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「嫌だよ! なんで僕が!!」

彼にとっては、言い慣れたセリフだ。

「男でしょ!? うだうだ言ってないで、やんなさいよ!!」

彼女にとっては、言い慣れたセリフだ。

「でも・・・」

「また『でも』? たまには『よし! 俺に任せろ!』なんてセリフが言えないの!?」

「だって・・・」

「うるさ〜い!!」

「うう・・・」

周りにとっては、見慣れた光景だ。

「決まってしもたんやから、腹くくれや、シンジ」

「そうだぞ。お前1人で、クラス全員の意見に抵抗したって、無駄ってもんだ」

「碇君なら似合うと思うわよ」

悪友達のセリフもいつも通り。そして、いつも通りなら、それに屈してしまうシンジだった。

しかし、さすがのシンジも、こればかりは譲れなかった。

「嫌だ! なんで僕が」

シンジが強く机を叩く音が、教室中に響き渡る。

「お姫様役なんて!」

 

500HIT突破記念SS

ASUKA&SHINJI

今、人並みのLAS

「お芝居」

 

「いい加減にしなさいよ、シンジ! 公正なくじ引きの結果なんだから、諦めなさい!」

「公正? なに言ってんだよ、アスカ! 公正だなんて、よく言うよ!!」

「しょうがないじゃない。劇の配役を決めようって時に、あんた、トイレになんか行っちゃうんだもの」

「それ以前の問題だろ!!」

確かに、シンジの言い分はもっともだった。

4時間目が終わっての昼休み。食事の前に用を足そうと、シンジがトイレに行ったその時、いきなり、アスカが、文化祭でやる劇の配役を決めよう、と言い出したのだ。

ちなみに、シンジ以外に席を立った者はいなかった。強行採決。それは、シンジ以外の全ての者の意図によって進められた。そして、配役を決めるために作られたアミダくじ。この、横線が1本もないアミダくじによって、作戦は100%の成功を約束されていた。

「みんなで僕をだますなんて・・・。僕は、やっぱり嫌われ者なんだ。いらない子なんだ。外道で色魔な父さんのせいで、僕はつまはじきにされるんだ。ああ、母さん! どうして、僕を置いて死んでしまったの!?」

涙ながらに教室を飛び出そうとするシンジ。しかし、アスカが、器用にも、シンジの靴のかかとを踏ん付けて、シンジをひっくり返す。

「あんたねぇ! またそうやって逃げ出すつもり!? 問題を先送りにしても、もう決まっちゃったんだからね! 諦めて、やんなさい、お姫様!!」

「う、うう・・・」

いつにも増して、アスカに力が入ってるのは、まぁ、ありがちな話だ。アスカがお姫様の相手役、王子様の役だからだ。

ちなみに、トウジとケンスケは村人その11とその2、ヒカリは村人その11のカミさん、そして、レイは木の役だった。

「うう、母さん・・・」

教室のすみで、親指を咥えて縮こまっているシンジ。幼児退行を起こしている。

これ幸い、と話はどんどん進んでいった。当事者、放っぽらかしで。

 


 

「違う、違う! もう、いい加減、覚えが悪いわね!」

「・・・」

「あんたねぇ、もうちょっとしっかりしなさいよ! やる気あんの!?」

「ないよ!!」

マンションに帰ってからぶっ通しで、シンジとアスカはセリフの練習をしていた。やたらと張り切るアスカに対して、シンジはずっと、むくれていた。もちろん、セリフなど真面目に覚えるつもりもない。それどころか、まだ台本を最後まで読んでもいないので、どんな話なのかも知らなかった。

「あ〜!! もう、いつまでもグチグチグチグチと!」

両手を腰に、怒鳴り散らすアスカに、珍しくシンジが反論する。

「だって、文化祭だよ! 大勢の人の前で演技するなんて、それだけでも嫌なのに、よりによってお姫様役なんて・・・。主役じゃないか! 出番が一番多いし、一番目立っちゃうし!」

「いいじゃないの。その引っ込み思案の性格を直すいい機会よ」

「でも・・・、文化祭っていったら父兄も見に来るんだよ!?」

「そりゃ、そうねぇ」

「そういうお祭り事がなにより好きな人がいるじゃないか」

「ミサトね」

即答するアスカ。

「そうだよ! ミサトさんがこの事を知ったら、絶対、見に来るに決まってる。ネルフの仕事を飛ばしてでも来るに決まってるよ!」

「彼女なら、間違いないわね」

「ミサトさんにお姫様の姿なんか見られたら、もう、ネルフの人全員に知られる事になるんだよ!?」

「そうねぇ、ミサトなら、ビデオに撮って、発令所のメインモニタで上映会なんか開きそうよねぇ」

「それで、みんなが大笑いしてる様子をつまみにして、ビールで一杯やるに決まってるんだ!」

「ミサトの、あの、人をからかうためなら底無しに非情になれる性格は、ある種、感動すら誘うわよねぇ」

「それで、もし父さんまでが、そのビデオを見たりしたら・・・。わああああぁっ!! 嫌だああああぁ!!」

壁に何度も頭を打ち付けるシンジ。

「あのヒゲづらが、あのモラルハザードが、僕の女装姿を見ながら「ふっ」なんて笑うのなんて・・・、想像するだけでも嫌だああああぁ!!」

「それは、私もちょっと遠慮したい想像だわよね」

「だろ!? だったら・・・」

「でも、やるの!!」

「なんで・・・」

「やらないと、私がすごく、怒るから・・・」

五七五ですごむアスカの目を見て、シンジは、今持っているお金でどこまで行けるか、真剣に考えたそうな。

 


 

物語は、実にシンプルだった。魔王に囚われたお姫様(シンジ)を、王子(アスカ)が救うという、もし、脚本を書いたのがアスカでなければ、クラス全員から突っ込まれそうな内容だった。

「ほら、シンジ! 始めるわよ!」

「う、うん・・・」

結局、逃げる事も出来ず、シンジは教室で、劇の練習をしていた。

教室のドアや窓のガラスは、模造紙で隠されていた。すでにお姫様の姿にさせられているシンジを、クラス以外の者に見せないためだった。

「なんで、練習なのに、こんな格好・・・」

「早めに着て、慣れといた方がいいでしょ?」

「うう・・・」

華やかなドレスに、ご丁寧に、巻き毛、ブロンドの派手なかつらまでつけて、シンジは立っていた。劇の小道具が雑然と散らばる教室に、その姿が、笑えるほど浮いてる。

「ほら、いくわよ! 台本9ページ!」

そして、アスカが台本のト書きを読み始めた。

「お姫様と王子様、初めての出会いのシーン。それは昔の話。お姫様も王子様も、まだ、相手を異性として意識する事なく、ただ、遊ぶ友として求めていたあの頃・・・。舞踏会でにぎわうお城を抜け出して、お姫様は、その時初めて、噴水で鳥とたわむれる王子様を見たのでした・・・」

「・・・」

「・・・」

「シンジ!」

「あ、えっと・・・。あら、そちらにいらっしゃるのはどなた?

「僕は、隣国の王子です。今日は父に連れられて、このお城の舞踏会に参りました」

まぁ、そうですの? 私はこの国の王女です。今、舞踏会から逃げてきたところなんですの

「ははっ、あなたも舞踏会はお嫌いなんですね?」

ええ、だって、とても退屈なんですもの・・・

「よろしければ、こちらにいらっしゃいませんか? 噴水の水がきれいですよ。それに、鳥達もいて、退屈しない」

「ええ、本当に・・・。かわいい、こ、と・・・り・・・・・・」

「・・・?」

「・・・」

「シンジ?」

「もう・・・、もう、ダメだあああっ!!」

突如、絶叫し、かつらを投げ捨て、ドレスを脱ごうとするシンジ。

「いけない、また発作だわ! みんな、シンジを押さえて!」

「「「おう!」」」

アスカの指示で、すかさず、その場にいた男子数名が、暴れるシンジを押さえ付ける。

「こんな恥ずかしいの、もうイヤだあああっ!!」

必死に暴れても、元が非力なシンジの事、あっさり組み敷かれてしまった。

「あんたねぇ、いい加減、諦めなさいよ!」

床に突っ伏すシンジの前に、アスカが仁王立ちで怒鳴る。

「でも・・・、耐えられないよ、こんな恥ずかしいの!」

「このシーンなんて、まだいい方じゃないの!」

「そうだよ! だから、余計に耐えられないんじゃないか!」

このシーンのあと、姫と王子は城を抜け出して、小高い丘で楽しい時を過ごす。やがて、王子の帰国の時は来て、名残を惜しむ2人は、丘で1番大きな木(レイ)に、いつの日かの再会を願う。

ここまでは、まだいい。

それから時が経ち、姫は美しく成長する。婚約者となるべく日参する近隣国の王子達。しかし、その中にあの時の王子の姿はなかった。

姫はまだ結婚など考えてはいなかった。しかし、婚約者候補の中にあの王子の姿がない事に、強い寂しさを覚える。夜毎、月に向かい、王子の面影をたどる日々。それが恋なのだと、まだ、気付く事なく・・・。

そして、ある日、1人の王子が城を訪れる。姫を守れる男になろうと、長い修業の旅に出ていた姫の想い人が、ついに、やって来たのだ。しかし・・・、一足遅かった。姫はすでに、彼女を自分の嫁にしようと現われた魔王にさらわれてしまっていたのだ。

あとは、お定まりの展開。姫を助けるべく、魔王のいる地へと向かう王子。そこには、かんなん辛苦の罠が待ち構えており、エトセトラ、エトセトラ・・・。

さて、大変なのは、ここからだ。

魔王は姫に手を出す事が出来ずにいた。姫の心の中に、すでに1人の男が住み付いていたからだ。その想いの強さゆえ、魔王は彼女に触れる事が出来ない。

そして、姫は己が心を守るため、昼夜を問わず、王子への想いを唱え続けるのだ。いつか、彼が助けに来る事を信じて・・・。

その時のセリフがシンジの発作の元だった。『あなたの瞳の輝きは、私にとって、ただ一つの光』とか、『あなたのたくましい腕に抱きしめられたら、私は何者も恐れる事はないでしょう』とか、『ああ、もう1度あなたに会いたい・・・、私の王子様・・・』とか、こんなセリフが数十個。シンジじゃなくても、逃げたくなる。

その上、さらに恥辱をあおるドレス姿。

シンジは思った。まさか、使徒が来てくれる事を、エヴァに乗って出撃する事を、こんなにも願う日が来ようとは、と。

「ねえ〜、シンジぃ〜?」

いきなり、アスカが猫なで声でシンジにささやく。普段はムチばっかりのアスカが、アメを使う事を覚えたのだ。これは、かなりの進歩と言える。

「せっかくの学校生活で、なんか1つくらい、それっぽい思い出があってもいいと思わなぁい?」

「・・・」

「エヴァに乗るだけの青春なんて・・・、あとで振り返った時に、悲しいわよ・・・」

大勢の前で女装させられるのも、相当、悲しいが。

「シンジだって、男でしょう? 若い時は2度とないんだから、ドンとやりましょうよ!」

まぁ、確かに、『女装』は男にしか出来ない。

「・・・」

「ねえ〜、シンジぃ〜?」

「・・・」

「シンジってば〜」

「・・・」

せっかくのアメに見向きもせず、シンジはダンマリを決め込んでいる。

「もう、今日はダメそうね・・・」

いつになく頑ななシンジの様子に、アスカもついに根負けする。

「え!? じゃあ、今日はもう・・・」

シンジに希望の光が差す。

「ええ、あとは家でやりましょう」

「な! そんなぁ・・・」

一気に闇。

やはり、一筋縄ではいかない。

 


 

帰り道。ヨレヨレになったシンジを、アスカは無理矢理、引きずっていた。

「ほら、シンジ! ちゃんと立ちなさい!」

「うう・・・」

精神的に疲れ果てたシンジは足にきており、アスカがいくら言っても、なかなか、立とうとはしなかった。

「もう! ほら、肩、貸してあげるから!」

「うう・・・」

アスカはシンジの右腕を自分の右肩に導き、左肩でシンジを支えた。

「しょうがないわね・・・」

そうつぶやいて、アスカは歩き出した。顔が赤いのは、シンジが重いせいではない。

陽が落ちて、街灯の静かな光に照らされた道を、2人は歩いた。

静かな道を、2人の靴音だけが響く。

「・・・」

「・・・」

「・・・」

「がんばってね・・・」

その声は、かすかでも、しっかりと、シンジの耳に届いていた。シンジはアスカを見たが、そっぽを向いているアスカの、赤くなった耳しか、目に入らなかった。

しかし、シンジには、アスカの言葉と赤い耳、そして、触れる左側から感じる、強く、速い鼓動、それだけで十分だった。

「うん」

シンジはアスカに答える。その声も、確かに、アスカに届いた。

すでに、1人で歩けるシンジに、なおもアスカは寄り添い、2人は歩いた。

そして、2人はそのまま、マンションの手前まで離れる事はなかった。

 


 

数日が経った。

シンジもようやく諦めが付いたのか、発作を起こす事もなく、練習を進めていた。それどころか、時折、姿見で自分の姿を眺めながら、おかしな所を直し、満足げに笑みを浮かべる事さえあった。

「ようやく、やる気が出てきたようね、シンジ?」

ドレス姿で、台本に目を通すシンジに、アスカが微笑んで言う。

「まぁ、ここまで来ちゃったらね・・・。やるしかないよ・・・」

照れ隠しに、シンジは言った。

「あと3日だもんね。がんばっていきましょ!」

「うん」

「それじゃ、今日も帰ったら、セリフ合わせするからね!」

「うん、わかった」

あと3日のガマン。それで、全てが終わるのだ。待ち遠しい気持ちの反面、少し寂しい気持ちもした。それがシンジには意外だった。

 


 

「ああ、やっと会えた! 姫!」

「王子様!」

「この時をどんなに待ち焦がれた事か・・・」

「それは私も同じ・・・。あなたの事を想わぬなど、ただの一時もございませんでしたわ・・・」

「姫・・・」

「王子様・・・」

「これからは、いつも、一緒だ」

「うれしい・・・」

「これから、すぐに、姫の国へと帰ろう! そして、婚礼の儀を開くのだ!」

「はい!」

「そして、そのあとで、あの丘へ行こう・・・」

「ええ、私達を結んでくれた、あの木に会いに・・・」

「・・・そして、エンド・・・と・・・」

マンションに帰ると、シンジとアスカは、早速、セリフ合わせの練習を始めた。この日はいよいよラストのシーン。魔王を倒した姫と王子は、ついに感動の再会を果たすのだ。

「どう?」

「う〜ん、まあまあね」

「まあまあかぁ・・・」

以前に比べれば格段の進歩なのだが、それでも、アスカのお気に召さないらしい。

「もう少し、感情を込めないとダメなのかなぁ・・・」

割と悔しそうなシンジ。ここに来て、それなりに、いいものを作りたいという意欲が出てきたようだ。

「う〜ん。なにかが足りないのよねぇ」

「ごめん、もっとがんばってみるよ」

「ううん、シンジはいいのよ。問題は内容の方なの」

アスカが台本をにらみながら言う。

「え?」

「最後のセリフのあとに、なんかインパクトが欲しいのよね。それで、盛り上がったところで幕、と・・・」

「う〜ん、そうかな?」

「そうよ! 最後にドカンと強烈な・・・」

途中でアスカの言葉が止まる。

「アスカ?」

「そうよ!!」

「な、なに?」

「私ったら、肝心なのを忘れてたわ!」

「肝心なのって?」

「長年想い合った2人が、ついに再会を果たして、する事って言ったら?」

「え・・・、なに?」

「キスよ! キス!」

「まさか・・・、それを最後にするって言うんじゃ・・・」

「・・・」

「アスカ?」

「当たり」

「えええっ、そ、そんな事・・・。本気なの!?」

どうにかこうにか、女装に慣れてきたというのに、今度はキス。シンジはまた逃げたくなった。

「もちろん、フリだけよ、フリだけ!」

「そりゃ、そうだろうけど・・・。そんな、人前でなんて・・・」

「ここまで来て、怖気付くの!?」

「そんなぁ!」

「最後のシーンを感動的に盛り上げるには、キスしかないのよ!!」

「そうかなぁ!?」

「そうよ! 絶対!!」

「そうかなぁ・・・」

あまりにも激しいアスカの主張に、シンジも段々と、そんな気になってきた。

「いい!? 最後のセリフのあとで・・・」

次の瞬間、アスカは両手でシンジの頬を包んだ。

「う、うわっ!」

「静かに・・・」

目の前には、アスカの顔。その唇からもれる吐息が、シンジの顔をくすぐる。

「ア、アスカ・・・」

「黙って・・・」

静かに、アスカがささやく。

「目、閉じて・・・」

「う、うん・・・」

素直に目を閉じるシンジ。しかし、心の中では様々な思いが渦巻いていた。

(もしかして、アスカ、本当にキスするつもりなんじゃ? ま、まさかね・・・。でも、ひょっとしたら・・・)

まぶたの向こうの影が大きくなるのを感じる。

(どうしよう! このまま、キスする事になったら・・・)

アスカの顔がさらに近付く。

(ダメだ・・・、ダメだよ! こんな、お芝居でするキスなんて・・・、嘘のキスなんて僕は嫌だ! アスカとは・・・、本気で・・・)

シンジは急いで目を開けて、アスカを止めようとした。

「アスカ、ごめん! 僕・・・は・・・、え?」

いつのまにか、アスカはシンジから離れた場所に座っていた。

「あ、あれ?」

「どうしたの?」

アスカが何事もなかったかのように尋ねる。その目はうっすらと笑っていた。

(また、からかわれた!)

シンジは瞬時に理解した。

「あ、い、いや・・・、その・・・」

ばつが悪そうにうつむくシンジを、楽しげに見ながらアスカが言う。

「ま、こんな感じで、顔を近付けたところで暗転。それで、音楽を流して、おしまいってとこね」

「う、うん。それでいいよ・・・」

「・・・」

「・・・」

「ねえ?」

「な、なに?」

「本当にすると思った?」

「え!? いや、そんな・・・」

真っ赤な顔で、うろたえるシンジ。これでは『思った』と言っているようなもんだ。

「バカねぇ! 本当にするわけないじゃない!」

「もちろん、そんな・・・、本気でするなんて思ってないよ!」

「そう?」

「そうさ!」

「ふうん」

嘘がバレバレなのが、シンジにもわかっていた。でも、笑って認めてしまえるほど、大人であるはずもない。

「私・・・、演技でキスなんてしないからね・・・」

「そりゃ、僕だって・・・」

「キスは本気で、好きな人とだけ・・・」

「うん・・・」

「だから・・・」

(あんたとは、演技でのキスなんてしないんだから・・・)

 


 

いよいよ、文化祭当日。

体育館の舞台裏で、シンジは出番を待っていた。姫の出番は、幕が開いてすぐだった。姫のモノローグから、物語は始まるのだ。

「ううっ、やっぱり緊張するよ〜」

華麗なお姫様のドレスをまとい、シンジが言う。

「大丈夫よ! あれだけ練習したんだから!」

立派な王子の出で立ちで、アスカが言う。

「そ、そうだよね・・・」

それでも不安げなシンジの前に、アスカが、そっと立った。

柔らかく微笑むアスカを見ていると、シンジは、激しい鼓動が息苦しいものから心地よいものへと変わっていく気がした。

「シンジはとてもがんばったわ・・・。私、嬉しかった・・・」

「アスカ・・・」

シンジはアスカを見つめた。

「・・・」

アスカも、それに返すように、シンジを見つめた。

「・・・あら?」

ふと、シンジの口元を見て、アスカは眉をひそめた。

「え、なに?」

「あんた、口紅塗ってないじゃないの!?」

「え、口紅なんて塗るんだっけ?」

「当たり前よ! 舞台じゃ顔がはっきりしないんだから」

「そ、そう?」

「顔、こっちに向けて。私が塗ってあげるから」

そう言って、アスカはポケットから口紅を取り出した。この日のために買って来たらしい、新品だ。

「う、うん。頼むよ・・・」

「ほら、目、閉じて・・・」

「う、うん」

素直に目をつむるシンジ。以前、似たような事があったのを思い出す。

(さすがに、もう勘違いしたりしないぞ・・・)

チュッ!

(え、なんだ、今の音?)

間もなく、シンジの唇に棒のような物が押し当てられる。

(ん、ん、なんか・・・、変な感じ・・・)

「はい! いいわよ!」

アスカの声に目を開けると、目の前で、アスカが手鏡をかざしていた。そこに映るシンジの顔は、その艶やかな口紅の色によって、かえって、あどけなさを際立たせていた。

「うわぁ」

感嘆の声をもらすシンジ。アスカもうっとりとシンジの顔に見入っていた。

(やっぱり、かわいい・・・、シンジって・・・)

その時、開幕のベルが鳴った。

「いよいよね、シンジ!」

「うん、行ってくる!」

「がんばってね!」

満面の笑顔で、アスカはシンジを送り出した。

アスカに見送られて、シンジは舞台へと、確かな足取りで進んで行った。

 


 

舞台の真中に立って、シンジは開幕を待った。

とうとう、ここまで来てしまった。

幕を隔てた向こうには、大勢の人が座っていた。

そして、案の定、ミサトも今日の事を知り、ネルフを休んで、舞台を見に来ていた。しかも、最前列のど真ん中を陣取って。

それでも、もう、シンジの中に迷いはない。

(そう・・・。どうせなら、ミサトさんが感動するくらい、立派に役を演じてやるんだ・・・)

いつになく、前向きなシンジだった。

そして、いよいよ幕が開く。

物語を始める、1番最初のセリフ。

気合いを入れて、シンジは大きく息を吸い込んだ。

「それでは、皆さんお待たせしました!! これより、我らが2−A製作による、映画『嗚呼、演劇少年の憂鬱』の上映を行ないます!」

シンジは息を吸い込んだまま、止まってしまった。いきなり、アスカの声がスピーカーから発せられたのだ。

「この映画は、突然、文化祭の劇で、お姫様の役を割り当てられた少年、今、舞台におります、碇シンジ君の苦悩と努力を綴った、セミドキュメンタリーであります!」

「な、な・・・」

「どうぞ、たっぷりとお楽しみください! それでは!」

そして、なにが起こったのか考える間もなく、シンジはアスカによって舞台裏に引きずられて行った。

「な、な、な・・・」

「ご苦労様、シンジ! もう、衣装脱いでもいいわよ!」

「な、な、な・・・」

「ほら、どうしたの? 制服に着替えて、一緒に映画を見ましょ?」

そう言うアスカは、すでに制服姿だった。

「な、な、なんだよ! これ!?」

「だから、言ったでしょ? 映画を上映するって」

「劇は!?」

「だから、流すわよ、映画で。さっきの、幕が開いて、いよいよ劇が始まるってシーンが、映画のラストなんだから」

「どうなってんの、これ!?」

シンジは息も絶え絶えで、まともに立つ事も出来なかった。

 

さて、ここまでが、アスカのシナリオである。最初から、シンジ主演の映画を作るつもりで、クラス全員、ここまで「お芝居」を続けてきたのだ。

撮影は、もちろん、ケンスケが担当。学校の中はおろか、2人のマンションでの様子も隠しカメラで撮影していた。

彼は今、直前まで撮影していたラストシーン、シンジが舞台に立つシーンを、上映に間に合うように、必死で編集している。映像は、コンピュータにデータ保存されているので、このようなギリギリの編集も可能なのだ。そして、コンピュータに接続されたプロジェクタによって、映画は上映される。

映画では、シンジを無慈悲に叱り飛ばすアスカの映像は、愛するシンジのために、泣く泣く憎まれ役を演じるアスカ、というイメージに作り変えられている。たとえば、書き割りの木(レイ)の影で、涙をこらえてシンジの練習を見守るアスカとか、夜鍋してシンジの衣装を繕うアスカとか、資金集めのために、マッチを売り歩くアスカなど、そんな、嘘っぱちなシーンを加えて・・・。なにを脅されてか、ケンスケは実に巧みに編集してくれた。

映画のための計画であったが、アスカには、もちろん、他に目的があった。

まず、マンションで、急きょ付け加えられたキスシーン。あれは、アスカの頭の中には、始めから存在していたシーンだった。しかし、最初から台本に書いてあれば、シンジが強硬に反対するのは目に見えていた。そこで、ある程度、シンジが劇の世界に馴染んだところを見計らって、あとから足そうと考えたのだ。

キスのリハーサル。2人の将来のためにアスカが画策したその1は、こうして、実行された。

そして、もう1つ。それは、ついさっきの事だ。

舞台に出る寸前。アスカはシンジに口紅を塗ってあげると申し出た。そして、シンジが目を閉じたあと、すかさず、アスカは口紅の先端にキスをした。

チュッ!

そして、その口紅で、アスカはシンジの唇を塗ったのだ。

間接キス。これが、その2。

その3は、のちに明らかになるが、これだけのために、ここまで面倒な計画を立てたのだ。もちろん、劇そのものがないのだから、口紅を塗る必要もさらさらない。

(本当のキスはまだだけど、取りあえず手付けは払ったからね・・・、もう、あんたは私のもの・・・)

天才の考える事は、よくわからない。

 

「なんで、僕が・・・、こんな目に・・・」

シンジはまだ呆然としていた。そりゃ、そうだ。

「シンジ! いつまで呆けてるのよ! ミサトの前で演技しなくて済んだんだから、よかったじゃないの!」

「なんで、僕が・・・」

「もう、映画、始まってるんだから、早くしなさい!」

「なんで、僕が・・・」

「その衣装のままで、引っ張ってくわよ!」

「なんで、僕が・・・」

 

この先、シンジは、何度もこの言葉を繰り返す事になる。それも、一生、アスカの前で。

「なんで、僕が・・・」

 

ちなみに、映画は大盛況だった。映画そのものの出来はもちろんだったが、特に観客を驚かせたのは、ラスト前の、アスカとシンジの間接キスのシーンだった。最前列のど真ん中で見ていた女性なんかは、そりゃ、もう、大喜びだった。

そして、アスカの計画は完了する。学校中にシンジが誰のものなのかをアピールする事が出来たのだ。

 

 

「お芝居」  終わり

 


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