の声を漏らした。

そして、そばで眠る二人に語りかける。

“ あの子達がやったわ、ゲンドウ、キョウコ・・・ ”

 

 


 

 

集合的無意識から離れる瞬間、三人は見た。

自分達の周囲に、光が集まっていたのを。

それは、繋がっていた光。

シンジ達を支えていた人達の、心。

これまでより、ずっと近くに。

そして、

届いていたもの。

あれは、声だった。

言葉として認識は出来ない。

けれど、はっきりと伝わった。

シンジへ、アスカへ、レイへと、温かな声が。

幾多の声の中には、トウジがいた、ケンスケがいた、ヒカリも、ミサトも、そして・・・。

 

 


 

 

砂浜に立つ、三人。

穏やかな波音が、耳に届く。

シンジとアスカが、円の形に両腕を繋いでいる。

その中心には、レイ。

レイの中には、新たな光があった。

赤い光。

人に宿る、「精神の実」。

そして、

永遠を約束する、「生命の実」。

目を閉じ、うつむいていたレイは、ゆっくりと顔を上げる。

開かれた目は、輝きに満ちていた。

“ 碇君・・・、アスカ・・・、ありがとう・・・ ”

レイは、二人の名を呼んだ。

かすかに震える声で。

喜びにあふれた笑顔で。

いまだ霊体であり、制服姿のまま。

しかし、レイは確かに変った。

リリスの魂から、人の魂へと。

「や・・・、やった!!」

「レイ〜っ!!」

「うわっ!」

「あ、あれっ!?」

正面からアスカに押され、シンジは砂の上にしりもちを突いた。

嬉しさのあまり、思わずレイに抱きつこうとしたアスカなのだが、相手は霊体なので、すり抜け、向かいに立つシンジへと突進してしまった。

かなりの勢いでぶつかって、シンジは、怪我はないものの、かなり派手に転んだ。

一方、元凶のアスカは、転ばないで立っている。

「もう、アスカ!?」

「ごめん!」

「ああ、ビックリした」

言いながら、シンジはすぐに立ち上がる。

アスカはというと、シンジの方へ伸ばした右手が、つかむ相手をなくして、宙をさまよっていた。

「つ、ついウッカリしちゃったのよ、だって!」

「うん、わかるよ」

砂を払いながら、シンジはアスカの言葉にうなずいた。

「僕も、同じ気持ちだもの」

我を忘れるほどに、嬉しさが弾けた。

もし、アスカがぶつかってこなかったら、自分も同じ事をしたかもしれない。

いや、きっとしたに違いない。

シンジは、レイを見つめた。

胸が熱くなる。

これまで彼女を苦しめてきた、呪縛はもうない。

彼女は、人間だ。

「綾波・・・、本当に良かった・・・」

“ 碇君・・・ ”

「ね、僕の中にあるの、わかる?」

シンジが尋ね、レイは彼へと意識を向ける。

“ ええ、わかる・・・、わかるわ・・・ ”

「ねえねえ、私のは?」

アスカが自分の胸を指差す。

“ ・・・ええ、もちろん。アスカの実も、ちゃんとわかる ”

今、レイは笑顔を浮かべている。

シンジがずっと見たいと願っていた、彼女の、心からの笑顔。

三人で交わし合う、深い喜び。

そして、シンジはアスカへと言った。

「アスカ、本当にありがとう・・・。成功したのは、アスカのおかげだよ」

「どうして? うまくいったのは、シンジが気づいたからじゃない」

「でも、一番の気持ちに気づかせてくれたのは、あの時の、アスカの言葉だから。それに・・・」

シンジは、レイとアスカの、二人を見つめた。

良かった・・・、本当に、良かった・・・。

アスカのおかげで、大切な人を救う事が出来た。

綾波のおかげで、大切な人を悲しませなくて済んだ。

胸の高鳴りは、シンジの口を開かせる。

 

「「硫黄」を採取しに、地球から水星へ飛ぶ時、考えたんだ、僕達って、なんなんだろうって」

 

「仲間・・・、友達・・・。でも、どれも違う気がして」

 

「知りたいって思った。アスカを、綾波を、二人をもっと知りたいって、強く思った」

 

「同時に、なんだかあれこれ考えちゃって・・・」

 

「どこまで知る事が出来るんだろうか。全てを知ったら、なにかが変るんだろうか」

 

「表情とか、声とか、仕草とか・・・、「断片」をひとつひとつ拾い集めて、全てを手に入れて、そしたら・・・」

 

「僕に出来るだろうか。だいたい、全てを知るだなんて、そんな事が出来るんだろうか」

 

「あれこれ考えたけど、わからない」

 

「わからないから、不安がつきまとう」

 

「でも・・・」

 

「それでも、もう止められない」

 

「知りたい、この気持ちは止められない」

 

「だから、止めない」

 

「大事なのは、不安と戦い続ける力だと思う」

 

「心の力」

 

「見つめて、探して、拾い集めて」

 

「そのために、手を伸ばして」

 

「これから先、いつまでだって、僕は・・・」

 

「そうしたいんだ、どうしても・・・」

 

考えながら、途切れ途切れに。

それでも、最後まで続けられた言葉。

「シンジ・・・」

“ 碇君・・・ ”

シンジの言葉が、瞳が伝えるものに、アスカもレイも、胸が熱くなる。

もう、限界だ。

これ以上、抑えられない。

「レイ」

“ アスカ ”

「一緒に言うわよ」

“ ええ ”

そして、

 

「シンジ!」 “ 碇君! ”

 

「私は、シンジが好き!」 「私は、碇君が好き!」

 

ずっと言いたかった言葉。

どれだけ焦がれていた事か。

今、やっと伝えられた。

「アスカ・・・、綾波・・・」

シンジの目は、大きく見開かれる。

様々な感情の前に、驚きが先に立つ。

それでも、

 

「うん、僕も好きだ。僕は、アスカが、綾波が、好きだ」

 

伝える。

一番の気持ちを、シンジは伝えた。

「でもさ・・・」

” え? ”

「なによ?」

「二人は、これでいいの?」

「あんたねぇ、今更なに言ってんのよ」

「私達の気持ちは、もう決まってるわ。だから、あとは碇君の覚悟だけ」

「僕の、覚悟・・・?」

言ってから、シンジは、右手をレイの方へと伸ばした。

その手は、レイの肩へと触れる。

霊体であるレイの肩を、シンジの手はしっかりとつかんだ。

続いて、シンジは、アスカへと左手を伸ばした。

その手は、アスカの、今は傷跡も痛みも消え去った、右腕をしっかりとつかむ。

そして、レイとアスカを自分のもとへ引き寄せると、シンジは、二人を強く抱きしめた。

「覚悟なら、もう決まってる」

「シンジ・・・」

“ 碇君・・・ ”

三人は、いつまでもそうしていた。

優しい、けれど、確かな手は、大切な人の手に繋がる。

空が、うっすらと明るくなってきた。

太陽が顔を出そうとしている。

空にはまだ、月の姿が残っていた。

ひとつの空に、太陽と月。

“ アスカ、碇君 ”

「ん?」

「なに?」

“ 体が出来たら、私、新しい服は自分で選ぼうって思うの ”

「うん、そうだね、その方がいいよ」

「あんたがそうしたいって言うんならね」

“ うん、私、そうしたい。でも、アスカと碇君にも協力して欲しい ”

「もちろんよ、みっちりアドバイスしてあげるわ」

「僕も、色々勉強してみるよ」

「でもって、服が決まったら、三人でデートしましょ♪」

“ うん! ”

 

「精神の実」とは、心を強くするものではない。

「強くなりたい」という、心の力を、思いを、願いを、増幅するもの。

今、それは、三人の胸に。

希望が見える。

明日が見える。

未来が見える。

この、広大な、新しい世界で。

 

 

「The Hermit」 第8話 終わり

 


 

後書き

 

さて、今年2017年は年です。

本編にも書きましたが、パンドラの箱の「箱」は、元々は「甕(かめ)」でした。
甕というのは、壷の口が大きいやつの事です。
なぜ、「甕」が「箱」になったのかというと、ルネサンス期はオランダの人文学者、デジデリウス・エラスムスが誤訳したからと言われています。
で、「
」という字は、酒を入れる壷を表わす象形文字が元なんだそうです。

さて、
水晶の結晶は、その構造に右回りのものと左回りのものがあるんですが、ちょっと紛らわしい事になっています。
というのも、右回りのものには「左水晶」、左回りのものには「右水晶」という名前がついているから。
これは、外見から名前をつけたんだけど、のちに内部構造を調べてみたら逆だったという事だそうです。
まさに、「右が左で、左が右で」です。
ちなみに、パソコンや携帯電話、時計など、様々な電子機器に使われている「合成水晶」は全て右水晶(左回り)です。
ただ、左水晶が作れないからというのではなく、切断加工する際に向きを間違えないようにという理由で、規格を統一してるんだそうです。

ユングに関連して、「ペルソナ」について。
「ペルソナ」とは、元々ローマの古典劇で使用された仮面を意味していて、それをユングが「人の外的側面(ざっくり言うと、表向きの顔)」を表わす言葉として用いました。つまり、医者は医者、警察官は警察官、芸能人は芸能人と、自分の立場に応じた社会的振る舞いをするというのがそうです(もちろん、プライベートではプライベートでの「ペルソナ」があり、仮面は1つじゃありません)。
そして、「ペルソナ」を具現化したものといえば、「服」が挙げられます。
学校に行く時は制服を、プライベートで出かける時は私服を、と、状況や立場に応じて着替えるわけです。
で、
「精神の実」が入った時の、レイの服装をどうしようか考えていて、やはり、彼女自身に決めさせるのがいいだろうと思いました。
アスカ(かシンジ)がイメージした服を着るとなると、結局、依存の対象がゲンドウから変わるだけって感じになるし、
かといって、制服を脱いで素っ裸、だと、シンジがドギマギしたり、張り合ってアスカまで脱ごうとしたら台無しだし。
なにより、裸って、それこそ、シンジが目の前にいるのに平気で着替えていた(TV版第5話)、自分という存在に無頓着だった、以前のレイのまんまだし。
という事で、今はまだ制服、だけど、って感じで。

でもって、もひとつユング。
賢者の石の生成過程における、黒化(ニグレド)→白化(アルベド)→赤化(ルベド)を、ユングは「個性化」の過程ととらえていました。
「個性化」とは、内なる可能性を開花させ、理想とする自分に到達する事をいいます。
つまり、自分の中にある「認めたくない部分(弱さや醜さなど)」を、苦しみに耐えながらも受け止め、克服し、そして、理想へたどり着くというわけです(要は「死ぬ気でやれ!」って事か?)。

最後に、太陽と月。
ラストで、太陽と月が一緒の空に浮かびます。
が、実際にはどうなんかな、と思って調べてみると、
舞台である、2016年1月初旬の第3新東京市(神奈川県)は、
月が出ているのは、1日:23時17分から10時54分の間〜10日:6時32分から17時08分の間。
で、日の出は、1日から10日まで、6時50〜51分。
なので、問題ないか、と思ったら、
エヴァの世界って、地球の地軸がズレてんじゃん!
じゃあ、もうどうでもイイや、って事で。

でもまあ、
今回のレイは、「微笑みは偽り」だったり、「真実は痛み」だったりしましたが、
もう大丈夫、新しい夜明けはすぐそこです。

あ、それと、夜明けといったら、が鳴きますよね。

 


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