わりと珍しい事ではあるのだが、ここ数日、フィリアの骨董屋は閑散としていた。
「はぁ・・・」
フィリアは、ため息をつきながら、ドア向こうの、自分とは無縁の喧騒に耳を傾けていた。
真夏のギラギラした日差しを受け、張り合うかのように飛び交う、様々な店からの呼び込みの声。
買い物に訪れた人達の、せわしくも楽しげな会話と足音。
晴れ渡る空の下、街は活気に溢れていた。
対して、フィリアの店の中はというと、そんな熱っぽさから隔絶され、居心地の悪い静けさと重く湿った空気に満ちていた。
たった一枚のドアを隔てての、この格差。
「マクスウェルの悪魔でもいるのかしら・・・」
ドアをにらんで、フィリアは木製のテーブルを軽く叩く。
コン・・・
しかし、その手は1回だけで止まった。
「・・・」
自分が発した「悪魔」という言葉に、気持ちはさらに沈んでしまう。
「あ〜あ!」
パタンとテーブルに突っ伏すフィリア。
「いっその事、お休みにしちゃおうかしら?」
(そして・・・)
(でも・・・)
「はぁ・・・」
再び、ため息。
物憂げな視線は窓の外。
その瞳は、店の前を通り過ぎる人波より、さらに彼方を見ていた。
どこの地なのだろうか。
それとも、どこの空。
フィリアが行きたいと望む場所。
しかし、それがどこなのかが、彼女にはわからなかった。
つまり、あちらこちらと忙しく、ゼロスは仕事のために飛び回っているのだ。
・・・は、口ほどにものを言い
テーブルに顔を伏せたまま、フィリアは鬱々とした空気を発している。
頭に浮かぶものといえば、心配と苛立ちと不安ばかり。
「また・・・」
(なにか悪さをしてなければいいけど)
「でも・・・」
(どうしたのかしら)
「もう・・・」
(この前来てくれた日から、1週間以上も過ぎてるっていうのに)
「まさか・・・」
(大きな怪我でもしてるんじゃ)
「ううん・・・」
(あの人に限って、そんな事、あるはずない)
「じゃあ・・・」
(どうして来てくれないの?)
こんな調子で、ここ数日、すきあらばブツブツとつぶやいているフィリア。
客が寄りつかなくなるのも道理というものである。
(いくら仕事が忙しいからって、ちょっとくらい寄ってくれても)
(それとも、もう、私の事なんか忘れちゃったの?)
(まさか、どこかで他の女の人と)
「嫌よ・・・、そんなの・・・」
ヒマが過ぎて、思考がどんどん泥沼にはまっているが、なにしろ相手が魔族なものだから、嫌な想像も妙な信憑性を帯びてしまう。
考え始めると、とめどなくあふれてキリがない。
アテがなくても、探しに出たくてたまらなくなる。
なのに、ここまで焦がれていながら、いざ本人を前にすると、つい、憎まれ口をたたいてしまう。
それは、フィリアの意地っ張りな性格もそうなのだが、なによりの問題は、ゼロスののらりくらりとした態度にあった。
真意を見せない糸目に加え、いつも不敵な笑みを浮かべて、
「それは秘密です」
としか言わない。
どこへ行くとも、いつ帰るとも、なにも言わずに姿を消してしまう。
だから、フィリアは追いかける事が出来ない。
いつも、ゼロスが尋ねて来るのを待っているしかない。
「くやしい・・・」
フィリアはそれがシャクだった。
(私ばっかりヤキモキしてるんだわ・・・)
本当のところ、それがゼロスの隠す闇なのだという事を、フィリアは知っていた。
母なる獣王ゼラス・メタリオムよりの命を遂行すべく、日々奔走するゼロス。
獣神官として生まれた者の、
魔族として生まれた者の、
それは、至極当たり前の姿だった。
決して、フィリアの望む姿ではない。
しかし、
(「やめて」なんて、言えるはずないもの・・・)
そして、それを自分には見せまいとするゼロスの気持ちが、フィリアには悲しかった。
(確かに、あなたのしている事は許されるべきじゃない)
(私にあなたの仕事を手伝う事は、決して出来ない)
(でも、私には、すでに覚悟がある)
(世の正義よりも、あなたに殉じる覚悟が)
(あなたが裁かれる時は、私も一緒に・・・)
(もう・・・、変えようもないほどに、私は・・・)
胸の奥底まで染み込んだ、強い想い。
しかし、それを伝えるのは、ゼロスを苦しめるだけなのかもしれない。
竜族と、魔族。
本来、相容れようはずもない。
そして、たとえ伝えたとしても、ゼロスはいつも通りの笑みを浮かべるだけなのだろう。
「あなたは、なにも心配しなくていいんですよ」
それだけを言って、ただ笑うのだろう。
本当の表情を決して見せない彼。
だから、フィリアはくやしいのだ。
くやしくて、憎まれ口をたたくしかない。
悲しいのに、しかし、それしかないのだ。
「はぁ・・・」
店に、重く湿った空気が満ちる。
それは、フィリアのため息。
苦しさから、たまらずに溢れ出た、フィリアの心。
「ゼロス・・・」
と、突然、
店の中を一陣の風が巻き起こった。
「っ!?」
かなりの強風が店を揺らす。
フィリアは棚にある商品の心配も忘れ、高鳴る鼓動と共に、風の正体へと目を凝らした。
ドアは閉まっている。
マクスウェルの悪魔ではない。
これは、別の悪魔の仕業だった。
「こんにちは、フィリアさん」
マントをひるがえして、静かに降り立つ影。
「ゼロス!」
思わず浮かべた喜びの笑顔を、必死に噛み殺して、フィリアは言う。
「も、もう、その入り方はやめてって、何度も言ってるじゃないですか! 店の物が壊れたらどうするんですか!?」
口元に笑顔の欠片を残し、照れ隠しに怒鳴り散らすフィリア。
そんな彼女を見ながら、ゼロスは相変わらずの笑みで答えた。
「別にいいじゃないですか。壊れて困る物があるじゃなし」
「大事な商品なんですよ!」
「はぁ、でも」
ゼロスはあたりをゆっくり見渡すと、
「商品って、買う人がいればこそですよねぇ?」
と、わざとらしく両肩をすくめて、ニヤリ。
「なんですってぇ!?」
さて、ここまではいつも通りのやり取り。
ルーチンワークを済ませたところで、フィリアは一番知りたい事を尋ねた。
もちろん、素直じゃない表現で。
「こう見えても、私、忙しいんです! 一体、いつまでここで油を売ってるつもりなんですか!?」
翻訳すると、
(今日は一緒にいられるの? どれくらい一緒にいられるの?)
である。
しかし、ゼロスは少し眉をひそめると、申し訳なさそうに言った。
「今日はちょっと寄っただけなんです。これから、またすぐに行かなければならない所がありましてね」
「え・・・?」
途端に顔が曇・・・りそうになるのを、かろうじてこらえて、フィリアは強がる。
「な、なら、さっさと行ったらどうなんです!?」
「まあ、それはそうなんですけどね・・・」
「繰り返しますけど、私は忙しいんです! あなたの相手なんか、してるヒマはないんです!」
「忙しい、ねぇ・・・」
「い、今はちょっとお客さんがいませんが、これからすぐにいっぱいになるんです!」
「へぇ〜?」
「なるんですっ!」
またもやけんかになる二人。
しかし、ゼロスはというと、フィリアの顔を見るフリをして、実際は、もっと下の方を見ていた。
視線の先にあるのは、彼女の尻尾。
(フィリアさんは、尻尾の方がずっと素直ですからね)
確かにその通り。
ゼロスが店に現われた途端、フィリアの尻尾はピン!と跳ね上がり、嬉しげにフルフルと揺れた。
そして、ゼロスがすぐに行ってしまうとわかった今は、シュンとして、力なく垂れ下がっている。
尻尾の動きと、裏腹に憎まれ口をたたく彼女の様子が、それぞれ面白くて、ついついゼロスはからかってしまう。
「それにしても、今日は特に暑いですね。僕、喉が乾いてるんです」
「だからなんなんですか?」
ピクン
「それで、紅茶でも飲ませて頂けないかと思いましてね」
「どうして私があなたなんかに!」
フル
「フィリアさんは紅茶を入れるのが、とてもお上手ですもんね」
「ふん、そんなお世辞、誰が本気にするもんですか」
フルフル!
「いえいえ、お世辞なんかじゃなくて。だから、ついついお邪魔しちゃうんですよ。なんたって、タダで頂けますしね」
「あ、あなたがここに来るのは、紅茶が目当てなんですか!?」
ヘナ・・・
「まあ、それもありますけどね」
「な、なんてずうずうしい・・・。これだから魔族なんて・・・」
ヘナヘナ・・・
「いやいや、もちろん、それだけじゃありませんよ。フィリアさんに会いたいってのが、一番の理由ですから」
「ま、またそんなふざけた事を!」
フルフルフル!
本当にわかりやすい。
「というわけで、紅茶、頂けますか、フィリアさん?」
「し、しょうがないですね! 一杯だけですよ!」
「すみませんねぇ」
「ホントに、もう、しょうがないわ」
などと言いつつも、いそいそと紅茶の用意を始めるフィリア。
ティーポットにお湯を注ぎながら、いつの間にか鼻歌が混じる。
尻尾も、リズムに合わせて揺れている。
フル♪ フル♪ フル♪
ティーカップにはアールグレイ。
その隣には、とっておきのチーズケーキ。
フル♪ フル♪ フル♪
「おまた♪・・・、どうぞ」
「せしました」を言う前に気がついて、どうにかこうにか憮然とした顔を作ると、フィリアはぶっきらぼうに紅茶とケーキを置いた。
「いただきます」
しばし香りを楽しんだ後、ゼロスは紅茶を口に運ぶ。
その様子を真剣な面持ちで見つめるフィリア。
「ふぅ・・・、やっぱり、フィリアさんの入れてくれた紅茶は格別ですね」
途端に、フィリアの緊張が解ける。
「ふ、ふんっ、魔族に紅茶の味がわかるのかしら!?」
フルフルフル!
「ぷっ!」
こらえ切れず、ついに吹き出すゼロス。
「な、なんですか、いきなり?」
「いやぁ・・・」
紅茶を一口飲んでから、ゼロスはしみじみと言った。
「可愛いですね、フィリアさんの尻尾って」
「えっ!?」
ゼロスの言葉に、フィリアの脳内暴走が始まる。
(今のって、どういう意味?)
(ま、まさか、ゼロスってば、尻尾好き!?)
(尻尾に対してなにやら特殊な嗜好があるのかしら・・・)
(も、もしかして、私に会いに来てくれるのも、この尻尾のせい!?)
(そ、そんな・・・)
(なら、もしも、尻尾がなくなったら・・・)
(ああ、トカゲじゃなくて、よかった!)
アタフタしているフィリアを笑顔で見つめながら、ゼロスは小声で言った。
「本当に・・・、可愛いですよ・・・」
「あっと、じゃあ、そろそろ行かないと本当にまずいんで・・・」
「そ、そうですか・・・」
紅茶とチーズケーキを食べ終えて、ゼロスは席を立った。
同じく席を立ち、フィリアはドアへと向かうゼロスに続く。
途中、ゼロスは立ち止まり、フィリアの方を振り返って言った。
「この用事がすんだら、少し時間が取れそうなんです。だから・・・」
「え?」
ゼロスの指が、フィリアのあごに触れ、顔を上に向かせる。
「待っててくださいね」
「な、なにを・・・」
言葉を続かせずに、ゼロスは唇でフィリアの唇をふさいだ。
「ん・・・、ふ・・・」
おざなりの抵抗はすぐに消え、フィリアはゼロスの熱さを受け止める。
「・・・」
「・・・」
長いくちづけが終わる。終わってしまう。
離れるゼロスの唇を、一瞬、追いかけようとして、フィリアはかろうじて心を抑えた。
そして、潤んだ瞳と、明らかな嘘の言葉をゼロスに向けた。
「・・・大嫌い」
ゼロスは笑顔を絶やす事なく、フィリアの耳元でささやいた。
「それじゃあ、また」
求め合った名残り、フィリアの額にかかる髪を、そっと払ってやってから、ゼロスは彼女に背を向けた。
「あ・・・」
「ごきげんよう、フィリアさん」
「あの・・・」
「大丈夫ですよ、今度はちゃんとドアから出ますから」
「あ、あの・・・」
ゼロスが、ドアに向かって、2、3歩歩き出す。
と、
ドッテン!
床とゼロスの額が激突する、大きな音が店に響いた。
「ああっ! だ、大丈夫、ゼロス!?」
「あたたた・・・」
額をなでながら、ゼロスが床に座りこむ。
フィリアは慌てて駆け寄った。
「どうしたの、急に!?」
額に手を当てたまま、ゼロスはうつむいていた。
かすかに体が震えている。
「痛むの?」
そろそろと、ゼロスの額に手を伸ばすフィリアだったが、次の瞬間、はじけるような笑い声に阻まれる。
「はははっ!」
「え?」
わけがわからないでいるフィリアに、ゼロスは自分の足元を指差してみせた。
「あっ!?」
フィリアは顔が真っ赤になった。
ゼロスが指差した先、その足には、
まるで、「行かないで」と言うかのように、
フィリアの尻尾が巻きついていた。
「あ、あ、あのっ! ごめんなさい!!」
恥ずかしさに、頬を染めてうつむくフィリア。
「あの、自分でも気づかない内に、その・・・。あぁ、もう、どうしてかしら・・・」
すでにわかりきった答えを問う。
答えは、フィリアにも、ゼロスにも、すでにわかっていた。
だから、フィリアはうつむいた。
そして、
だから、ゼロスはフィリアを抱きしめた。
「あ、ゼ、ゼロス!?」
両腕に力を込め、ゼロスはフィリアにささやく。
「可愛いですよ、フィリアさん、あなたが・・・」
「あ・・・」
「見えています、あなたの気持ちは、ちゃんと・・・」
「・・・」
「僕にも、尻尾があればいいんですけどね・・・」
「ゼロス・・・」
応えるように、フィリアもゼロスを抱きしめた。
強く、とても強く・・・。
しばしの抱擁の後、二人は離れた。
「それじゃあ、フィリアさん」
「はい」
「出来るだけ早く帰って来ますからね」
「はい」
愛しい人へ、笑顔を残し、ゼロスはドアを開けた。
開かれたドアから、爽やかな風が入り込む。
風は店中に行き渡り、フィリアのため息をかき消した。
「行ってきます、フィリアさん」
「行ってらっしゃい、ゼロス」
フィリアは、ゼロスに小さく手を振った。
フィリアの尻尾も、合わせるようにフルフルと揺れていた。
・・・は、口ほどにものを言い 終わり
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