僕が敵の姿を見たのは一瞬だけ。

胸を撃たれて崩れゆくその姿を、わずか視野の片隅に捉えただけだった。

それすらも、今になって回想する事で得られる曖昧な記憶に過ぎない。

あの時の僕には、他に、なにも見えなかった。

地に横たわる彼女以外は、なにも。

 

 

   CYBORG 009 FAN FICTION  「繋ぎし手、繋ぎし命」 後編

 

 

「フランソワーズ!!」

僕はフランソワーズへと駆け寄り、体を抱き起こした。

いつもとはまるで違う体の重さに戦慄する。

これまでにない恐怖と戦いながら、僕は彼女の胸を見た。

そこには・・・、

「・・・」

目を閉じてしまいたかった。

「・・・」

目の前の光景を消してしまいたかった。

「・・・」

許されないとわかっていながら、僕は容易には現実を受け止める事が出来なかった。

フランソワーズの胸には、

あんなにも強い鼓動を僕に伝えていた彼女の胸には、

煙と火花を散らす、背中までを貫く穴が穿たれていた。

そして、そこに見える彼女の心臓。

人工心臓。

僕達にわずかに残された人としての証、脳や他の生体部分を維持するための、人工血液を運ぶ機械仕掛けの心臓。

けれど、それが彼女にもたらす頬の赤みや胸の温もりは、間違いなく人間のものだった。

その心臓の一部が、敵の放った光によって削り取られていた。

僕は、息が出来なかった。

彼女の心臓は、今まさに、活動を止めようとしている。

「フランソワーズ!!」

僕は必死に彼女に呼び掛けた。

彼女の瞳が、彼女の手が、僕を求めてゆっくりと動く。

僕は彼女の瞳を見つめ、彼女の手を握りしめた。

なのに、

なにも返らない。

彼女の瞳は、

彼女の手は、

僕が強く見つめると、

僕が強く握りしめると、

それだけで消えてしまいそうだった。

「フランソワーズ!!」

呼び続けても、

叫び続けても、

遠い、

遠いままだ。

「・・・」

やがて、

瞳から光が消え、

手が力なく下りる。

そして、

「・・・」

彼女の唇が僕の名前の形に動いて・・・、

そのまま、彼女は動かなくなった・・・。

 

 

僕は馬鹿だ。

どうして、あの時、気づかなかった。

彼女のキスが冷たかった事に。

彼女がそういう人だと知っていたのに、

だから、愛したのだというのに、

どうして、気づかなかったんだ・・・。

それでいて、僕は彼女を守れると信じていたんだ・・・。

僕は・・・

 

・・・

 

いや・・・、

 

まだ終わってはいない。

 

諦めはしない。

諦めるなんて出来るはずがない。

僕達の出逢いが奇跡なら、

今度は僕自身の手で奇跡を起こしてみせる。

だから、まだ行かないでくれ。

「フランソワーズ!!」

僕は強く奥歯を噛みしめ、加速装置のスイッチを押した。

舞い上がる炎が動きを止め、轟音が消える。

静寂の中、僕はマフラーを外すと、短冊状に引き裂いた。

そして、それをスーパーガンを収めていたホルスターに入れる。

リミットは2分。

加速装置で時間を引き伸ばせても、やらなければならない事は多い。

それに、加速装置自体も使用限界が間近に迫っている。

全ては時間との戦い。

心臓が停止して、血液の循環が止まってしまうと、3〜5分で脳は無酸素状態となり、神経細胞の働きは不可逆の状態になる。

そうなれば、もう回復は見込めない。

彼女は、本当に死んでしまう。

だから、躊躇などしていられない。

たとえ可能性がゼロでも、やるしかないんだ。

「うああああああああっ!!」

僕は自分の胸に右手を突き入れた。

右手は人工の皮膚を破り、特殊合金の装甲板を穿つ。

「ぐ・・・う・・・」

激痛に、眼の奥で火花が散る。

しかし、痛みをこらえている余裕などない。

「が・・・ああああっ!!」

胸の穴に左手を差し入れ、限界まで引く。

ゆっくりと、しかし確実に千切れていく装甲板。

僕は剥がした装甲板を投げ捨てると、左手で胸の奥にある自分の心臓をつかんだ。

「ぐぐ・・・ぐ・・・」

噛みしめた歯がギシギシと軋む。

激痛が全身を駆け回り、目も霞んでくる。

(しっかりしろ、島村ジョー!!)

声に出す事も叶わずに、頭の中で叫ぶ。

そして、慎重に、左手で心臓を押さえながら、右手で心臓の固定ジョイントをねじ切る。

ゆっくりと胸から取り出された心臓は、僕同様、苦痛に喘ぎながらも、規則正しい鼓動を刻んでいた。

意識をはっきりさせるべく、大きく息を吸い、そして吐く。

心臓から胸へと伸びる2本の血管。

そして、心臓を動かす電源へと繋がるコード。

コードが切れてしまったら、僕まで死んでしまう。

そうしたら、フランソワーズを助ける事が出来ない。

だから、慎重に。

けれど、素早く。

サイボーグだから、

僕だから出来る事を、

今、この時こそ、

彼女を救うために。

フランソワーズの体を胸元に引き寄せる。

つかんでいた心臓から、そっと手を離す。

時がゆっくりと流れる世界で、僕の心臓は宙に浮かんだ。

そして、

「ごめんよ・・・」

掠れる声で言いながら、彼女の胸に手を伸ばす。

動かない胸、その無惨に穿たれた穴へと手を差し入れ、彼女の心臓の大動脈を慎重に切断する。

大切な血液がこぼれないように、血管に空気が入らないように指で押さえながら、今度は僕の大動脈の中途部分を切断する。

そして、僕の心臓を手に取り、、僕の血管、そして、彼女の血管とYの字になるように繋ぐと、ホルスターに入れていたマフラーでしっかりと縛る。

次は大静脈。

同様の手順で、僕の心臓、僕の血管、そして、彼女の血管を繋ぐ。

多少の雑菌なら、人工の血液と心臓が浄化してくれるはずだ。

「はあ・・・はあ・・・はあ・・・」

呼吸を追い越す速さで頭の中がガンガンと鳴り響く。

全身が、冷たさにしびれる。

寒い。

意識が途切れそうになる。

僕は霞む目で彼女を見つめ、彼女に繋がる血管に静かに手を当てる。

震える指にも確かに感じた。

僕の心臓は、

いや、僕と彼女の心臓は、

かろうじて、でも確かに、僕達2人の全身に血液を巡らせてくれていた。

作業の終了を確認して、加速装置を解除する。

投げ捨てた装甲板の、地面に激突する音が森を震わせる。

僕は、その音にも負けない声で、呼び戻すために名を叫んだ。

「フランソワーズ!!」

彼女の体を抱きしめ、僕は彼女と唇を合わせる。

僕の息を、

僕の想いを、

彼女に吹き込む。

(帰って来てくれ、フランソワーズ!!)

激痛と、限界寸前まで加速装置を使用したおかげで、体中が悲鳴を上げていた。

少し動いただけで、バラバラになりそうだ。

けれど、彼女の生を確認しない内は、止める事など出来なかった。

心なしか、彼女の顔に赤みが戻ったような気がする。

けれど、もっと確かな証が欲しかった。

だから、僕は、いつまでも彼女と唇を合わせていた。

「どこだ!? どこにいる!? ジョー!! フランソワーズ!!」

遠くで誰かの叫ぶ声がした。

仲間だ。

仲間が来てくれた。

けれど、僕はそれが誰かを確かめる事なく意識を失ってしまった。

痛みに耐えられなかったからじゃない。

あの時、確かに聞こえたんだ。

僕の耳元で、かすかにつぶやく声が。

 

「ジョー・・・」

 

その途端、僕はなにもわからなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

僕は、生まれる前、既に悪魔に魂を売り渡していたんだろうか。

いつか、彼女と出会うために、

いつか、彼女を救う力を得るために。

ふとした瞬間、そんな思いにとらわれる事がある。

馬鹿馬鹿しいと、苦笑するはずの迷い事。

けれど、そんな愚にもつかない妄想が、彼女の笑顔を眼にした途端、僕の中で真実味を帯びてくる。

そのまぶしさ、柔らかさは、本来、僕の手に触れるはずのものではなかった。

もしかしたら・・・。

思いは完全には拭えない。

でも・・・、

それでも、僕はもう・・・。

 

 

 

 

 

 

「気がついたか、ジョー? ワシがわかるか?」

目覚めた僕の前には、ギルモア博士の顔があった。

僕は研究所のメディカルベッドに寝ていて、胸には幾重にも包帯が巻かれていた。

「は、博士・・・」

「フランソワーズは無事じゃよ」

僕が尋ねるよりも早く博士は答えて、僕の右隣に並ぶベッドを見た。

そこには、普段の頬の赤さを取り戻したフランソワーズが眠っていた。

「フランソワーズ・・・」

「彼女も、もうじき目覚めるじゃろう」

博士は彼女の脳波を示すモニタを見ながら言った。

かけられたシーツからわずかに現われた、彼女の胸元。

僕と同じように包帯が巻かれたその胸は、規則正しい上下を繰り返していた。

「よ、良かった、フランソワーズ・・・。良かった・・・」

彼女の姿をもっと見ていたかったのに、僕には出来なかった。

涙が、後から後から流れて・・・。

「全く、無茶しおって・・・」

叱るような、悲しむような、複雑な色が混ざる声で、博士はポツリと言った。

「10日も眠っておったんじゃよ。無理もない・・・」

「10日・・・」

「ジェットが君達を見つけてな、ジェロニモがここまで運んで来てくれたんじゃ」

「ジェット・・・、ジェロニモ・・・」

「他の皆も来ておる。皆、君達の元気な姿を待っておるよ」

「みんな・・・」

「だから、今は休むんじゃ、ゆっくりとな・・・」

「はい、博士・・・」

博士は優しい笑顔で頷いた。

「ワシも休むとしよう。彼女の心臓移植や君の心臓の治療、その上、敵の体まで調べなきゃならんかったもんで、もうクタクタじゃよ」

明るい口調で言うと、博士は部屋を出ようとドアを開けた。

と、途中で足を止めて、博士は言った。

「フランソワーズを救ってくれて、ありがとう。そして、よく生き延びてくれた、ありがとう・・・」

そして、博士は部屋を出て行った。

「博士・・・」

博士の前でなら素直に涙を流せる。

博士は僕の、僕達の・・・。

そして、ありがとう、みんな・・・。

僕は、博士の出て行ったドアから、再びフランソワーズの眠るベッドへと視線を移した。

「・・・」

軋む体に鞭打って、ベッドを降りる。

「・・・」

よろける足で、彼女のベッドへと歩み寄る。

「フランソワーズ・・・」

悲しみを伴わずに名前を呼べるのが嬉しくて、僕は、そのまま、唇で彼女の唇に触れた。

温かい。

それは血の通った、いつものフランソワーズの唇だった。

僕は彼女の温もりから離れ難くて、いつまでも、いつまでも、そのままでいた。

「ん・・・」

やがて、彼女の目がゆっくりと開かれた。

「・・・ジョー?」

「フランソワーズ・・・」

彼女は夢でも見ているような瞳で僕を見つめた。

「私・・・、生きてるの?」

「もちろんだよ・・・」

「でも、私、胸を・・・」

「奇跡的に急所を外れてたんだ。運が良かった」

本当の事を言えば、彼女は苦しむだろう。

だから、僕は嘘をついた。

これで、あいこ。

けれど、そうはならなかった。

「・・・私の命を・・・救うために・・・?」

彼女は、包帯の巻かれた僕の胸を見ながら、震える声で言った。

どうして彼女にはわかってしまうんだろう。

結局、彼女からは隠す事が出来ない。

「ごめんなさい、ジョー・・・、私・・・」

「君が謝る事なんてないんだよ、フランソワーズ・・・」

「でも・・・、私、あなたを騙して・・・、その上、あなたの命まで危険にさらすなんて・・・」

フランソワーズの瞳から流れる涙を抑えたくて、僕は彼女の頬に両手を添えた。

「あなたを助けたかった・・・。あなたに・・・死んで欲しくなかったの・・・」

「わかってるよ・・・。僕もそうだったんだ・・・」

「でも、結局は私のせいで・・・」

「違うよ、フランソワーズ。間違っていたのは、僕だったんだ・・・」

僕はフランソワーズに微笑みかけた。あの時とは違う、心からの笑顔で。

「敵に突っ込もうとしたあの時、僕は君を守りたかった・・・。僕の命でそれが叶うならって・・・」

「・・・」

「でも、それは間違いだった・・・」

「・・・」

「ほら、見て。君が撃たれた時の事を思うと、手の震えが止まらないんだ・・・」

「・・・」

「僕が死ぬ事で、もしも、君が同じ思いをするならって考えると・・・、僕はなんて馬鹿な事をしようとしていたんだって思い知らされたよ・・・」

「「もしも」だなんて、言わないで・・・」

フランソワーズは、ほんの少し悲しそうに微笑むと、僕に両手を差し伸べた。

彼女の両手に引き寄せられるように、僕はフランソワーズにくちづけする。

そのまま、彼女の両手が僕の頭を掻き抱く。

幾度も重ねる、だけど、そのたびに想いが限りなく溢れ出す。

「情けない話だけど・・・」

「え・・・?」

「僕は、君がいないと生きていけない・・・」

「ジョー・・・」

「君は僕の命なんだ、フランソワーズ・・・」

「ジョー、私もよ。私の命はあなた・・・」

 

 

僕はフランソワーズの胸に右手を当てた。

そこには、そっと触れる手にも確かに伝わる鼓動があった。

フランソワーズは僕の胸に右手を当てた。

そこには、彼女と共有した命があった。

僕達は左手を繋ぎ合った。

そこには、確かな約束が、

決して離れないという誓いがあった。

 

 

「2人で生きていこう。どんな時でも・・・」

「ええ、どんな事があっても、2人で・・・」

 

The end

 

 

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