「日向君て、甘いもの、好きなの?」
「うん、甘いものも、辛いものも好きだよ。酒も飲むし」
「ふうん、博愛主義者なんだ」
「そういう事」
「でも、私も大好き。ソフトクリーム」
EVANGELION MM
午後3時09分。マヤとマコトは買い物を済ませて、先ほどいたパラソル付きテーブルに戻った。2人共、ソフトクリームを買っていた。マヤはバニラ、マコトはチョコ。
学校帰りの小学生が数人、浮き輪で波に乗って遊んでいた。声変わりしていない、甲高い声が、辺りに響き渡る。
そんな喧騒をかまう事なく、波は静かに寄せて返す。
「・・・・・・」
マコトはソフトクリームを舐めながら、再び海をぼんやり眺めていた。
マヤも、今度は話し掛けずに、マコトの横顔を見ていた。
買い物の間に、かろうじて自分を取り戻したマヤだったが、それでもまだ、冷静にマコトに対応出来ずにいた。あまり長く話していると、動揺を見透かされそうで、恥ずかしかった。それでいて、ついマコトの顔に目が行ってしまう。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
波の音、子供の声。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
しばらく、マコトの顔を見つめている内に、その表情に感化されてか、マヤの気持ちも次第に安らいでいった。
なにげにマコトの顔を観察し、物思いにふける。
(眼鏡の野暮ったさで、大分、損してる感じ・・・)
「あのさ・・・」
マコトが急にマヤの方を向く。
「えっ、な、なに!?」
見つめていた事を悟られないためなのだろうが、目が合ってから、よそを向いても、まるで意味がない。
「ずっと、考えてたんだけど・・・」
「ええ・・・」
「さっき、伊吹さん、様子がおかしかったけど・・・」
「そ、そう?」
「って言うか、今もおかしいけど・・・」
「そ、そうかしら?」
「それって、もしかして・・・」
「え? え? え?・・・」
「赤木博士に似てきた、なんて言ったから?」
「・・・・・・え?」
「いや、俺が赤木博士に似てきたって言ったとたん、様子がおかしくなったような気がして」
「あの・・・、その・・・」
動揺するマヤに、マコトが気まずそうに頬をかきながら言う。
「あのさ、あれは、半分冗談で、あとは・・・、なんて言うか・・・、そう言えば、伊吹さん喜ぶかなぁ、なんて思ったりして・・・」
「え・・・、どうして?」
デジャヴュのような重苦しい不安が、マヤの胸にのしかかってくる。それまで、のどかに聞こえていた子供達の嬌声が、今は、とても耳障りでならない。
「だって、伊吹さんって、赤木博士の事・・・」
「!」
「あいしてい・・・」
「!!」
皆まで言わせず、マヤはマコトの両頬を思いっ切り引っ張っていた。
「ちーがーうー!!」
第8話
MISUNDERSTANDING
「いひゃい! いひゃい! やうぇて、いうひはん!」
「日向君まで、そういう事言うなんてぇー!」
「ひょっほー!!」
「私と先輩は、そんなんじゃないのよぉー!!」
「やうぇてぇ〜!!」
この時、マヤのシンクロ率は60%を記録していた。
噂そのものよりも、マコトの口からそれが出た事に、マヤは、裏切られたようで、腹立たしく、そして、なにより悲しかった。
それにしても、あまりにも力一杯引っ張り過ぎだ。季節が冬なら、唇が切れて、血が出ていただろう。
「ひょっほ! はなひ・・・・・・てっ! ああ、痛かった!」
マヤの手を無理やり引きはがして、指の跡がくっきり残った頬を、涙ぐみながら、両手で押さえるマコト。
「どうしたんだよ! いきなり、ひどいぞ!」
「ひどいのはどっち!? あんな事、言うなんて!」
マヤの言葉に、マコトはキョトンとしていた。
「なんの事だよ!?」
「私が・・・、先輩の事・・・」
「だって、自分で言ったんじゃないか!」
もちろん、『愛している』などと言ったはずはない。マヤは大きく目を見開いた。
「な!? 言ってないわ!!」
今度は、マコトが大きく目を見開いた。
「なんだよ、それ!? 言ってたじゃないか!」
「言ってないぃぃ!!」
「言った! 言った! 言った! 言ったよ! 赤木博士の事」
「やめて!」
「尊敬してるって!」
「尊敬はしてるけど、愛し合ってるとか、そんなんじゃないの!」
「はぁ!? 誰も愛し合ってるなんて言ってないじゃないか!」
「!? だって、今、言ったじゃない! 私が先輩の事、愛してるって!」
「な!? 言ってないよ!!」
「なによ、それ!? 言ったじゃない!」
「言ってないぃぃ!!」
「言った! 言った! 言った! 言ったわよ!!」
精神年齢14歳同士のケンカは、まだ、しばらく続く。
「なるほどね・・・、そんな噂が立ってたのか・・・」
「あの・・・、その・・・、だから・・・、日向君も・・・かな・・・なんて・・・」
「なるほどね・・・」
◎問題:日向君が言った「だって、伊吹さん、赤木博士の事」のあとに続くセリフを答えなさい。
伊吹さんの答え:「あいしているんでしょ?」
→不正解です。
正解は「アインシュタインと同じくらいに尊敬してるんでしょ?」でした。
問題作成者のコメント:見捨てないで・・・。
マヤは縮こまってしまった。倍率86%、サイズにしてA4→B5の縮小だった。
マコトは、じっと海を見ていた。太陽の光が眼鏡に反射して、マコトの表情はつかめなかったが、うつむいているマヤには、どうでもよい事だった。
「・・・・・・」
「日向君、あの・・・」
「・・・・・・」
「日向君! あの、ごめんなさい!」
「・・・・・・」
「日向君があんな噂を本気にするはずないって思ってたんだけど・・・、つい頭に血がのぼっちゃって・・・。子供の声もうるさかったし・・・、あ、いえ、これは言い訳よね・・・。本当に、馬鹿だわ、私・・・」
「・・・・・・」
「あの・・・」
「・・・・・・」
マコトからの返事がない。なんだかすごく遠くにいるように感じる。
このままずっと、口を利いてくれないんじゃ・・・。
そう思うと、マヤはなんだか怖くなってしまった。
「日向君、お願い、なにか言って!」
マヤは思い切って顔を上げた。
「え・・・?」
しかし、そこに、マコトはいなかった。
「日向君?」
(まさか、先に港に行ってしまった? そんな・・・)
いくら辺りを見渡しても、マコトの姿は見付からなかった。
体中の力が抜けるマヤ。
立とうにも、力が入らず、呆然とする。
実際、他愛のない口論だったのだが、それが招いた結果に、そして、その事で自分が感じている、あまりに大きな喪失感に、マヤは打ちのめされてしまった。
「日向君・・・、そんなに、怒るなんて・・・」
「え? 俺、怒ってないよ?」
突然、マヤの背後から、マコトの声がした。
「日向君!? きゃあっ!? どうしたの、それ!?」
マコトの声に驚いたマヤは、振り向いてさらに驚いた。目の前に、マコトが全身ずぶ濡れで立っていたのだ。マヤは慌ててハンカチを探したが、そんなもので足りる濡れ方ではなかった。
「あれ、気付かなかった?」
「なにが!?」
「今、あそこでさ、子供が溺れてたんだよ」
マコトが指差した先は、座っているマヤの後方で、死角だった。マヤがそちらを向くと、まだ、人が何人か集まっていた。
「いやぁ、もうびっくり! 海の方を見てたら、子供の足が2本、海面から出てるんだもの。浮き輪で泳いでて、ひっくり返っちゃったみたいなんだ」
マヤがマコトを見付けられなかったのは、その時、ちょうどマコトが海の中だったからだ。しかし、そもそも海を泳いでいるなど思いもしなかったから、慌てて見回した目には、映っていても、情報としてはシャットアウトしていたかもしれない。
そして、マコトがいない事への動揺が、もう少し小さければ、マコトが座っていた椅子の下に、スーツの上着が落ちていた事にも気付いただろう。
「で、慌てて飛び出して行ったんだけどさ・・・。あ、子供は無事だったからね。少し水を飲んだだけで、「あ〜、びっくりした!」なんて言って、笑ってんの。友達の前だからってイキがっちゃって、涙目のくせしてさ、全く!」
「その子を、日向君が助けたの?」
「それが・・・、助けたのは別の人。俺も海には飛び込んだんだけど、あんまり泳げないもんだから、あとから来た人に追い越されちゃって・・・」
「・・・・・・」
「ただでさえ泳ぎが下手なのに、こんな格好だろ? もう、水飲んじゃって、こっちまで溺れるところだった」
「・・・上、脱いで・・・」
「それで・・・、あの、今なんて?」
「上、脱いで。傷にしみるから・・・」
マコトがうまく泳げなかったのは、背中の傷が痛んだからだ。マヤはそれに気付いていた。
「ああ、でも・・・、そんなに痛くは・・・」
マコトは、背中の傷をマヤの目に触れさせる事に抵抗があった。
「脱いで・・・、お願い・・・」
静かだが、有無を言わせぬ口調に、マコトは素直に従うしかなかった。
上を全部脱いで、テーブルで待っているマコトの元に、両手に白いビニール袋を持ったマヤが走って来た。ソフトクリームを買ったコンビニで、ミネラルウォーターとタオルを買って来たのだ。
店には代えとなるシャツが売っておらず、他の店を探そうかとも考えたが、マヤは、一刻も早くマコトの手当てがしたかった。
そこで、水は、マコトの背中を拭くのと、塩水につかったシャツを洗うために、2リットルのペットボトルを3本買った。重い物を持って走ったのがこたえたのか、マヤは大粒の汗をかいていた。
「はい・・・、日向君・・・、背中・・・、こっちに向けて・・・」
「うん・・・。ねぇ、伊吹さん、少し休んだら?」
「いいの。それより、背中・・・」
「う、うん・・・」
マコトは、おずおずと、マヤに背中を向ける。
「・・・・・・ねぇ、どうして、包帯、巻いてないの?」
「いや、その、面倒くさくて・・・」
エヴァを降りてから、マコトはネルフで治療を受けたのだが、背中一面の傷に貼るバンソウコウがなく、包帯を巻いてもらった。それが、寝ている内に外れてしまったのだが、もう一度巻くのが面倒で、そのまま家を出てしまったのだ。
「血も出てなかったし、『まぁ、いいか!』なんて・・・」
「もう・・・」
そして、それから、2人は無言だった。
マコトはマヤに背中を預け、マヤは痛くしないように、細心の注意を払いながら、マコトの背中をタオルで拭いていた。
マコトの傷を見ても、マヤは泣かなかった。
この時は、どうにか、こらえる事が出来たのだ。
午後4時35分。マヤとマコトは港へ向かうべく、車を走らせていた。運転はマヤが受け持った。
「アスカちゃん、この格好見たら、なんて言うだろう?」
慌てて乾かしたので、生乾きの上、しわくちゃなシャツを指でつまんで、マコトは言った。
新しいシャツを買おうと、何軒かの店を車で回ったのだが、それらの店には、かなり派手でアロハなシャツしかなく、結局、そうこうする内に、時間が過ぎてしまったのだ。
「事情を話したら、感動しちゃうんじゃないかしら? 『子供を助けるために、海に飛び込むなんて、素敵!』って・・・」
「うーむ・・・。ねえ、伊吹さん、溺れかけた事と、他の人が助けた事は、内緒にしといてくれる?」
「ふふっ、私はなにも言わないでいるわ。嘘は言いたくないけど、本当の事を言っても、日向君、かわいそうだもの」
「お手数かけます。本当の事がばれたら、俺、本当に間抜けだもんなぁ」
「でも・・・、それでも、私は・・・」
「それでも・・・、なに?」
「・・・なんでもない・・・」
(それでも、私は、嬉しかった・・・)
(そして・・・、なぜだろう・・・、悲しかった・・・)
港に着いても、まだ、船は到着しておらず、2人は車の中で待つ事にした。エアコンよりも、潮風の方が気持ちいいので、ドアは開け放していた。
2人は車の中で、並んで座っていた。
会話する事もなく、カーラジオもつけずに、ただ、波の音だけを聞いていた。
つい数十分前のドタバタが嘘のように、静かな時が流れていく。それが、2人にはとても心地よかった。
マヤは、そっと助手席に座るマコトを見た。
マコトはぼんやりと海を眺めていた。その顔には、やはり、海で泳いだ時の疲れが浮かんでいる。もう少しこのままなら、マコトは眠ってしまうかもしれない。そして、船はまだ来そうになかった。
(今、言わないと・・・)
「日向君・・・」
「ん・・・なに?」
「あの・・・、さっきの、先輩との噂の事・・・、まだ、ちゃんと謝ってなかったでしょう?」
「途中まで聞いてたんだけどね。でも、もう・・・」
「お願い、改めて言わせて欲しいの」
「・・・うん、わかった」
もちろん、マコトは、海水浴場で事情を聞いた時から、すでに怒ってなどいなかった。ただ、真剣に謝ろうとしているマヤを、途中で制する事が出来なかった。
「日向君、ごめんなさい。本当に私、どうかしてたわ」
「なんか、いつもの伊吹さんとは違ったよね。そんなに広まってるの、噂?」
「ええ・・・、今朝も、ちょっとあって・・・。それで神経過敏になっていたのね・・・」
「今朝も、なんかあったの?」
「ええ、ちょっと、ね・・・」
「・・・そうか・・・」
具体的に誰が、なにをしたのかまでは、マヤは言わなかった。マコトも、無理に聞こうとはしない。
「それで、あの・・・」
「うん、もう、いいよ」
「本当? 許してくれる?」
「うん。もう、全然怒ってないから、安心して」
「ありがとう、日向君・・・」
「でも、伊吹さんってさ・・・」
「え?」
「ドサクサでごまかす事も出来たのに、きちんと謝ってくれて・・・。タイミングっていうのがあるからさ、そういうのって、なかなか出来ない事だよね。それが出来る伊吹さんって、やっぱり、とても素敵だって思うなぁ・・・。それが、再確認出来たから、今日はいい日だったよ」
どういう環境に育ったのか、マコトはこういうセリフを、下心なしに、至極、当たり前に吐く。
「や、やだ・・・、そんな・・・」
マヤは耳まで真っ赤になる。嬉しさ4割、恥ずかしさ5割、残り1割は『よく、そんなセリフが・・・』という感心と呆れからだ。
「ぷっ! でもさ」
マコトが急に吹き出しながら言う。
「さっきのあれ、『あいしている』と『アインシュタイン』。はは! 思い返してみると、マンガみたいな話だよね。『笑 ・』だったら、座布団、取られてると思うけど」
過去の大災害にもめげず、テレビ番組『笑 ・』は健在だった。司会をしている山田某は、以前は座布団配りをしていたらしい。
「ふふっ、本当、馬鹿みたい!」
「ははは!」
「ふふふっ!」
マコトの笑い声を聞いて、マヤは、ようやく心から安堵する事が出来た。
そして、これは後日の話。蛇足かどうかは、個人の判断で。
マコトは、マヤに内緒で、噂の元を調べ上げ、これ以上、マヤにちょっかいを出さないよう、釘を刺しておこうとした。しかし、調べた結果、噂のそもそもの張本人がミサトである事が判明したのだ。
マコトは頭を抱えた。
(葛城さんの遺志は出来るだけ継いでいきたいけど・・・、これは、ちょっと・・・)
第8話 MISUNDERSTANDING 終わり