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「そんな! それで、アスカちゃんと加持さんの行方は!?」

「現在、保安部の総力をあげて捜索中よ」

「そんな・・・」

「相手の狙いがなんなのか。そもそも、誰が『相手』なのか。まだ、特定出来ていないの。でも、心当たりならあるし、もし『彼ら』の仕業なら、アスカにも加持君にも手荒な事はしないはずだわ。ましてや、殺すなんて事は絶対にない」

2人を安心させようとしての、リツコの言葉だったが、『殺す』の言葉にマヤは震えた。

「しかし・・・」

マコトの口から、その先の言葉は出なかった。

ただ待つばかりが耐えられない。しかし、では、どうすればよいのか。マコトには答えが出せなかった。

「日向君・・・。心配するな、とは、とても言えないけど、もう少しだけ、時間を頂戴・・・」

「・・・はい・・・」

そう言うしかなかった。

 

EVANGELION MM

 

総司令官公務室を出て、マヤとマコトは廊下を歩いた。

アスカと加持の失跡。エヴァのパイロットが、という以前に、14歳の少女が何者かにさらわれた。その衝撃は2人にはあまりにも大きかった。

「大丈夫、伊吹さん?」

「え、ええ・・・」

マヤは血の気を失っていた。

人類を守るためのエヴァパイロットを・・・。

それを行なったのは、もちろん、使徒ではなく、人間のはずだった。

「どうして・・・」

「・・・・・・」

マヤの問いにマコトが答えられるはずもなく、また、そもそも、その問いはマコトに向けられたものでもなかった。

「アスカちゃんと加持さん・・・、かわいそう・・・。どんなに不安でいるか・・・。怖い目にあっていなければいいけど・・・」

『まだ生きている』と信じたいが故の、マヤの言葉だった。そして、その気持ちがそうさせたのだろうか、両手を胸元で組み合わせるマヤ。その手は青白く、そして、震えていた。

我知らず、マコトはマヤの震えをとめようと、マヤの手を両手で包んだ。

「日向君・・・」

マヤは、ごく自然に、マコトの両手を受け入れた。

「伊吹さん。せめて、祈ろう・・・」

「え?」

「2人が無事であるように・・・」

今の2人には、それしか出来ない。

しかし、出来る事があるのなら、それをするしかない。

「ええ・・・」

マヤはマコトの手を握り返した。その力強さと温もりにすがるように。

マコトも、握ったマヤの手から、温もりを受け取っていた。

お互いが、自分の欠けた温度を補うために、寄り添っていた。

 

第10話

MISSING

 

「アスカと加持君の消息はまだつかめないのか?」

「はい。保安部からも、有力な情報は届いていません」

「そうか・・・」

オーバー・ザ・レインボーの報告から、すでに24時間が過ぎていた。しかし、捜索は、なんらの進展も見せていなかった。

船内に敵の足取りを知る痕跡は完璧なまでに存在せず、その周到さと、それゆえに、弐号機になにもせずに去って行った不可解さが、ゲンドウらを戦慄させた。

冬月も、ドイツ支部と連絡を取りながら、情報収集に努めており、今、総司令官公務室には、ゲンドウとリツコの2人がいるのみだった。

「もし、このまま、アスカが見付からなければ・・・」

仮定の話でも、『死んでいれば』と口に出すのが、リツコにはためらわれた。

人前では気丈に振る舞えるリツコであったが、1人であれば、そして、ゲンドウの前であれば、その本来の姿が顔を出す。

リツコの顔は悲しげに歪んでいた。ゲンドウの前では、それを隠す必要がない。

「もう、すでに、始まっている」

ゲンドウは変わらぬ静かな口調で言う。

「伊吹ニ尉は間もなくフェイズ2に移行する。日向ニ尉も時間の問題だろう」

「はい・・・」

「シンジとアスカを予備にと思ったが、それも叶わぬ状況となれば、事はより慎重に運ばねばならない・・・」

「・・・」

「我々の責任は重大だ」

「はい。わかっています」

「よろしく頼む。赤木博士」

「・・・」

2人切りの場にもかかわらず、自分を『赤木博士』と呼ぶゲンドウに、リツコは寂しさを覚える。

(この人はこういう人。もう、充分にわかっているはずなのに・・・)

リツコは、ゲンドウに近寄り、その手にそっと触れると、そのまま、足早に公務室を出て行った。

 


 

「・・・」

自動販売機の前に立ち、マコトは1人、コーヒーが出来るのを待っていた。

時間は午後9時。マコトにもマヤにもすでに帰宅許可が下りており、マヤは3時間前に帰宅していた。

「・・・」

その時のマヤを、マコトは脳裏に思い浮かべ、唇を噛んだ。

 

「それじゃあね、日向君・・・」

帰り際のマヤ。その顔は憔悴し切っていた。

「大丈夫?」

マヤの痛々しい様子に、マコトはつい声を掛けた。

「ええ・・・。保安部の人がガードしてくれるって言うし、安心よ。大丈夫」

笑顔を浮かべるマヤ。

(そんな無理、しないでくれよ・・・)

マコトは声を掛けた事を後悔した。

「あ、あのさ・・・、しばらくここで寝泊りしたら?」

少しでもマヤの不安を取り除きたくて、愚を承知で、マコトはさらに言葉を重ねた。

ネルフ本部には、何日も泊まり込みで作業を行なう職員のため、簡易的な宿泊室がいくつもある。

「うん。でも、リッチーがいるから・・・。どっちにしても、今日は帰らなきゃ・・・」

「あ、そうか・・・」

「ええ・・・」

「そうか・・・」

「・・・」

「・・・」

「あの、日向君・・・」

「あ、うん・・・」

「それじゃ・・・、また、明日ね・・・」

絞り出すようなマヤの声。

「うん、また明日・・・」

マコトも、やっとの思いで、その言葉を口にした。

出口に向かって歩き出すマヤ。

マコトはその姿から目を離す事が出来なかった。

 

「・・・」

マコトは出来上がったコーヒーに手を伸ばそうともせず、立ち尽くしていた。

別れ際に見た、マヤの後ろ姿が頭から消えない。

マヤの苦しみ。それは、アスカや加持、そして、マヤ自身についてだけではなかった。

人類を守るための特務機関『ネルフ』。

絶対の正義などありはしないが、それに限りなく近い存在として、ネルフはマヤの中にあった。

そのネルフを敵とする人間がいる。

彼らを守るために必死でいるのに・・・。

守るべきものから刃を向けられた衝撃。

人が人を裏切るという現実を目の前に突き付けられた衝撃。

それは、マヤには重すぎた。

マヤはあまりに純粋過ぎたのだ。

家族を失ったつらい過去は、自分を愛してくれた人達の思い出を、強くマヤの中に残す事となった。

それを糧として育った心。

人の善を信じる心。

マヤを知る者は皆、その思いの強さを感じずにはいられない。

マコトにはマヤの純粋さが、微笑ましく、また、信じ難くもあった。

(どうして、あんなに・・・)

それが、マコトにはまぶしかった。 

(どうしたら、守っていけるんだ・・・)

 

「おい、後ろがつかえてんだけど」

背後の声にマコトが振り向くと、そこにはシゲルが立っていた。

片手には愛用のギターを持っている。

「あ、ああ・・・。すまん・・・」

慌てて退こうとするマコト。

「コーヒー、忘れてるぞ」

「え? ああ、そうか」

マコトは頬をかきながら、自分のコーヒーを取り出し、そばのベンチに座った。

「まだ、帰らないのか?」

お金を投入口に入れながら、シゲルが言う。

「ああ・・・、なんか、帰る気になれなくてさ・・・」

「そうか・・・」

コーヒーを手に、シゲルはマコトの隣に座った。

「・・・」

「・・・」

2人はしばらく、黙ってコーヒーを飲んだ。

「・・・」

「・・・」

「そう言うお前は、なんだよ? こんな遅くまで残ってるなんて」

「夜勤」

「あれ、一昨日も当番じゃなかったっけ?」

「最近はほとんどがそうだ」

「大変だな・・・」

「みんな、大変なんだよ」

「・・・そうだな・・・」

マコトはカップの中で揺れるコーヒーを見つめた。

「・・・」

「・・・」

シゲルは一足早くコーヒーを飲み干し、ベンチに座ったまま、カップをゴミ箱に投げ入れた。そして、そのままギターに手を伸ばす。

「・・・」

マコトはコーヒーを見つめていた。

「・・・」

シゲルはギターを弾き始めた。

静けさと哀愁の旋律は、アグスティン・バリオスのLa catedral(大聖堂)。

 

シゲルは黙ってギターを弾き続ける。

マコトは黙って聞いている。

 

こんな時、どんな言葉が役に立つというのだろう。

「信じろ」などと、誰が言うのか。

今は、ただ、願うしかない。

再びの笑顔を、望むしかない。

 

やがてシゲルの指が弦から離れる。

余韻の音はすぐに消え、しばしの静寂を呼んだ。

「・・・」

「・・・」

「なんか・・・」

マコトがポツリとつぶやく。

「ん?」

「お前らしくないよな・・・」

「なにが?」

「そんな静かな曲をさ、繊細にも弾きこなしちまうんだから」

「俺はもともと繊細なんだよ」

「見た事ないぞ、そんな一面」

「お前は人を観察する能力に欠けてるからな」

「そんな事、あるかよ」

情けない、とでも言うように、シゲルが頭を振った。

「・・・気付いてないだろ?」

「なにがだよ?」

「教えない」

シゲルはニヤニヤと笑っている。

「なんだ? 気持ち悪いぞ」

マコトがいくら詰め寄っても、シゲルはただ笑うばかりだった。

 


 

「はぁ・・・」

ベッドで横になりながら、マヤはため息をついていた。

自宅に着いて早々、マヤはベッドに潜り込んだのだが、それから3時間が過ぎても、眠る事が出来なかった。

とても、疲れている。

なのに、眠れない。

それに、なぜだか、寒い。

心に穴が開いたようで・・・。

「昨日はあんなに楽しかったのに・・・」

マヤは目を閉じた。

それは、眠るためではなかった。

マヤの頭の中では、昨日の海での出来事が、すでに何度もリフレインされていた。

 

昨日の日差しを思い出す。

海の輝きを思い出す。

(昨日はあんなに明るくて・・・)

沈む夕陽を思い出す。

輝く月を思い出す。

(昨日はあんなに安らいで・・・)

笑った事を思い出す。

あの時の笑顔を思い出す。

(昨日はあんなに嬉しくて・・・)

それなのに・・・。

 

マヤはベッドから起き上がった。

ベッドのそばには、猫のリッチーが専用のベッドで寝ていた。

マヤはリッチーの頭を2、3度そっと撫でてやる。

愛らしい寝顔。

しかし、その寝顔もマヤに笑顔を取り戻させてはくれなかった。

「・・・」

 

そして、マヤは、ついと立ち上がり、パジャマを脱ぎ始めた。

 


 

「仕事、いいのかよ?」

「ん、まだ、大丈夫だろ」

3杯目のコーヒーを飲みながら、間延びした声で答えるシゲル。

「あんまり、大変そうに見えないんだよなぁ・・・」

「お前はどうなんだよ。もう帰った方がいいんじゃないか?」

「そうなんだよなぁ・・・」

シゲルとの他愛のない馬鹿話で、いくらか気が楽になったマコトだった。しかし、なぜか、後ろ髪を引かれる思いがして、この場を去る事が出来なかった。

「あ、日向君!? 青葉君も」

突然の声にマコトは驚いて、振り返った。

そこには中くらいのバッグを1つ持って、マヤが立っていた。

「伊吹さん!?」

マコトは慌てて立ち上がり、マヤのもとへ駆け寄った。

「ふふっ、こんばんは」

「あ、こんばんは・・・」

「日向君、帰らなかったの?」

「うん。なんか、帰りそびれちゃって」

「そう・・・」

マコトはマヤの表情に戸惑った。

数時間前とはまるで違う。

(なんか、いい事でもあったのかな?)

その嬉しげな笑顔の理由はなんだろうと、マコトは考えた。

そして、マヤの手元のバッグに目が行く。

「あ、それ」

「うん、連れて来ちゃった」

マヤは手に持ったキャリーバッグを持ち上げてみせる。

「こんばんは、リッチー」

マコトがバッグに手を近付けると、中の白い子猫が、じゃれるように小さな手を伸ばしてきた。

「か、かわいい・・・」

「でしょう!?」

マヤの笑顔が更に輝く。

「そうやって指を近付けると、いつも、ふにふにって、じゃれてくるの」

マコトの指にマヤの指が並ぶ。

リッチーは2本の指を前に、両手をふにふに動かしていた。

「ね!? かわいいの」

「うん。ふにふにしてる」

「うふふっ!」

とても嬉しそうに笑うマヤに、マコトはホッとする。

そして、なぜだか、ほんのかすかな嫉妬が胸を刺す。

「伊吹さんって、本当にリッチーが好きなんだね」

「ええ、大好き!」

「見ててよくわかるよ。リッチーがそばにいると、本当に安心出来るって感じで」

「そう?」

「うん。なんか、笑顔が輝いてる」

「また、そんな事・・・」

照れて赤くなるマヤ。

「ちょっと、お2人さん」

いつのまにかマヤとマコトの間に立って、シゲルが言う。

「わっ! なんだよ!?」

「な、なに、青葉君!?」

「立ってないで、座ったら?」

「あ、ああ、そうだな」

「ええ」

なにやらぎこちなく、2人はベンチに並んで座った。

「やっぱ、気付いてない・・・」

シゲルが苦笑まじりにつぶやいたが、2人の耳には入らなかった。

「じゃあ、俺、帰るから」

そう言うと、シゲルはリッチーに手を振ってから、歩き出そうとする。

「え!? お前、仕事はどうすんだよ!?」

慌ててシゲルを呼び止めるマコトに、当のシゲルは飄々と答えた。

「あ、それ、俺の勘違い。当番、明日だった」

そのままさっさと出口に向かうシゲル。

マコトは呆気に取られて、その姿を見送っていたが、やがて、笑い出す。

「なに? 日向君」

「いや・・・」

マコトは笑い続ける。

「照れくさい事するヤツだなって・・・」

「青葉君?」

「あいつには言わないでね」

「? ええ・・・」

 


 

「なんか、飲む?」

「ええ」

「コーヒーだと眠れなくなっちゃうから、ウーロン茶にでもしとこうか」

「え、ええ・・・」

「?」

なんとなくぎこちない様子のマヤに首をかしげつつ、マコトはウーロン茶の入ったカップをマヤに渡した。

「ありがとう・・・」

マヤは両手でカップを受け取った。

マコトはマヤの隣に座り、ウーロン茶を一口飲む。

「今日は、もう、ここに泊まった方がいいね」

「そうね」

「俺も泊まろうかな」

「そうしたほうがいいわ」

ホッと力を抜くため息と共に、わずかにトーンの上がった声でマヤが言った。

「空いてる部屋を確認しなきゃ。ベッドに当たりはずれがあるからね」

国際的な組織のわりには金のないネルフでは、資金不足のしわ寄せが、こういう不特定者の利用施設に集中してしまう。そのため、ガタのきたベッドをだましだまし使う事になる。

「さて、どうだ?」

マコトは携帯を取り出し、宿泊室の利用受付に電話を掛けた。

結果は、はずれが3、当たりが1だった。

「ま、しょうがないか。こんなギリギリの時間だもんな」

「日向君、8号室使って」

マヤがすかさず言う。

もちろん、8号室は当たりだ。

「そんな、いいよ。俺、寝床にこだわらないタチだから。伊吹さんが8号室にしなよ」

「いいの・・・」

「う〜ん。でもさ〜」

「どうせ、眠れないし・・・」

「え?」

「・・・」

「・・・」

「・・・」

「家で・・・、眠れなかった?」

「・・・ええ・・・」

「そうか・・・」

「だから、私ははずれの方にする。日向君が当たりの方。ね?」

「・・・」

「ね?」

「こうしよう」

「え?」

「俺もまだ眠くないんだ。だから、ここでおしゃべりしていようよ。それで先に眠くなった方が8号室で寝る、と。よし、それでいこう! ね!?」

「え、ええ」

マコトの申し出を遠慮する気になれず、マヤは頷いた。

 


 

1番最初に眠ったのはリッチーだった。

マヤとマコトはリッチーが眠るキャリーバッグを8号室に運ぶと、それから、また、おしゃべりを続けた。

マコトとのおしゃべりは、マヤを温めた。

マヤは『眠りたくない』とさえ思っていた。

そして、それはマコトも同じだった。

 

マヤは、マコトがいるとわかっていたのか。

マコトは、マヤが戻って来るとわかっていたのか。

それは、誰にもわからない事だ。

 

しかし、2人はなにかを感じ、行動し、そして、その結果、安らぎを得た。

笑顔を取り戻し、心に欠けていたものを満たす事が出来たのだ。

 

「昨日の海、楽しかったね・・・」

「うん、そうだね」

「私、家でもずっと思い出してたの」

「そうか・・・」

「海の水がきれいで・・・」

「冷たくて気持ちよかったよね」

「風も涼しくて・・・」

「ソフトクリームもうまかった」

「ふふっ」

「夕陽も月も星もきれいだったね」

「ええ。それから、色々お話しして・・・」

「うん」

「楽しかった・・・」

「時間があったら、また、行きたいね」

「ええ、行きましょうね」

 


 

翌朝、2人は、自動販売機のベンチで寄り添いながら眠っているところを、大勢のネルフ職員に目撃される事となる。

 

 

第10話  MISSING  終わり

 


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