レミングと呼ばれる種類のネズミがいる。
彼らは過剰に繁殖した際、集団で海へと向かい、自殺的行動を取る。
彼らが望んでいるのは「死」なのであろうか、それとも・・・。
アメリカの生物学者オンス・エンセン(Ons Ensen)の唱えた学説がある。
それによると、海には生物を胎内回帰へと駆り立てる作用があり、それがレミングを海に向かわせると言うのだ。
海が子宮と酷似している事は、すでに周知であろう。
波音と心音。
海水と羊水。
生命を育む場所として、その安らぎとして。
海から届く音や匂いは、生物に当時を思い出させる。
レミングはそのアンテナが他の生物よりも敏感であり、それが環境から生じるストレスによって過敏となったがための行動である、とオンスは言うのだ。
そして、いざないしセイレーンの手は人間にも差し伸べられている。
レミングと人間の違い。
それは、胎内回帰の誘惑に駆られながら、そのまま「死」へとつき抜けてしまうか、その一歩手前で踏みとどまれる「なにか」を持っているかの違いなのだろう。
それはともかく、最近、とある海岸を局地的に賑わしている1つの怪異があった。
「ずいぶん暖かくなってきたね」
「ええ、潮風が気持ちいいわ」
海に誘われて、ふたり。
ひと気のない砂浜を並んで歩く、ジョーとフランソワーズ。
ふたりが砂に描く軌跡は、繋がれた腕以上の距離を空けない。
「ジョー」
「ん、なに?」
ジョーの問いに、微笑みながら小さく首を振るフランソワーズ。
「なんでもない、呼んでみただけ」
ただそれだけではない事が、ジョーには充分にわかっていた。
自分の腕に組まれた腕が、フランソワーズの想いを雄弁に語っている。
「フランソワーズ」
「なあに?」
「呼んでみただけだよ」
「あ、ズルイ、真似したりして」
ふざけて自分に寄りかかろうとするフランソワーズを、ジョーは両腕で抱えるように支えた。
そのまま、フランソワーズはジョーの胸に、ジョーはフランソワーズの髪に顔をうずめる。
そのたくましさと柔らかさが、ふたりにこの上ない幸福をもたらす。
ジョーはフランソワーズの顎を優しく持ち上げ、波のようにきらめき揺れる、その瞳を熱く見つめた。
「ジョー・・・」
名を呼ぶ唇は、濡れて、赤く。
「フランソワーズ・・・」
ジョーに届く全ては彼女のみとなり、自分が発する声ですら聞こえはしない。
(幸せ過ぎて・・・、僕はいつも我慢出来なくなる・・・)
ジョーはフランソワーズを見つめ、目だけで衝動を訴えた。
「・・・」
フランソワーズは、ゆっくりと、幸せそうにうなずく。
ジョーの望みは、自身の望みでもあったから。
そして、ふたりは遠く海を見つめた。
そして・・・、
「僕はフランソワーズが大好きだああああっ!!」
「私もジョーが大好きよおおおおっ!!」
怪異であった。
CYBORG 009 FUN FICTION 「天井知らず」
夏場であっても人の訪れが少ない海岸。
そんな閑静な場所に、ひと目を避けるように居を構えるギルモア邸。
ここには、お化けは出ないがサイボーグが出る。
「またやってやがる・・・」
窓から海岸を見下ろしながら、ジェットはヤレヤレといった顔でつぶやいた。
「・・・」
リビング中央のソファには、静かに本を読んでいるアルベルト。
「まったく、飽きもせずによくやるぜ」
そう言うジェットに、アルベルトはチラリと目をやると、
(それはこっちのセリフだ)
頭の中だけで言いながら、再び本へと視線を戻した。
もちろん気づくはずもなく、ジェットは窓の外を見続けている。
その視線の先には、ジョーとフランソワーズ。
なにが嬉しいのか、ふたりは海に向かって大声で叫んでいる。
「愛してるよおおおっ、フランソワーズううううっ!!」
「愛してるわあああっ、ジョーおおおおっ!!」
パワー全開で叫び続けるふたり。
海も迷惑この上ない。
「しっかし、前はあんなにモタモタしてたクセに、くっついた途端、底抜けにベタベタしだしたよなぁ、あいつら」
なんだかんだと言いつつも、毎日のように見物しているジェット。
つまり、ジョーとフランソワーズは毎日のようにこんな事をしているのである。法律に触れないのだろうか。
「まあ、今は熱に浮かされてる状態だからな。ほっときゃあ、じきに収まるだろうさ」
本の文字を追ったまま、アルベルトはポツリと言う。声に力が感じられないのは、自分の言葉に根拠の乏しさを感じているからだろう。
そのような言葉に納得するはずもなく、続けるジェット。
「でもよ、この前だって、みんなが周りにいるってのに、ふたりでイチャイチャ大盛り上がりだったじゃねえか」
「ああ、正に「ふたりだけの世界」って感じだった」
「でもって、将来の子供の名前だの、しまいにゃあ、「親子ニ世代住宅」にまで話が進んでやんの」
「ローンの回数まで真面目に話してたしな・・・」
思い出して頭がクラクラし始めたアルベルトは、本にしおりを挟むと、テーブルへ置いた。
「それによ、俺はあいつらがあんな事までしてるだなんて思いもしなかったぜ」
「俺だってそうだ。あれはスゴかったな」
やや疲れたような声を漏らしながら、テーブルへと手を伸ばすアルベルト。
手にしたコーヒーカップを満たしているのは、ドイツはミュンヘンの老舗ブランド、ダルマイヤーの「エチオピアンクラウン」。
豊かな香りと、深いコク。
ひと口含み、頭に浮かぶ、あの日の出来事に身構える。
「お、なんだよ、そりゃ?」
とある日の昼下がり、ソファでくつろいでいるジェットは、リビングに入ってきたフランソワーズへと尋ねた。
彼が目ざとく見つけたのは、彼女の胸元に飾られていたバッジ。
「これ? 私が作ったの♪」
自慢げに、ジェットへバッジを向けるフランソワーズ。
それは、彼女の恋人、ジョーの顔写真を加工したものだった。
「へえ、なかなかよく出来てるじゃねぇか・・・」
まあ、これくらいなら呆れるくらいで耐えられるレベルと思える、というか、そう思おうと自分をなんとか説得出来なくもないジェットだった。
だが、しかし、
「ん、これは?」
続いて彼の目に飛び込んできたのは、バッジの下の部分に並んでいる、4つの文字。
「SJFC?」
「ええ、Shimamura Joe Fan Club」
至極あっさりと言ってのけるフランソワーズ。
「し、島村ジョーファンクラブぅ!? んなモンがあんのか!?」
「ええ、私が作ったの♪」
「「お、お前が!?」」
それまで静観していたアルベルトだが、さすがに我慢ができなくなり、ジェットと一緒に大声を上げた。
「お前が作ったって・・・、まさか会員がいるのか?」
尋ねるアルベルトに、フランソワーズは、
「ええ、もちろん、私が」
と、さも当たり前だというように答える。
「いや、そりゃそうだろうが、他には?」
重ねて尋ねるアルベルト。
「他の会員? いやあね、アルベルトったら、そんな人いるわけないじゃない」
「そうか、だろうな・・・」
とりあえず、ちょっとだけホッとしたアルベルト。
ブラックゴーストと戦っている最中だというのに、そんな目立つような活動をするはずが・・・
「ジョーは私だけのジョーなんだから、他の女の人なんか、近づけさせるはずないでしょ?」
(いや、それじゃないそれじゃない! 理由が間違ってる!)
「で、でもよ、ファンクラブったって、なにすんだよ?」
よけいな事を聞くジェット。
「そうね、とりあえずは月に1冊のペースで会報を作って、それから・・・」
「か、会報!? それって、誰が読むんだよ!?」
「だから、私に決まってるじゃないの」
「自分で作って、自分で読むのか・・・?」
「ええ、ジョーがいかに素晴らしくて、素敵な人か、これでもかってくらい満載でお届けするわ」
「で、それを自分で読むのか・・・?」
「本当は、週1くらいで作りたいんだけど・・・」
そう言ってから、フランソワーズは悲しげに目を伏せる。
「ブラックゴーストとの戦いがあるんだもの・・・、わがままは言えないわよね・・・」
(ああ、そこらへんはわきまえてるんだな)
と、一瞬思いかけたアルベルトであったが、わきまえてこれかと思うと、よけいに恐い気がした。
「フランソワーズ!」
そこへ、ジョーが勢いよくリビングに飛び込んできた。
「ジョー!」
フランソワーズは声のする方へクルリと身を翻すと、磁石のようにジョーへとピタッとくっついた。
「ねえ、見て見て、これ♪」
ジョーへと腕を絡ませながら、早速、フランソワーズは胸元のバッジを見せる。
「うわあ、すごくじょうずだ! さすがはフランソワーズだね!」
ジョーの目はキラキラと輝いている。
((オイオイ、喜んでるのか!?))
思わず叫びそうになるのを懸命にこらえるジェットとアルベルト。
そして、
「僕なんか、全然うまくできなかったよ」
と言って、ジョーも胸についているバッジを見せる。
あしらわれているのは、フランソワーズの顔と、「FAFC」の文字。
いうまでもないが、「Francoise Arnoul Fan Club」。
((うわっ、おかしなヤツが1人増えた!!))
「あら、そんな事ないわ、とってもじょうずよ」
「でも、写真のフランソワーズが、なんか・・・。まあ、しょうがないけどね」
「え?」
「だって、フランソワーズの真の美しさは、写真にも写せやしないんだからさ」
「も、もうっ、ジョーったら・・・」
「本当さ、フランソワーズ・・・」
((なに言ってんだこいつ、ってか、なにやってんだこいつら!?))
で、
ひとしきりウフフとかアハハとか笑い合ったフランソワーズとジョーのふたりは、おもむろにポケットから1枚のカードを取り出した。
((うわぁ・・・))
もう見たくもなかったのに見てしまったアルベルトとジェットは、やはり、見るんじゃなかったと後悔した。
カードに書かれているのは、それぞれのクラブ名と、「永久会員証」の文字と、会員番号。
フランソワーズのものには「0093」、ジョーのものには「0039」と刻印されていた。
「私とあなたは、いつも一緒・・・」
「うん、いつでも一緒だよ、フランソワーズ・・・」
「ジョー・・・」
((ああ、ダメだこりゃ・・・。もうホントにダメだ・・・))
ジェットは開いた口がふさがらず、なにも言えないでいた。
アルベルトも開いた口がふさがらず、コーヒーを飲もうにも飲めないでいた。
「フランソワーズ・・・」
「ジョー・・・」
「フランソワーズ・・・」
「ジョー・・・」
互いに名前を呼び合いながら、行くとこまで行ってしまったふたりは、いつまでもイチャイチャイチャイチャし続けている。
と、突然、
目と目で会話したジョーとフランソワーズは、無言でうなずき合うと、リビングを勢いよく飛び出していった。
((???))
訳のわからないジェットとアルベルトであったが、理由はすぐに明らかとなった。
海岸の方から、ふたりの大きな叫び声が聞こえてきたのである。
「まあ、とにかくだ・・・」
コーヒーを飲み干して、アルベルトは言う。
「しばらく放っておこう。俺達にできるのはそれぐらいしかない・・・」
人間には解決できる問題とできない問題があるのだ。
「それはそうと、お前の方こそどうなんだ? デートの相手はいないのか?」
いきなり矛先をジェットに向けるアルベルト。
途端に、ジェットの周辺の空気が重くなる。
「・・・」
「なに黙ってるんだ?」
「な、なんでもねえよ! 俺だって町を歩きゃあ、女の1人や2人や3人や4人や・・・」
「ほう、そいつぁスゴイなぁ」
「・・・」
「・・・」
「ちっくしょおおおおっ!! うらやましくなんかねえぞおおおおっ!!」
「血の叫びだな」
「君と出会えて僕は幸せだああああっ!!」
「私だって幸せよおおおおっ!!」
どこでも叫んでいるサイボーグ達だった。
ところで、
「レミングは集団で自殺をする」などと言われているが、あれはまったくの誤解である。
彼らは繁殖のスピードが非常に速く、同じ場所では食料がすぐになくなってしまう。そのため、他の場所へと集団で移動するのだが、飢餓や天敵の襲来により、急激な減少が起こる。
確かに、移動の際、海や川に落ちて死んでしまうものもいるのだが、それはごく一部でしかなく、単なる事故だ。
そもそも、レミングは泳ぎがうまいのである。
というわけで、「レミングの集団自殺」はあくまでも都市伝説に過ぎない。
そして、アメリカの生物学者にオンス・エンセン(Ons Ensen)なる人物も実在しない。
当然、彼のレミングに関する学説というのも、まったくのでたらめ(nonsense)だ。
終わり
後書き
という、でたらめな話でした。
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